確率を縫う影
前線宙域。
沈黙のような揺らぎが、艦の外装を撫でた。情報次元の“空気”が、微かにさざめいている。
僕はそれを“予感”と呼ぶしかない。
だがその正体は、確かに――“未来”だ。
「接触警戒レベル2、周波数軸に乱れ!──何かが来るぞ!」
ブリッジの通信士が、慌ただしくモニターを切り替える。
その声に重なるように、センサーに無数の“尾”が現れた。
連合軍量産機〈シェイド〉の編隊。
降着流星の群れを模すように、静かに、確実に落ちてくる。
黒い機体群が描く弧線。
そして、最初の一機が確率固定弾を放つ――
“沈黙”だった。
命中音もなければ爆発もない。ただ、その場所から、音が、光が、未来そのものが消えていく。
波紋のように拡がる無音の干渉波。
観測ノードの応答が次々と凍結していき、戦術画面がホワイトアウトしていく。
「観測層、局所凍結。通信断裂が始まってます!」
別の通信士が叫んだ。制御盤のキーを激しく叩く。
「パスファインダー小隊、即時シャント展開! 広域防御パターンD-12へ!」
それは艦長席の横にいた戦術副官が出した命令だった。
リリアは黙って機体の反応速度ログを睨み、応答データを冷静に処理している。
彼女は“戦いの裏”を見ている。
だが、僕の目には“それでも追いつかない”ことが見えていた。
確率固定弾。
本来は確定した未来の軌跡を“固定”し、敵の動きを予測通りに制限するものだ。
けれどシェイドの弾頭は、まるで逆だった。選ばれた未来ではなく――“選ばれなかった可能性”を塗りつぶしていく。
視界の中で、無数の未来が断ち切られる。
誰が、どこで、どんな風に死ぬのか。
全部、等しく“あり得る”こととして僕の中に流れ込んでくる。
「再構築まで三十秒!」
その三十秒が、どれほど長い時間なのかを、僕はよく知っている。
それは、千の未来を観て、千の死を通過するだけの時間だ。
脳裏に焼きついた軌道の軌跡。
目の前の宙域が、千通りに枝分かれしていく。
そのすべてに、誰かの死が貼り付いていた。
喉が焼けた。呼吸が乾く。
僕だけが見ている、この“未来の灰”に、誰も気づかない。
そして次の瞬間、また別の揺らぎが背後から、冷気のように忍び込んできた。
シェイドとは違う、もっと深く、濃い、確率の歪み。
それが僕の内側で、ゆっくりと脈動する。
「――来る」
誰もその意味を問わない。
リリアがちらりと僕を見た気がするが、すぐに視線を戻した。
彼女には“視えない”からだ。
けれど、僕にはわかっていた。
これはただの戦闘じゃない。
誰かが、向こう側から“観測の壁”を揺らしている。
ヴァリアント・シュレーディンガーの起動準備灯が、赤から黄へと変わった。
これは予兆。
僕が、また未来を選ばされる時が来たという証拠だ。
コクピットへと向かうリフトが静かに降下してきた。
未来はもう、すでに始まっている。




