32:グリュプスレベリング
ずむり、と踏みしめる土の感触が変わった。
大地の確かな感触をこれほどありがたいと思ったことはない。
――ようやく砂漠が終わった。
地面は砂から土に代わり、まばらながらもあちこちに草が生え、黄土色一辺倒だった景色に茶褐色や緑が交じる。湧き上がる達成感。そして一息。
「もう水着はいらないですよね?」
「うん。酷暑地帯は抜けたね」
そういうことなら装備を変えてしまおう。
水着から和服に着替えたが、街と違って暑さも感じない。本当に一歩の境目で劇的に環境が変わるんだな、この世界。
横を見ればウィスタリアさんも魔法使いらしいローブに着替えている。装備の切り替えは一瞬で、合間に脱げだりするわけではないのだが、それでも着替えを直視するのはよくない気がしてそっと目を逸らす。
「さあ、まだまだ歩くよ」
「……オレ、もう一週間分は歩いた気がします」
「私は数ヶ月分かも」
ここに来るまでもかなり歩いた。
まだオレの足には砂地に沈む感触が残っている。
園児の頃に入ったボールのプールを思い出す。あれも長く入っていると、出た後も足がボールで揉まれている感覚が抜けなかった。
そんな感覚を上書きするように意識して地面を強く踏みしめる。
「これがリアルに反映されたら健康に良さそうですね」
VR黎明期には登山やマラソンのゲームがポツポツ出ていたが、結局は流行らなかった。その理由は色々言われているが、ゲーム内でいくら体を動かしても不健康になるだけだったからだとオレは思っている。
そこが現実に反映されたら革命なのに。
と思ったのだが、ウィスタリアさんは首を振って、
「やだよ私は。足が太くなっちゃう」
……なるほど。そういう意見もあるか。
個人的には少しくらい太くてもいいと思うのだが。
と、不意に影が落ち、そして晴れた。
何事だろうかと空を見上げる。
空には翼を広げた鳥の姿があった。
なんだ鳥かと一度視線を下げ、いやいやいやと頭を振ってもう一度見上げる。
「あれは――」
違う。ぜんぜん違う。
よくよく見るとシルエットが鳥じゃない。胴体が妙に太い。そして鳥にはないはずの腕がある。
「グリフォンだねえ」
「てことは、ここがグリュプスの巣ですか」
「うん。ここから先はヤツらの狩り場だ。気を引き締めていこう」
「了解です」
とは言え、現状こちらの攻撃は届かない。
向こうが寄ってくるまでは何もできないわけだが――などと思っていたら、上空のシルエットが急に増えた。今の一瞬でポップしたのか? もしくは最初の一匹が偵察担当でそいつが仲間を呼んだのか?
「もう少し進んだらこっちに来るかな」
「ですか」
無造作に進めていた歩を緩め、腰の刀に手を添える。
それに反応してか、空を飛ぶ影のうちの一つがこちらに向けて落下してきた。否。落下じゃない。急降下だ。
ハヤブサの急降下はときに時速三百キロを超えるらしいが、グリフォンの速度もそれに近そうだった。速すぎて引き伸ばされた影のようにしか見えなくなる。
だから集中する。
意識を切り替える。
体感時間が引き伸ばされ、引き伸ばされた影が再びグリフォンの姿に変わる。
急降下攻撃の軌道を予想し、半歩横にずれる。
刀の柄を握り、わずかに刀身を抜き出す。
――そうして、グリフォンの突進と刀の抜きをかち合わせる。
凄まじい衝撃が腕に伝わる。
刀は確かにグリフォンの体を通過したが、その反動として車がぶつかってきたような衝撃がオレの体を突き抜けた。
「ぐっ――!」
奥歯を噛み締め、残心。
痺れる腕を抑えながら、後ろに突き抜けていったグリフォンを見る。
グリフォンの体力バーは半分ほど削れていたが、依然健在。
やはり高レベルエリアの敵は相応の体力を持っている。オレは敵に向き直って次の攻撃を仕掛けようと――
「『ロックブラスト』」
だが先にウィスタリアさんの魔法が発動する。
空中に浮かんだ大きく鋭い岩塊が、次々にグリフォンに激突していく。岩の槍がグリフォンの体を貫くたびに悲鳴が上がり体力が削れる。
そして――撃破。
グリフォンの体が光のエフェクトと共に散り、その場には銀色の鉱石が残される。
「あ、ドロップ――」
「――は後回しにした方がいいよ、ハスキーくん」
言われて警戒心を取り戻す。
見れば、遥か上空に飛んでいたグリフォンの群れは少しずつ高度を下げてきていた。そのうちの一匹が突出して近づいてくる。明らかにこちらをターゲティングしている動きだ。
「……さすがに一斉には来ないんですね」
「普通にやっている分にはね。範囲攻撃とかをするとみんな襲ってくるけど」
「それはちょっと想像したくないです、ね!」
突進してきたグリフォンを迎撃。
急降下に比べれば遥かに遅かったので、より精密な迎撃ができた。その構造から想定される骨の合間を通すように、そして内臓器官を通過するように斬る。
絶叫と共にグリフォンのグラフィックが砕ける。
我ながら会心の斬撃だった。
「――ふう」
「よし、じゃあ次行こうか。『ロックブラスト』」
え――と口を挟む暇もなかった。
ウィスタリアさんの魔法が群れの中の一匹の翼を撃ち抜き、地面に叩き落とす。
叩き落されたグリフォンが血走った怒りの目をオレに向ける。ウィスタリアさんは後衛で、オレの方が近いからそうなるのだろうが、一言言っておきたい。冤罪だ。
クチバシを大きく開き、襲ってくるグリフォン。
その攻撃を刀で弾く。あるいは避ける。合間に『守勢の極意』が発動しメッセージが出るが、それを気に留める余裕もない。
紙一重の回避、隙を見つける。
「はあっ――!」
斬撃。撃破。ドロップは金色の鉱石。
よし、これで一息――
「『ロックブラスト』」
「ウィスタリアさん!?」
さすがに抗議の声を上げるオレに対して、彼女は楽しそうに笑う。
「やっぱりすごいねハスキーくんは。まだまだ余裕そうだ」
「ないですないです! 余裕ないです!」
「またまた~」
撃ち落とされたグリフォンを相手する。
回避、斬撃、受け太刀、斬撃。
「ちなみにこのゲーム、翼のあるモンスターはほとんどの場合、翼が破壊可能部位に設定されているんだ。そうでないと近接職が何もできないからね。そしてグリュプスの弱点は地属性――だから、こういうことができるわけだね。『ロックブラスト』」
先のグリフォンを撃破した瞬間、その後ろから次のグリフォンが来る。
なるほど、さっきから飛行しながらの攻撃を受けないのは彼女が翼を破壊しているからなのだな。
それはありがたい。ありがたいが、ペースが過酷すぎはしないか。
「あの、ウィスタリアさん――」
「そういえばさっき『グリュプスは馬を見ると必ず殺す習性がある』という話をしたよね。あの話には続きがあってね、古代ギリシャの時代、不可能なことのたとえに『グリフォンと馬の交配』が使われたそうなんだけど――『ロックブラスト』」
「ぬおっ――いや、あの――」
「のちにイタリアの叙事詩『狂えるオルランド』にグリフォンと馬が交配した幻獣ヒポグリフが登場し、それは覆されることになるんだよ。『ロックブラスト』」
「さては魔法のクールタイムを使って解説してますね……!」
「バレたか。まあ時間の有効活用だよ」
三体のグリフォンを同時に相手していてはさすがに振り返ることもできないが、声からして楽しそうなことだけはわかる。
弾き、避け、避け、斬撃。
避け、弾き、斬撃、避け、斬撃、よしこれで撃破――
「『ロックブラスト』」
「ウィスタリアさんギブ! ギブですもう!」
「いやいや、ハスキーくんならもっといけるよ。私はキミを信じてるからね」
「信頼が重すぎる……!」
そうして、眼鏡のお姉さんによる幻獣解説ASMRを聞きながらのグリフォン退治はまだまだ続くのだった。
『『一騎無双』のスキル取得条件を満たしました』
『『窮地の輝き』のスキル取得条件を満たしました』
『『グリュプススレイヤー』のスキル取得条件を満たしました』




