パパの日常
「おぉ、かわいそうに。もう病院へ連れて行ったのかい? 小さい子は、どんな病気も気をつけなきゃいけないからね。」
「だ、大丈夫です。学校が終わったら連れて行くつもりで……。でも、たぶんただのわがままだと思います。」
少年は小さな赤ん坊を抱き上げ、髪も瞳も淡い桃色の青年に渡した。
「おはよう、翔子ちゃん。」
赤ん坊は、自分が父の腕から離され別の人に抱かれた瞬間、瞳に涙をため――ついには大きな泣き声を上げてしまった。慌てた少年は再び腕に抱き寄せると、途端に泣き止み、彼の髪の一房をぎゅっと掴んで安心したように落ち着いてしまう。
目の前の男が小さくため息をつきながら言った。
「やれやれ……甘やかしすぎだよ、黒子。」
すると傍にいた先生の一人が、くすくす笑いながら口を開いた。
「仕方ないですよ。だって彼は若いお父さんですもの。しかも翔子ちゃんみたいに可愛い娘なら、つい甘やかしたくなるでしょう?」
黒子は胸にしがみつく娘を見下ろしながら、小さくつぶやく。
「うーん……やっぱり甘やかしすぎたかな。でも、泣いてる姿はどうしても見たくないから……つい、何でも与えてしまうんだ。」
その時――校庭に鐘の音が鳴り響いた。
「しまった! 遅刻する!」
小さな額に軽く口づけを落とし、赤ん坊を先生に預ける。
「お願いします、先生! 翔子、先生に迷惑かけちゃだめだぞ!」
父の背中が遠ざかっていくのをじっと見つめていた翔子は、抱っこしていた先生の顔に目を向けられると――にっこりと笑みを返され、再び大泣き。手足をばたばたさせ、必死に抗議する。
「ふふ……先生、どうやら翔子ちゃんはあなたのこと気に入ってないみたいですね。」
「まあ、もう慣れましたよ。お父さんが離れると、いつもこうなんです。」
やがて翔子は先生の腕から降ろされ、よちよちとぎこちなくハイハイして、他の子どもたちの輪へと向かっていった。
――その頃、黒子の教室。
彼は真面目にノートを取りながら授業を受けていたが、隣に座る友人が声をひそめて話しかけてきた。
「なぁ黒子、放課後練習しようぜ。俺、速球のコントロール完璧なんだ!」
そう言うなり、消しゴムを野球ボールのように投げつける。机に派手な音を立てて当たり、教師の目が光った。あっという間にその友人は教室から追い出される。黒子はため息をつき、心の中で呟く。
(野田祐介。投手、柔らかい腕、いい反射神経。欠点? コントロールと成績……ベンチ要員の理由はそれだ。)
後ろの席から、もう一人の友人が小さくぼやいた。
「まったく……野田はいつもああだな。」
黒子は再び心の中で整理する。
(木場勝。ファースト、反応と走力は優秀。欠点? 協調性ゼロ。キャプテンの俺以外の指示は絶対に聞かない。だからいつも俺のそばにいる……か。)
やがて授業が終わり、鐘が鳴る。三人は食堂へ向かうが、黒子は途中で立ち止まり、何かを思案するように視線を逸らす。
「ん? どうした、黒子?」と野田が首をかしげる。
「……先に行っててくれ。ちょっと用事がある。」
そう言って二人と別れ、黒子は一人森の奥へ足を進めた。
――やがて辿り着いたのは保育園。そこには庭で遊ぶ翔子の姿があった。父の姿に気づくと、翔子は嬉しそうに笑い声を上げ、走り寄ってくる。先生はその様子を眺め、にこやかに言った。
「やれやれ……黒子ちゃん、本当に娘と離れていられないんだね。」
小さな体を抱き上げた黒子は、頭を下げる。
「ご迷惑をおかけして、すみません……。」
「気にしないで。実際、働いてるお母さんたちもよくここで子どもと泣き合ってるから。昨日も桃先生が“生徒が全然理解してくれない”って大泣きしてたしね。」
「そうですか……。」
「まあ、とにかく。さぁ子どもたち、遊びの時間だよ!」
庭に響く笑い声の中、黒子は改めて翔子を抱きしめ、その温もりを確かめるのだった。




