第1回 勇者、渋谷署で「詰む」
渋谷スクランブル交差点。一日に数十万人が行き交い、流行と欲望が煮凝りのように渦巻くこの街のど真ん中に、その「ギルド」は忽然と姿を現した。
ビルの三階、かつてはお洒落なカフェだった場所に掲げられた看板には、金文字で誇らしげにこう記されている。
『渋谷クエストセンター:冒険者ギルド・シブヤ支部』
俺、佐藤カイトは、その扉の前に立っていた。
二十二歳、フリーター。趣味はオープンワールド系のRPG。特技はゲーム内の効率的なレベル上げ。そんな俺にとって、この「現実世界にダンジョンとギルドが出現した」というニュースは、まさに人生逆転の福音だった。
「いらっしゃいませ。冒険者登録をご希望ですか?」
自動ドアをくぐると、そこにはファンタジー映画から抜け出してきたような、しかし絶妙に「受付嬢」という言葉が似合うスーツ姿の女性が微笑んでいた。
店内は清潔感溢れるコワーキングスペースのようで、壁には大型モニターが並び、現在の「クエスト」が株価のようにリアルタイムで更新されている。
「あ、はい。登録を……」
「承知いたしました。では、こちらのタブレットで利用規約をご確認いただき、最後に『全ての運命を受け入れる』にチェックをお願いします」
渡されたタブレットには、びっしりと小さな文字が並んでいた。
正直、スマホのアップデートの時に出てくる規約と同じで、読む気なんてさらさらない。俺は三秒でスクロールを終え、チェックを入れ、電子ペンで署名した。
これが、人生最大の「詰み」への第一歩だったとも知らずに。
「おめでとうございます、カイト様。今日から貴方はランクEの冒険者です。今なら新規登録キャンペーンで、こちらの『初心者用・魔力伝導合金ダガー』と『火球のスクロール』をセットで貸与しております」
カウンターに置かれたのは、鈍く光る短剣と、古めかしい羊皮紙。
重い。本物の武器の重みだ。
俺の心臓は、高揚感で爆発しそうだった。ついに、俺の物語が始まる。
「早速ですが、本日のおすすめ依頼はこちらになります」
提示されたモニターには、可愛らしいスライムのアイコンが表示されていた。
【クエスト:渋谷駅地下通路の粘液生物を駆除せよ】
報酬:一〇〇、〇〇〇ゴールド(日本円換算十万円)
内容:地下通路に発生したスライム三体の討伐。
備考:一般人の通行を妨げないよう、迅速に処理すること。
「十万……! スライム三匹で十万かよ!」
「はい。現在は冒険者が不足しておりまして、特別手当がついております。カイト様の才能なら、五分もかからないでしょう」
受付嬢の甘い言葉に、俺の理性は完全に蒸発した。
ダガーを腰に差し、スクロールを懐に入れ、俺は意気揚々とギルドを飛び出した。
現場は、渋谷駅地下、ハチ公改札から少し離れた連絡通路だった。
普段は人通りが多い場所だが、今は「モンスター出現につき封鎖中」という黄色いテープが貼られている。といっても、警備員が一人立っているだけで、そこまで物々しい雰囲気ではない。
「あの、冒険者の佐藤です。依頼を受けに来ました」
「あー、ギルドの人ね。はいはい、ご苦労さん。手短に頼むよ、清掃業者が後ろで待ってるから」
警備員のやる気のない態度に少し拍子抜けしたが、逆に緊張が解けた。
テープを潜り、薄暗い通路の奥へと進む。
いた。
通路の隅、配電盤の近くに、直径一メートルほどの青黒いブヨブヨした塊が三つ。
それはゆっくりと脈動しながら、壁のコンクリートをじりじりと溶かしている。
生臭い、腐ったゼリーのような臭いが鼻を突く。
「よし、やるか……」
俺はダガーを抜いた。
ゲームならここでコマンドを選択するだけだが、現実は違う。
一歩踏み出す。スライムがこちらの気配を察し、その体を震わせた。
中央から触手のような粘液が伸び、俺の頬をかすめる。
「うわっ、マジか!」
熱い。かすっただけで肌が焼けるようだ。
強酸性。これが現実のモンスターか。
俺は焦った。ダガーで切りつけようとしたが、相手は液体だ。物理攻撃が効くイメージが湧かない。
(あ、そうだ、スクロール!)
俺は懐から羊皮紙を取り出し、ギルドで教わった通りに魔力を込めて叫んだ。
「燃え上がれ、ファイアボール!」
その瞬間、視界が真っ白になった。
轟音。
羊皮紙から解き放たれた巨大な火の玉が、狭い通路を一直線に突き進む。
スライムは悲鳴(のような破裂音)を上げて瞬時に蒸発し、そのまま火球は通路の突き当たりにある防火扉に激突して爆発した。
スプリンクラーが一斉に作動し、けたたましい非常ベルが鳴り響く。
俺は腰を抜かし、ずぶ濡れになりながら、その光景を呆然と眺めていた。
「やった……のか?」
スライムは跡形もない。
十万円ゲットだ。
これで今月の家賃も払えるし、新しいグラボも買える。
俺は達成感に包まれ、ずぶ濡れのまま通路を戻った。
だが、封鎖テープの向こう側で俺を待っていたのは、賞賛の嵐ではなかった。
「動くな! そのまま地面に伏せろ!」
怒号。
十人以上の警察官が、防刃ベストを着用し、盾を構えて俺を包囲していた。
その奥には、スマホを掲げて動画を撮りまくる野次馬の群れ。
「え、あ、いや、冒険者です! ギルドの依頼で……」
「黙れ! 武器を捨てろ! 確保ーっ!」
問答無用だった。
数人の屈強な男たちに組み伏せられ、顔を冷たい床に押し付けられる。
ガチャン、という冷たい金属の感触が手首に伝わった。
「午後二時十五分、銃砲刀剣類所持等取締法違反、および火薬類取締法違反、並びに建造物等以外放火の疑いで現行犯逮捕する」
「……はい?」
頭が真っ白になった。
逮捕?
放火?
俺は、世界の平和を守る(ついでに家賃を稼ぐ)勇者になったはずじゃなかったのか。
そのまま俺は、パトカーに押し込まれた。
渋谷の街並みが窓の外を流れていく。
ビルの大型ビジョンでは、さっきの爆発の映像が「渋谷駅でテロか?」という速報テロップと共に流れていた。
連れて行かれたのは、渋谷警察署。
窓のない、殺風景な取調室。
目の前には、疲れ切った顔をした中年刑事が座り、俺がギルドから借りたダガーをビニール袋に入れて机に置いた。
「さて、佐藤君。君の言い分はこうだ。『ギルドから依頼を受けて、モンスターを退治した』。間違いないな?」
「そうです! 契約書だってあります! ほら、スマホのアプリに……」
俺は必死に訴えたが、刑事は深いため息をついて、一冊の分厚い本を机に叩きつけた。
六法全書。
「いいかい、佐藤君。まず第一に、日本国内で許可なく刃物を持ち歩くのは『銃刀法違反』だ。これはコスプレだろうが冒険者だろうが関係ない。そのナイフ、測定の結果、殺傷能力が極めて高い合金製だと判明した。言い逃れはできない」
「でも、ギルドの人は公認だって……!」
「第二に、君が通路で放った火炎。あれは法的には『爆発物』の私的利用、あるいは『放火』と見なされる。地下通路という閉鎖空間での使用は、最悪の場合、大惨事になっていた。消防法にも、火薬類取締法にも、片っ端から抵触している」
「モンスター……スライムがいたんです! あれを放置する方が危険で……」
刑事は冷ややかな目で俺を見た。
「その『スライム』だがね。生物学的には正体不明のゲル状組織だ。だが、法的にはただの『所有者不明の動産』、あるいは『廃棄物』だ。君がやったことは、行政の許可なく産業廃棄物を勝手に焼却したということであり、さらに言えば、駅の施設を破壊した『器物損壊』だ」
「廃棄物……」
「極め付けはこれだ。君がサインしたギルドの利用規約」
刑事はタブレットを表示した。俺が読み飛ばしたあの規約だ。
第十四条。
『本サービス利用に伴う一切の法的責任は利用者に帰属し、ギルドは第三者との紛争、公権力による制裁等について一切の責任を負わないものとする。また、報酬の支払いは、日本の現行法を完全に遵守し、かつ適法に処理された依頼に対してのみ行われる』
「つまりだ。君が逮捕された時点で、この依頼は『不適法』となり、報酬の十万円は一円も支払われない。それどころか、ギルド側は君に対して『組織の名誉を傷つけた』として損害賠償を請求する準備を始めているそうだ」
目の前が暗転した。
十万円の報酬どころか、残ったのは前科と、天文学的な額になるであろう賠償金。
そして、明日以降のニュースの見出し。
『自称冒険者の男、渋谷駅地下で放火し逮捕。ネットの闇サイトで知り合った組織の指示か』
俺は椅子から崩れ落ちそうになった。
刑事は手帳を閉じ、冷淡に言い放った。
「佐藤君。君は冒険者じゃない。ただの、無許可で武器を振り回して爆発騒ぎを起こした犯罪者だ」
渋谷に冒険者ギルドができたので依頼を受けてみたら。
俺の人生、一話目にしてエンディング(刑務所行き)が確定したらしい。
取調室の隅で、俺のスマホが虚しく通知を鳴らした。
ギルドからの自動送信メールだった。
『カイト様、クエストの進捗はいかがでしょうか? 次回の依頼は「代々木公園でのゴブリン捕獲(公然わいせつ罪および略取誘拐罪適用の恐れあり)」を予定しております。ぜひご検討ください!』
「……検討できるか、ボケ」
俺の呟きは、スプリンクラーで湿った取調室の空気に、力なく溶けて消えた。




