第4回 前科一犯の英雄、誕生
光の扉を抜けた先は、湿った土の臭いと、焦げたインクの臭いが混ざり合う奇妙な空間だった。
そこは、果てしなく続く巨大な鍾乳洞のようでもあり、同時に、剥き出しの鉄骨やオフィス用のパーティションが迷路のように入り組んだ「未完成のビル」のようでもあった。
「……佐藤さん、驚きましたね。ここは物理的には渋谷の地下数百メートル、しかし空間座標的には完全に異界です。まさに法の空白地帯、登記不可能なデッドスペースですよ」
背後で、伊波弁護士が感心したように眼鏡をクイと上げた。彼はこんな異常事態でも、手にした分厚いブリーフケース――中身はすべてギルドを追い詰めるための証拠書類だ――を離そうとしない。
「伊波さん、本当にここでも『法律』は通用するんですか? あいつ、ここは治外法権だって言ってましたけど」
「フフ、佐藤さん。法というのは、場所にかかるものではなく『人』にかかるものです。日本人が海外で犯罪を犯しても日本の刑法が適用されるように、彼らが日本人である限り、この洞窟の果てまで六法全書の鎖は伸びていくんですよ」
頼もしすぎる。この男、もはや魔法使いより魔法使いらしい。
俺たちは、即席で作られた「特別執行官」の腕章を光らせながら、ダンジョンの奥へと進んだ。
道中、明らかにカタギではない形相のゴブリンたちが、交通誘導員のような格好をして道を塞いでいた。
「おい、ここから先はギルドの私有地だぞ! 許可なく入る奴は、この棍棒のサビにしてくれる!」
ゴブリンが叫び、粗末な棍棒を振り上げる。かつての俺ならここで「ファイアボール」を放ち、翌日のニュースで『無許可の爆発物使用』として再び逮捕されていただろう。
だが、今の俺は、胸元から一枚のラミネートカードを取り出した。
「警備業法、第十五条だ。警備業務を行う者は、他人の権利及び自由を侵害し、又は個人若しくは団体の正当な活動に干渉してはならない。君たち、警備員の登録は済ませているのか? それと、その棍棒。明らかに規定の護身用具のサイズを超えている。無届けの警備、および武器の誇示。これは営業停止処分ものだぞ」
ゴブリンたちは顔を見合わせた。
「け、けいび……ぎょうほう?」
「あと、君たちの雇用形態についても聞きたい。最低賃金は守られているか? 深夜手当は? そもそも、この場所は建築基準法上の『居室』としての要件を満たしていない。こんな劣悪な環境で働かせるのは、労働安全衛生法違反だ」
俺が矢継ぎ早に法典の言葉をぶつけると、ゴブリンたちは戦意を喪失したのか、あるいはあまりの理屈っぽさに頭痛がしたのか、「やってられねえよ、こんなブラック現場!」と叫んで棍棒を放り出し、どこかへ逃げ去っていった。
「見事です、佐藤さん。これが『リーガル・除霊』ですよ」
俺たちはさらに奥、ひときわ豪華な、しかし明らかに盗品と思われるオフィスチェアに踏ん反り返ったギルドマスターの元に辿り着いた。
「しつこいぞ、佐藤! ここまで来てまだ屁理屈をこねるか! 見ろ、これが我々の最終兵器、ダンジョンの主『メガロ・スライム』だ!」
ギルドマスターが合図を送ると、天井から巨大な、それこそ大型バスほどの大きさがある真っ赤なスライムが降りてきた。その体からは猛烈な腐食性のガスが漏れ出し、周囲の鉄骨をドロドロに溶かしている。
「こいつには法など通じない! 理屈ごと食らい尽くしてくれるわ!」
メガロ・スライムが咆哮(のような震動)を上げ、俺たちに襲いかかろうとした。
だが、俺は一歩も引かなかった。カバンから、一通の赤い封筒を取り出す。
「マスター。残念だが、こいつを倒すのに剣は必要ない。……伊波さん、お願いします」
「はい。それでは、行政代執行法に基づき、通告いたします」
伊波が拡声器を取り出し、洞窟全体に響き渡る声で宣言した。
「この地下空間における無許可の建築物、および特定外来生物、並びに危険物の放置について、東京都知事の権限を一部委託された執行官として通告します。当該物件、および生物は、公衆の衛生、および安全に重大な危害を及ぼすと判断されました。よって、これより『行政代執行』による強制的な排除を開始します!」
その瞬間、背後の入り口から、重装備の特殊部隊……ではなく、黄色いヘルメットを被った「特殊清掃業者」と、保健所の職員、そして税務署の調査官たちがゾロゾロとなだれ込んできた。
「な、なんだこれは!? 警察じゃないのか!?」
「マスター、あなたは勘違いしている。警察は手続きが面倒だが、行政の『代執行』は決定したら早いんだ。それに、税務署の査察を舐めないほうがいい」
保健所の職員たちが、メガロ・スライムに向かって強力な中和剤を散布し始める。「これは有害廃棄物です! 速やかに回収してください!」という叫び声と共に、巨大なスライムは巨大な吸引車の中にズルズルと吸い込まれていった。
同時に、税務調査官たちがギルドマスターの椅子をひっくり返し、隠されていた金庫を差し押さえる。
「あ、ああっ! 俺の、俺の魔石が! 一〇〇億ゴールド相当の純金が!」
「ゴールド? いいえ、これは法的には『無申告の雑所得』であり、没収の対象です。さらに、重加算税と延滞税を合わせると、あなたの資産では到底足りませんね」
伊波が追い討ちをかけるように、ギルドマスターに手錠……ではなく、一通の分厚い『督促状』を突きつけた。
「逃げても無駄ですよ。あなたの戸籍、資産、そしてこのダンジョンへの接続経路はすべて特定しました。これからは異世界の闇ではなく、日本の税制という名の底なし沼で、一生かけて罪を償ってもらいます」
ギルドマスターは膝から崩れ落ちた。
最強の魔法も、最強の魔物も、国の「集金システム」という魔王の前には無力だった。
一ヶ月後。
渋谷の街には、再び平穏が戻っていた。
あのギルドがあったビルの一角には、新しい看板が掲げられている。
『異界・現実トラブル解決事務所:佐藤・伊波リーガルコンサルティング』
俺、佐藤カイトは、そこで「特別相談員」として働いている。
前科一犯。その経歴は消えない。
就職活動の際、履歴書の賞罰欄には今も『爆発物取締罰則違反』と書かなければならない。だが、その隣には、法務省から授与された感謝状と、内閣府特命の「異界問題アドバイザー」という肩書きが並んでいる。
「佐藤さん、新しい依頼ですよ」
伊波が、相変わらず疲れた顔で書類を持ってきた。
「今度は何ですか? また代々木公園のゴブリンですか?」
「いえ、新宿の歌舞伎町に現れた『吸血鬼のホスト』が、客に対して不当な『血液提供契約』を結ばせている疑いがあるそうです。消費者契約法と、献血法違反で攻められそうですね」
「……了解。早速、六法全書と防犯ブザーを準備します」
俺は立ち上がり、黒いスーツの襟を正した。
かつて夢見た「勇者」の姿とは程遠いけれど、今の俺は、誰よりもこの街を守っているという自負がある。
たとえ前科者と呼ばれても。
たとえ世界を救う手段が「内容証明郵便」であっても。
俺はこの街で、法という名の剣を振るい続ける。
渋谷の片隅、法の光が届かない場所で。
前科一犯の英雄の物語は、まだ始まったばかりだ。
お読みいただきありがとうございます!
同シリーズの他作品もあります。婚約破棄を民事訴訟でざまぁする話、魔王城を建築基準法で攻略する話など。法律が変わっても「理不尽に異議あり」の精神は同じです。
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