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19:砂漠とオアシス





 ――そこは、『境界線』だった。


 集落の外郭で、木の柵が突き立った場所。

 その一歩外はもう砂漠であり、いきなり土の質が変わっている。まるで砂漠の入口によそから持ってきた集落を後からドンと置いたみたいな、そういう不自然な景観だった。


 おそるおそる、その一歩を踏み出す。

 途端肌に突き刺さる熱気。


「うわっ――」


 思わず身を引く。

 と、それだけですぐに暑さは消え去った。

 たった一歩集落から出ただけで気温が変わる。まるで空気まで断絶しているみたいに、こちらと向こうは別世界になっている。


「……ゲームですね。さすがに」


 現実ならこんなことは起こらない。

 空気は混ざり気温は均一化され、ここも砂漠と変わらないくらいに暑くなっているはずだ。しかし実際にはこの通り、エリアの境目をまたぐだけで温度が激変する。


「いやいや、ところがそういうわけでもなくてね」


 それに異論を唱えたのはウィスタリアさん。

 理知的な丸メガネとファンタジーな杖と現代的な黄色いビキニがそれぞれに自己主張してめちゃめちゃ尖ったキャラデザみたいになっているが、それはさておき。


「この世界の気候は大地から湧き出す女神の神気によって決定される、という設定なんだ。つまり火の神気が濃く湧く土地の気温は高く、氷の神気が湧く場所では雪が降り積もる。そして二つの神気は混じらないので、灼熱の大地の一歩隣が極寒の雪原なんてこともあり得る」

「つまりこのへんは火の神気が強い、と?」

「そういうことだね」


 彼女はうなずきながら集落を出る。

 あまりの暑さにその顔が一瞬歪むが、すぐに水着から青色のエフェクトが出て平静を取り戻す。

 彼女に続くためにオレも砂漠へと踏み出す。

 再び信じられないほどの熱気が押し寄せてくるが、ほんの一瞬我慢すると水着から青いエフェクトが湧き出し、すーっと涼しくなってゆく。

 これが『耐暑性能』というヤツなんだろう。


「さて、この先の進み方を説明しておこうか」

「よろしくお願いします」


 軽く頭を下げて偉大なる先達の言葉に耳を傾ける。


「まずこの砂漠一帯は酷暑エリアという分類になっている。酷暑下では体力が非常にゆっくりと減少し、スタミナ消費が増大する。なかなかきついデバフだ。だがこれを回避する方法が二つある」

「その一つが水着なわけですね」

「そうだね。ただし、店売りの水着では完全に無効化するほどの耐暑値は得られない。あくまでも軽減するだけだ。そこで利用するのがもう一つの方法――」


 そう言ってウィスタリアさんは前方を指した。


「オアシスだ」


 遥か彼方まで広がる砂漠。

 その中にぽつんぽつんと点在するオアシス。

 小さな泉と、それを取り囲むように群生する木々がいくつか確認できる。


「オアシスの泉につかると酷暑ダメージが全快して耐暑値にもバフもかかる。だから水着で酷暑を軽減しつつ、オアシスを使って酷暑エリアを突破するよ。多少回り道にはなるけどね」

「了解です」


 というわけでオレたちは一番近いオアシスに向けて出発した。

 先導するウィスタリアさんの背中を追ってザクザクと砂を踏みしめる。


「ちょっと歩きづらいですね……」

「海辺の砂浜とは違うからね。けっこうずぶずぶ沈む。リアルだったら体力持たないだろうなあ」

「いくら歩いても疲れないのはゲーム様々ですね」

「まったくだ。そこも現実に準拠されてたら冒険なんかできないよ、私は」


 たぶん宝箱なり生産なりで一定の耐暑値を持つ装備を用意できれば、この砂漠は大幅にショートカットできるのだろう。

 だが現状我々にはそのアテはないので、オアシスを経由して行くしかない。


 とはいえそこに不満があるわけではない。

 前を行くウィスタリアさんの水着姿を眺めているだけで気力が無限に回復するからだ。黄色のビキニか。黄色や赤を着る人って自分のセンスに自信があるんだろうな。オレはその辺からっきしで、いつも黒や灰色に逃げてしまう。


「ちなみに、この辺にいるモンスターは主にジャイアントサイドワインダーやジャイアントスコーピオンで、現実でも砂漠にいる生き物を単純にでかくしたヤツだけど、どちらも毒を使うから注意が必要だよ」

「サイドワインダーってなんです?」

「ガラガラヘビだね」

「へえ。横文字だと無闇やたらに格好いいですね。アレを思い出しました。ブタと――なんだっけな」

「シュヴァイン?」

「ああ、それです」

「格好いいよね、ドイツ語」


 そんな話をしているうちに最初のオアシスに到着した。

 泉の水は作り物めいて澄み切っていて、それを囲むように背の高い樹木が立ち並んでいる。


「よっ――」


 どぱーんと大きな水音がした。

 周囲の観察を中断して音の源に目をやれば、ウィスタリアさんが泉に飛び込んだところだった。


「ほら、ハスキーくんも」

「はい」


 おそるおそる水の中に足を入れる。


「水を怖がるワンちゃんみたいだね」

「怖いのは水じゃなくてモンスターですけど……」

「大丈夫。少なくともβ版では水棲モンスターは出なかったよ」

「と、言われても」


 大きな水の中って、巨大な生き物がいそうで怖くないか?

 まあこれだけ澄み切っていれば、何かいたらすぐ気づくだろうけどさ。

 そう思い直し、歩を進めて最終的に肩まで浸かる。


「ふわぁぁ――」


 暑さがすーっと引いていく。

 暑い中で冷たいものに触れる感覚。足裏にはさらさらした砂の感触。ほんの少しの緑の匂いと、それを運ぶ微風。

 真夏の快楽一点集中攻撃だ。


「すごいな。入ってるだけで整いそう」

「整うのもいいけど、ここはあくまで中継地だからね。このまま対岸まで行って次のオアシスに向かうよ」

「わかりましたぁ」

「声がふわふわしてるなあ」


 水中を歩きながら手は水をかいて進んでいくウィスタリアさん。

 それに続くオレ。


「このまま水中で襲われたらひとたまりもないですね……」

「おや、ハスキーくんの腕でも無理か」

「無理ですよ。剣術は水中で振るうことを想定されてません」


 どんなに精密な動きをしても、水の重みと抵抗はそれを台無しにする。もしもそんな環境で強さを発揮したいなら、専用の剣術が必要になるだろう。

 暗中剣術なんてのは実在するが、水中剣術は寡聞にして聞いたことがない。


「まあ水中モンスターが出ないなら――」


 言いかけて、腰の刀に手をやった。

 後ろから何かが近づいてくる。バチャバチャと水をかき分けて進んでくる音がする。


「ほう、あれは――」


 振り返ったウィスタリアさんが楽しげな声を上げる。

 オレも続いて振り返ったが、彼女のような声は上げられなかった。


 ――そこに立っていたのは、一本の樹だった。


 太い幹から二本の枝が腕のように伸び、水中では根をうねらせて進んでくる。よく見ると顔もついていた。まあお世辞にもイケメンとは言えないが。


「『エント』じゃないか」


 ウィスタリアさんの言った通り、木の頭上にはエントという名前が表示され、その下に体力バーが浮かんでいる。


「知っているかい。単に巨人を意味する言葉であったエントを、いわゆる樹人として描写し定着させたのはかの有名なトールキンなんだよ。以降、様々な作品で植物型モンスターとして描かれてきた。植物であることを強調する意味で頭にtree(ツリー)をつけてトレントと呼ばれることもあるね。その着想元となったのはシェイクスピアのマクベスで――」

「面白いですが今はそれどころではなく!」


 エントとトレントの違いってそれだったんだ。

 ではなく!


「接敵しますよ! まずいな、本当に動きにくい――」

「『ストーンウォール』」


 後ろから声が聞こえたと思った瞬間、足元が急激にせり上がった。

 湧いて出たのは分厚い石板だ。考えるまでもなくウィスタリアさんの地属性魔法で、そのおかげで水面に体が出たオレは――


「はッ――!」

『グギャァァァァア!!』


 抜刀からの斬撃を正面に来たエントの顔に叩き込んだ。

 体力バーがぐっと削れる。だがなくなるほどではない。反撃の枝を跳躍して避ける。足場が石板1枚分しかないので、真上に跳躍するしかなかった。

 それを見て追いかけるように振るわれる樹腕。空中で体をねじってかろうじて躱す。肌を擦過する樹皮。削れるオレの体力ゲージ。

 今のでこんなに減るんじゃあ、直撃なら即死だな。

 思えばカトブレパスからこっち、ずっとオワタ式ゲームをやっている気がする。今日始めたばかりなんだから仕方ないのかもしれないが――


『グォォォン!』


 振るわれた三度目の攻撃は、安全を期して刀で受ける。

 火花のエフェクトが散り、耐えきれずオレは後方に弾き飛ばされ――


「『ロックブラスト』!」


 鋭く尖った岩がいくつも発射され、正確無比にエントの顔面を撃ち抜いていく。ゴリゴリと削れてゆくエントの体力ゲージ。

 あと少しで削りきれそうだ。

 吹き飛ばされながらオレは安堵した。

 が、そう思った瞬間石の弾丸は尽きて、エントは長い腕を振り上げ、そこにはウィスタリアさんがいて――


「くうっ――!」


 間に合えと念じながら刀を投げた。

 無銘はまっすぐエントの顔面に向かい――そして貫いた。

 そうしてわずかに残った体力バーが尽きたのと、ふっ飛ばされていたオレが着水するのは、たぶん同時だった。


「――ぷはっ!」


 地面に足をつけ水面に顔を出し、大きく息をする。

 と、泳いで近づいてきたウィスタリアさんが、オレの背中を支えてくれた。


「助かったよ」

「こちらこそ」


 刀を投げるなんて無様もいいところだ。

 あんなのは技でもなんでもない。無手になっても戦える程度の技量はあるつもりだが、剣士が無手になるのはそもそも下策も下策なのだ。


「っと、無銘を拾ってやらないと」

「そうだね。あっちの方に落ちてるかな」


 くっついたまま、オレの背中を押してくれるウィスタリアさん。

 オレは別に泳げないわけではないのだが。というか、背中に――


「あの、ウィスタリアさん。当たってます」

「うん? 何がだい?」

「――杖が、です」


 残念ながらラッキースケベなんて起こらなくて。

 カッティングされた黒曜石のようなウィスタリアさんの杖が背中に当たって、ちょっと痛かった。



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