コクピットの共鳴
初めて触れる筈の機体だったのに、なぜだろう。
この骨格の響きも、演算の律動も、まるで何度も繰り返された夢の一部のように馴染んでいた。
機体がリニアレールに固定され、コクピットが蒼く点灯する。
量子コアから噴き出した演算光が、虹彩を焼くように注ぎ込み、僕の内側で何かが“起動”する。
〈未来確率選択システム――オペレーター認証。シンクロ率、臨界値+2σ〉
数式の花が、戦術HUDの裏で咲いた。
咲いて、閉じて、また咲いて。
未来の枝が網膜の裏で組み替わる。
シュレーディンガーとの初接続。だが、怖れはなかった。
選ばされたのではない。僕はここにいるべきだった。最初から。
その確信だけが、静かに脈を打っていた。
「始めようか」
真空射出ゲートが開いた。
情報の霞が揺れる群青の海を抜け、主力艦“ハグルマ”が確率の薄皮を纏い、潜むのが見える。
視界には現れていない。けれど、そこに“いる”。
未来の枝先が告げていた。
射出と同時に、僕は“まだ撃たれていないミサイル”を回避した。
右斜め上、0.8秒後に存在確率が立ち上がるヴァニッシュ・ライフル。
左舷側に突入してくる“可能性”としてのブレード斬撃。
正面から放たれるはずの確率固定弾――
一つずつ、それらを“起こる前に”破壊していく。
脚部の高機動スラスターを展開し、角度を歪め、〈確率補助投射索〉で座標を固定。
回転しながら、肩部マウントの〈エネルギー散弾〉を投擲。
その軌道上、〈シェイド〉の1機が“まだ姿を見せていない”というのに、空間が裂けて黒煙が滲んだ。
右手で〈ディスロケイター・ブレード〉、左で〈情報遮断フィールド投射弾〉。
戦場の“認識”を操るように展開し、敵の視線ごと死角に押し込む。
その中で、もう1機を切り裂いた。
〈隊内チャンネル:訓練兵B〉
『おい……なんだよアレ……ほんとに訓練兵か……?』
『“視えてる”って、何がだよ。……人間じゃねえよ、あれ』
拾ってはいけない声が、通信越しに耳へ滑り込んだ。
〈隊内チャンネル:訓練兵C〉
『共鳴率+2σ? 化け物かよ……冗談だろ……』
『……気持ち悪い。なんか、戦ってるっていうか……壊してるだけじゃん……』
小さくため息をついて、チャンネルをミュートにした。
別にいい。期待されていたわけじゃない。
仲間でも、英雄でも、偶像でもない。
僕はただ――
未来の廃墟の中で、“可能性を削る”だけだ。
左後方、出力の遅いスナイパー機が〈エントロピー散布弾〉を装填していた。
一秒後、その弾が“撃たれていれば”、味方の主通信が遮断されていた。
僕は0.6秒前に先回りし、〈因果干渉投擲槍:レイライン・ピアサー〉を投射。
情報の“通り道”に重なっていた敵機の存在確率を固定させ、内部から“消し去った”。
火花。無音の爆発。
痕跡すら残らない、きれいな削除。
目の前にあるのは、敵の数でも武力でもない。
“来るかもしれない攻撃”のすべてだ。
それらを一つひとつ潰していけば、確率は単純化する。
やがて、残った敵影が散開し、撤退軌道を取った。
まだ半分も撃ち尽くしていない兵装を、僕はそのまま下げる。
「……終了」
未来の分岐が収束していく音が、ようやく消えた。
〈未来確率選択システム〉が自動的にログをまとめ、管制へ転送する。
味方の誰かが、また何か言っている。けれど、もう聞く必要もない。
この機体に“感情”は要らない。
僕にも、もはや必要ではなかった。
ただ、次の戦場が見えているだけだ。