02:『制作者よりプレイヤーへ』
「ただいま」
と言ったのは多分に習慣的なもので、家に誰もいないのはわかっていた。
玄関に鍵がかかっていたし、人の気配もなかったからだ。妹も両親もまだ帰ってきていないのだろう。
ある意味で都合がいい。
自室で部屋着に着替え、リビングに向かう。
目的はもちろん『NORN』。
一見するとマッサージチェアのようだが、しかしその実態は意識と機械をつなげてくれる極めて高度な電子機器だ。
元々は神経の病気を治す医療機器だったらしいが、今ではもっぱら娯楽のために使われている。VRゲームをしたり、VRムービーを見たり、VRライブに参加したりとかね。
NORNに腰掛け、溝に手足をすっぽりと収める。
頭をクッションに預けるとバイザーが下がってきて、スタート画面を映した。
「ええと、アナザーワールドアライバル――だっけか」
思考しただけで検索が始まり、該当ソフトを見つけてくれる。
迷わず購入し、ダウンロードとインストールを始める。しばらく時間がかかりそうだったので、ソフトの評判なんかを検索してみる。
「へえ、確かに圧倒的好評だな」
本当に思い通りに体が動くとか、NPCの受け答えが驚くほど自然だとか、マップが広大で歩いているだけで楽しいだとか。だいぶ好評よりだが、不評もないわけではない。なかったらさすがにステマを疑う。しかし否の意見の方でもゲームの出来に関してはおおむね認めているあたり、本当にすごいゲームなんだろう。
「――おっと?」
そんな中、気になるリンクを見つけた。
『制作者よりプレイヤーへ』。
そう題されたリンクだ。
リンクを思考でタップし、飛んでみる。
一瞬画面が暗転し、動画サイトに接続され、映像が始まる。
中央には一人の男が映っている。白髪交じりの癖っ毛に野暮ったい眼鏡、それからくたびれた白衣。なんだか理系の研究者っぽいなと思っていると、男が喋りだす。
『諸君、ごきげんよう。AWA開発者の仲神だ。私が思うにゲームの面白さの一つは『現実の自分ではできないことができること』だと思う。空を飛んだり魔法を使ったり気弾を放ったりは現実ではできない。だから面白い。だが――逆も言えるのではないかね』
「逆?」
思わずつぶやくと、映像の中の男はオレに答えるみたいに『そうだ』と言った。
『常勝の名将として知られるナポレオンだが、チェスはあまり強くなかった。戦術の天才豊臣秀吉も将棋は弱かった。それはなぜか。わかるかね』
いや、わからん。
『ボードゲームの窮屈なルールでは彼らの自由な発想を再現できなかったからだ。きっとつまらなかっただろう。本来できるはずのことができないのだからな。つまり――』
そこでばさっと白衣を翻し、眼鏡に光を反射させ、男は力強く言った。
『『現実で可能なことがゲームではできないというのは面白くない』のだ。それはストレスだ。ない方が楽しいはずなのだ。要するに、それこそがAWAの根幹なのだ。現実でできることはそのままに、現実ではできないことをレベルアップで可能にしていく。AWAで異世界に到着するのは他の誰でもない君自身なのだよ』
「ふぅん……」
極端だけど、一つの考え方としては面白い。
プロのテニスプレイヤーがテニスのゲームをして弱かったら、やっぱり気分は良くないだろう。本当はもっとできるのに……と思ってしまっても仕方ない。
『まあ、ゲームとして成立させるにはどうしても無理な表現や、バランスのために切り捨てざるを得ない部分もあったがね。それでも各分野の専門家に協力してもらい、私としては満足の行くものができたと思っている。ゆえに――こう結ぼう』
最後に男はにやりと笑った。
『どうか君だけの冒険を楽しんでくれ』
その言葉と同時にインストールの終了音と自動実行音が響き、意識が遠くなってゆく。それは眠気にとても近く、思考がぼやけ、そうしておれのいしきが――
ダイブした。