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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あなたのことを忘れない

作者: 辺野 夏子

 その日は新しく夫婦となる第四王女フェリシアと彼女の近衛騎士であったアンダーソン侯爵家嫡男ライネス、二人の門出を祝うかのように澄み渡った青空が広がっていた。


 花嫁であるフェリシアは純白の花嫁衣装に身を包み、白と緑を基調にしたブーケを握りしめ、花婿の訪れを今か今かと待っていた。彼女のそばには赤子のころから彼女に仕えている乳母が控え、愛おしそうな目でフェリシアを見つめていた。


「ねえ、マーサ。ライネスはまだかしら……」


 フェリシアは焦れた声を出した。王女の降嫁だというのに何か不手際があったのか控え室の外はがやがやと騒がしく、時折怒号さえ響いていて、フェリシアの不安を少しだけ煽る。


「もう、じきにいらっしゃいますよ」


 マーサがフェリシアの肩を撫でようとしたとき、やや乱暴に扉が開いた。


 現れたのは、ライネスではなかった。花婿と瓜二つの顔を持つ彼の双子の弟、オリバー・アンダーソンだった。


 しかし奇妙なことに、オリバーは花婿衣装に身を包んでいる。


「あなたは、オリバー、よね……?」


 目の前の異様な光景にフェリシアが立ち上がると、オリバーはゆっくりと口を開いた。


「兄は亡くなりました」


 フェリシアの手から、ブーケがこぼれ落ちた。


「昨夜、馬車に轢かれて亡くなりました。しかし、もう式は中止できません。ですからフェリシア様、代わりに弟である俺と結婚してください」


 フェリシアは目を見開いたまま硬直していた。顔には血の気がなく、まるで蝋人形のようだった。


「そんな、王女殿下の輿入れですよ、何をふざけたことを!」


 フェリシアより先に、マーサが怒りの声をあげた。


「お願いいたします!」


 オリバーは頭を下げた。


「……両親はなんと?」


 フェリシアがようやく、重い口を開いた。


「フェリシア様のご判断に任せると」


 控え室に静寂が満ち、オリバーはマーサに叩き出されるようにして控え室を出た。



「フェリシア様! これはおかしいです。絶対に、何かがあります。こんな結婚、今からでも取りやめを……」

「いいのよ、ばあや。……私、あの人と結婚するわ」


 フェリシアはゆっくりと、閉じていた瞼をあけた。その瞳には、花嫁の喜びは消え失せていた。


「な、なぜ……」

「マーサ。その代わり、お願いがあるのよ……」



 その日、結婚式は予定どおり執り行われた。花婿はオリバーに変わったが、花嫁は予定どおり王女フェリシアだった。


 フェリシア第四王女の婚約者だったアンダーソン侯爵家の嫡男ライネスは結婚式前夜に事故死したが、すでに結婚の準備が進み、王家は王女の降嫁先にふさわしい格を備えさせるため、アンダーソン侯爵家に多大な支援をしていた。だから、王家としてもフェリシアの希望を叶えられないのは残念だが、嫡男を失った侯爵家の今までの奉公に報いるために、その双子の弟との結婚を命じた。


 不幸な王女の物語を王国各地の新聞は一斉に報じたが、注目を集めた婚姻騒動も、やがて人々の関心から消えていった。


 ■■■


 アンダーソン侯爵家に第四王女フェリシアが降嫁してから、九ヶ月あまりが経過した。フェリシアは式が終わってすぐにアンダーソン侯爵家へと引っ越し、それからぱったりと姿を見なくなった。


 人々はフェリシアの存在を忘れ、そして王女を妻とし、家督を手に入れたオリバーの傍若無人さのみを語るようになった。



 ある曇天の早朝、アンダーソン侯爵家は慌ただしさに包まれた。


 奥方のフェリシアが産気づいたという報せに、使用人や医師たちが走り回っている。


 数時間後、フェリシアは男児と女児の双子を産み落とした。長男ライネスの死に塞ぎ込んでいた侯爵夫妻は、肩を寄せ合って涙を流したという。


 一方、双子の父であるオリバーはというと──『どうしても外せない社交の用事』で一晩中家を開けていた。


 屋敷の裏手では、使用人たちが顔を寄せ合い、ひそひそと会話していた。


「それにしても、若旦那様はうまいことやったわよね」

「奥様は嫁いでこられてからずっと塞ぎ込んでいたけれど、すぐに子供ができてよかったわよね。これで跡取りの母として振る舞えるわけだし」

「ライネス様のこともあったしね……。双子だし早産で心配したけど、元気そうで何よりだわ」

「ほんと、双子だなんてね。遺伝かしら。片方は、生まれ変わりだったりして……ふふ」

「ライネス様の生まれかわりなら、オリバー様に態度を改めるように注意してほしいものだわ」

「まったくよ。ああ、フェリシア様っておかわいそうよね。押しに弱い人なんだわ」

「そうねえ……」


 オリバーを乗せた馬車が戻ってきたのを見て、使用人たちは噂話をやめた。



 侯爵家の一室では、マーサに抱かれた二人の赤子を前に、オリバーが笑みを浮かべていた。仕立ての良い服を着ているが、その様子はどこかくたびれている、まるで慌てて服を着直したかのように。


「でかしたぞ、フェリシア」


 オリバーはうつむいたまま暗い表情のフェリシアに向けて尊大な態度で言い放った。


「もう、娘の名前は決まっているんだ」


 赤子の顔を覗き込んでいた侍女が、こっそりと眉をひそめた。


「華やかで美しい女になるように、ロザリアと名付ける。そう書いて届け出ておけ」


 フェリシアはうつむいていた顔をあげ、まっすぐにオリバーを見つめながら口を開いた。


「では、息子の名前は──ライネスにしますね」


 名を告げた瞬間、オリバーの足が一歩、後退した。


「……なんだと?」

「あなたが娘の名前をつけるなら、私が息子の名前をつける。当然でしょう」


 冷たく言い放つフェリシアに、オリバーはわなわなと震えた。


「そんな、前の婚約者の、しかも死んだ人間の名前だなんて──縁起が悪い!」

「あなたのお兄様でしょう。正統なるアンダーソン侯爵家の跡取りだった」


 オリバーの声が一気に上擦り、頬には酒を飲んだかのように朱が差す。


「お前は俺の妻だ。お前を孕ませたのは俺だ! 前の男の名前をつけるなっ!」


 オリバーはフェリシアと初夜を過ごした翌日から、寝室が別になった。それ以来、フェリシアには指一本触れることが許されていない。あの日は全てを手に入れた達成感で深酒をしてしまって──記憶がまったくない。


 元恋人と顔と血統が同じだから妥協したが、手ひどくして嫌われたのだろうと周囲から陰口をたたかれているのも知っている。


 しかし、フェリシアがすぐに身ごもったと告げてきたからまだ許せた。


 自分は第四王女を屈服させたのだと、兄の女を奪ってやったのだと、その感情だけがオリバーを支えていた。当主にライネスが求められていたのは、他ならぬオリバー自身がよく分かっていたからだ。


「だって、あなたが私の娘に浮気相手の名前をつけるなら、私が息子に愛する人の名前をつけたっていいでしょう?」

「な……何を……」


 言葉を詰まらせたオリバーの拳が震えた。


「私が知らないとでも思ったの? あなたの愛人の名前を」


 フェリシアの声音は穏やかだが、しっかりとした調子で言葉を紡いでいく。背筋を伸ばしたその姿は、やつれていても、寝間着姿でも、凜とした気品があった。


「……この侯爵家は俺のものだ。お前も俺の妻。王家の血が入った子供もオレのものだ。兄の名前はつけない、わかったな!」


 その言葉に、フェリシアは一切の感情を乗せず返した。


「あなたにそんな権利はありません」

「な、に……?」

「あなたには何一つ権利がないと言ったのよ、オリバー。あなたはまもなく罪を曝かれて、投獄される身ですから」


 部屋はしいんと静まり返ったが、侍女と執事がフェリシアを守るように、僅かに前に出た。


「一体、何を……」

「ライネスは死ぬべきではなかった。あの晩、あのような形で死ぬ理由などなかったの」

「……事故だった」

「違います。事件でした。あなたが仕組んだ、計画的な殺人」


 オリバーの額がぴくりと動く。


「証拠はあるのか?」

「あるわ。今頃、あなたと入れ違いに、衛兵があなたのロザリアの所に向かっているわ。……彼女は、とても口が軽いみたいね」

「……あいつが……!」


 オリバーはダンッ、と床を踏み鳴らした。


「俺のものになるはずだったんだ。家も、地位も。兄のせいで、何もかも二番目だった。あいつさえいなければ……」

「だから実の兄の乗る馬車に細工をしたのね。兄を消せば、あなたが一番になれると」

「そうだ。だから俺はライネスを殺して、全てを手に入れた。今更なんだ? 子供たちの父親を、侯爵家の嫡男を、お前の夫を犯罪者にするつもりか?」


 もう過ぎたことだと、オリバーは鼻で笑った。


 フェリシアは顔を伏せず、ただまっすぐに告げた。


「あなたは何一つ、手にしてなどいないわ。今から、その謎解きをしましょう」

「謎、だと……」


 腕を広げて鷹揚に微笑むフェリシアに、オリバーはぞくりとした寒気を感じた。オリバーの知っている一年前までのフェリシアは物静かで、自己主張が少なく、世間知らずで恋に恋するような、愚かそうな女で──。


「私の乳母のマーサは、薬師として仕えていたことをご存知でしたか?」

「し、知るか」

「そうでしょうね。あの晩、結婚式の夜、あなたのお酒には強い睡眠薬と、幻覚作用を引き起こす薬がが入っていた。あなたは朝までぐっすり眠っていた。目覚めたときには「初夜」が終わったことになっていたけれど、それは嘘。初夜の証も、私が自分で指を切って血をつけたものよ」


「……なに?」

「ですから──私はあなたに抱かれてなんていません。私の身体に、あなたが触れたことは一度もない。そんなことになるぐらいなら、私はライネス様の後を追ったほうがましです」


 フェリシアはアンダーソン侯爵家の門をくぐってから、はじめて満面の笑みを見せた。


「この子たちの父親はライネス様です」


 静かな一言が部屋の空気を変えた。


「な……」

「私たちは、結婚前に秘密を共有したの。貴族ではなく、普通の恋人同士として最初の夜を過ごしたい。ライネスは私の希望を叶えてくれたわ。……そして、ライネスの子供が欲しいという願いもね」


 オリバーは肩を震わせた。


「でたらめだ。証明できるものなんか……!」

「あなたが何を言おうと、もう意味はないの。何が真実かは、私が一番よく分かっているの」


 その言葉と同時に、扉が大きく開いた。騎士たちが部屋に踏み込み、一直線にオリバーへ向かう。


「オリバー・アンダーソン。王命により身柄を拘束する」

「ふざけるな、離せ! 俺は侯爵家の──!」


 暴れるオリバーの腕が押さえつけられ、手枷が嵌められた。


 その喧騒の中で、フェリシアは声を上げた。


「心配しないでください。この子たちは、侯爵家の跡取りとして育てます。もちろん、ちゃんと願いを込めた名前をつけてね」


 オリバーがフェリシアを口汚く罵ろうとしたその瞬間、開いた扉の向こうから、静かに侯爵夫妻が現れた。


 二人は何も言わなかった。声を荒げるオリバーには目を向けず、寝台の上のフェリシアへと歩み寄った。


 侯爵夫人が小さく頷き、侯爵は目を伏せてから、ゆっくりと、深く一礼した。


 その姿に、オリバーの表情が凍りついた。


「……お前ら……まさか、俺じゃなく……! その女を取るのか……!」


 言葉の続きは出なかった。叫びも抵抗も、騎士たちの手で押し留められたからだ。


 フェリシアはマーサの手を借りて立ち上がり、床に伏しているオリバーの前に立ち、彼を見下ろした。


「私が、なぜあなたとの結婚を了承したかわかる? ──あなたが私とライネス様にしたことを、忘れないため。この屋敷に入り込んで、真実をつかむため。──これが、私の復讐よ」


 騎士たちが言葉を発せなくなったオリバーを連行し、扉を閉めた。室内には、静かに眠る双子の寝息だけが穏やかに響いていた。


 ■■■


 柔らかな日差しが降り注ぐ侯爵家の庭には季節の花が咲き誇り、芝生の上では小さな子供たちが遊んでいる。庭の中央で、女の子が声を上げた。


「お母さま! どうしてお兄ちゃんはフェリクスって名前なの? お母さまと似てるの、ずるい!」


 叫ぶように言ったのは、フェリシアの娘ライラだった。両手を腰に当て、隣で黙って立つ兄に向かって頬を膨らませていた。


 フェリシアは椅子から立ち上がり、歩み寄ってライラを抱き上げた。


「ライラ。あなたの名前は、お父様からいただいたのよ。お父様のことをずっと忘れたくないから、大事なあなたを守ってくれるようにつけたの」

「そうなんだ。お母さまは、お父さまのことを、愛していた?」

「ええ、今でもね」


 ライラはしばらく何かを考えている様子だったが、やがて小さく頷いて、フェリシアの胸に顔を埋めた。


お読みいただきありがとうございました。普段書いてるものとは雰囲気を変えてみました。

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