16:バルトアンデルス
ウィスタリアさんは通路の脇に腰掛ける。
背にはブロックを組み合わせた迷宮の壁。色違いのものはなく、この辺に壁面組み換えのギミックはないようだった。
「――前提として、ハスキーくんにはソロでボスに挑んでもらうことになる。申し訳ないけどね」
「ちょっと待ってください」
流石に異議を挟む。
「解毒が切れただけなら全然復帰まで待ちますよ」
「私が戻ってくるまでに10回は毒になるだろう?」
「……それならそれで、オレもリスポンして解毒ポーションを買い込んできたっていい」
このダンジョンの長さと構造を考えると最初からやり直すのは面倒ではあるが、それはただ面倒なだけだ。敵の強さ的にもそれほどキツくはない。
けれどもオレの提案に、ウィスタリアさんは首を振った。
「そもそも、ここのボスの性質の問題があってね。二人で挑むよりハスキーくんがソロで挑んだ方が勝算が高いんだよ」
「ソロの方が……?」
「君と会ったのは運命だと思ったよ。スキルを取らずにリアルスキルのみで火力を出せるプレイヤーなんて、理想ではあっても実在はしないと思ってたからね」
体力バーが少しずつ減少していく中、それでもウィスタリアさんは笑いながら語った。
「さあ、私の残り時間も少ない。まずはボスの説明から始めようか――」
石造りの扉に触れる。
現実であれば百キロは優に超えるであろうバカでかい石扉が、自ら動いてオレを迎え入れる。それはもちろんここが迷宮で、ひいてはこれがゲームだから。
そう頭ではわかっていても、未だ違和感がある。
まったく、凄まじいリアリティだ。
仲神とかいうクリエイターは、いったいどうやって時代を数十年は先取りしたこのゲームを作ったのだろうか。
「――いや、今はいい。今考えるべきはそれじゃあない」
腰の刀を抜き、広い部屋の中央に向けて進んでゆく。
ドーム状の部屋の中心には、偉そうな男の石像が鎮座している。
見上げるほどに大きなその石像の、足元まで進む。
「ふぅん――」
それが服なのか鎧なのか、不勉強なオレにはわからない。
それが誰をモデルにしてるのかも、もちろんわからない。
オレにわかるのは――それが敵であるということだけだ。
「オマエがバルトアンデルスか」
石像の頭がゆっくり動いてこちらを見下ろし、ニヤリと笑った。
同時にその姿がぐにゃりと歪む。
石が粘土に変わったみたいに、潰れては伸び、伸びては縮んで、姿を変える。
ウィスタリアさんの言葉を思い出す。
『ここのボスの名前はバルトアンデルス。その名は『じきに別物』あるいは『いつでも他の何か』という意味を持ち、名前通り姿を自在に変える怪物だ。ただしこのゲームでは変身できるものは決まっていて、挑んできたパーティの誰かの姿になる』
でたらめな変形は収束し、最終的に姿を表したのは――オレだった。
いや、厳密にはオレじゃないか。犬耳めいた房のある灰色の髪をした、ゲーム内のオレ、『ハスキー』の姿だ。
そいつは腰の刀を抜くと、狂気めいた笑顔と共にこちらに斬りかかってきた。
その刀を無銘で弾く。
その一合で理解する。
なるほど、確かに力の強さはオレと同じだ。
『バルトアンデルスは、変身した相手のパラメータ、アーツ、装備を完全に模倣する。そしてスキルのみ、元になったキャラクターの五倍のレベルで所有する。そのためにベータ版ではこのゲーム最強のボスとして多くのプレイヤーを足止めした。わかるかい。例えば剣術レベル5の剣士が挑んだら、剣術レベル25になって襲ってくるんだ』
でたらめに振り回される刀を捌きながら、彼女の言葉を思い出す。
『だったら低レベルのうちに挑めばいいと思うだろう? しかし低レベルのパーティでは五十万というバルトアンデルスのボスHPを削り切ることは難しい。その上、場所もえげつない。カトブレパス牧場と毒の迷宮を突破しないといけないからね。かくてバルトアンデルスは高レベルプレイヤーにも低レベルプレイヤーにも倒せない最強のボスとなった。でもね――』
刀を弾かれ続けるうち、笑っていたバルトアンデルスの表情に困惑が浮かんできた。
絶対に相手より強くなるはずの自分に、疑問を持ち始めている顔だった。
『でも、ハスキーくんならヤツを倒せる。初期装備で、低レベルで、スキルをまったく持たず、けれどもリアルスキルで火力を出せる君は――考えられうる限り最高のバルトアンデルスキラーなんだよ』
どんどん表情に苛立ちが混じり、刀の振るい方は乱暴になっていく。
見ていられない。曲りなりにもオレと同じ姿をした者が、こんなに力任せで稚拙な剣技を振るうなんて。
まあ、仕方ないか。コイツの剣術レベルはゼロなんだから。
そこでオレは弾いていた刀を初めて躱し、体勢を崩したバルトアンデルスに思い切り斬撃を叩き込んだ。
刃が相手の体を通過し、体力バーが削れる。ほんのわずかに。
「ふぅん――」
これが五十万の体力か。なかなか分厚い。
だが、なんてことはない。必要なのが百回だろうが千回だろうが大差はない。
相手の攻撃は全部避けて、こちらの攻撃を当て続けるだけだ。
なにしろコイツはこちらの知らない初見殺しを一つも持っていないのだから。それで言えば、最初の平原のツノウサギの方がまだ怖かった。
ウィスタリアさんの言う通りだった。
毒でHPが尽きる最後の瞬間まで笑っていた彼女のことを思い出す。オレの勝利を確信していた彼女のことを。
彼女は正しかった。それを証明しよう。
「オマエみたいなズブの素人に――オレが負ける道理はどこにもない」
『第五の聖獣バルトアンデルスを撃破しました』
『撃破パーティのメンバーは『ハスキー』『ウィスタリア』です』
『エリアボスの討伐により、熱砂の街ジュピトリスが開放されました』
『未踏ダンジョンの初踏破により、称号『千変する』を獲得しました』
『このメッセージは五分後、ワールドアナウンスにも流れます』




