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田中屋の医者  作者: 春日ちよた
1/1

僕は僕で

仕事を辞めた看護師の僕。焼き魚の臭いにつられて入った奥に、普通じゃなかった普通があった。

 


    一、田中屋

   

 仕事、辞めてしまった。

なんで、僕だけがあれもこれもしなくちゃならないんだ。腐り始めたら速かった。


「いいよなぁ、看護師は辞めったって引く手あまただし。」


仲が良かったと思っていた給食スタッフに言われた。

力任せにペダルを回した。

少しでも早く病院から離れたかった。

あー、看護師だし、直ぐ再就職してやるさ。クソッタレ


何キロ過ぎた?疾走しすぎて失速し自転車が傾いた。

あっ

爺さん

急ブレーキをかけて止まったが、爺さんはオットトとよろけて左手をついた。

「すいません。大丈夫ですか」

「自転車は車道だろうが、端に寄り過ぎだ」

「すいません。白線の外を走ってたんですが…当たってませんし…」

「ぁぁああ」

「あっ、手を見せてください。ウーン。ちょっと待っててもらっていいですか。すぐに戻ってきます。」

老人は引きつっていた顔をキョトンと変えて地面の上で固まった。

僕は辺りを見渡して自販機を探し、小走りでお茶を買ってきた。

水がなかったから、無糖のジャスミンティーを手に入れて。

「すいません。ちょっと沁みるかもしれません。」

ジャスミン茶で、老人の手のひらを洗い流すと、ポケットティッシュでポンポンと水分を取っていった。

「傷はほとんどないみたいです。動きも悪くないし、きっと反射神経が良かったんですね。」

渾身の微笑みで老人の左手を捧げた。

老人が固まっている間に、カバンからワセリンと絆創膏を取りだし、数枚の絆創膏のガーゼ部分にワセリンを少量乗せて、老人の手のひらにペタペタと貼っていった。

「にいちゃん手際がいいね。お医者さんかい。」

「いえ、大怪我でなくて良かったです。家に帰ったら綺麗に洗ってくださいね。心配だったら消毒してください。お大事になさってください。」

再び渾身の笑顔を作る。

老人は未だ固まり傾向のままだ。この隙に移動しよう。

僕は気が引けたのと、疲れたので、サドルには股がらず、ハンドルを引いてゆっくり歩きだした。

数歩歩いては振り返り、ペコリとお辞儀をした。三回目のお辞儀をしたところで老人が速く行けとでも言うようにシッシッと右手を振った。

よし!いい人作戦成功。は~、とんだ災難に巻き込まれるところだった。

今日はゆっくり、安全に帰ろう。


 老人のお陰で、いつもは時間に追われて通り過ぎてい街を始めて歩いて眺めた。

なんだか、閉まっている店が多いなぁ。飲み屋街か。そう言えば、夜はキラキラしていた気がする。

ああ~なんか腹減った。マックとかなさそうだな~。どっか座れるところはないかな。


 ん、焼き魚の臭いだ焼き魚食いてー。白い飯も。

「田中屋 うえの階 ↑」

貼られたコピー用紙は薄汚れていた。


 覗いてみるか。隠れ家的な店なんだろうか。今まで何度も通ったのに全然気が付かなかった。

 たいてい暗かったし、自転車でも結構スピードを出していたからか。

 下は雑貨屋かな。ん、こっちも田中屋だ。


 今は時間だけはある。

 自転車に鍵を嵌めてビルの脇に立てかけた。


 奥に稲妻状のヒビが入ったコンクーリートの階段。これか。


 二階の踊り場に着くと、さっきより綺麗なコピー用紙に横書きで「田中屋」と貼ってあった。

「ごめんくださーい」ずっしりとした鉄の引き戸にビビりつつ、小さな声を出しながらドアを開けた。


 なんてこった。臭いは定食屋だが、見た目はクリニックだ。

 間違いない。

 なんでクリニックから焼き魚の臭いがするんだ。


「あらま、いらっしゃい。えーっと、誰かの紹介かしらっ。ちょっと待ってて、てか、診療は16時からなんだけど、、、いっか」


 妙齢の看護師らしき女性がゆっくり近寄ってきた。 

「すいません間違えました」

 すかさず出て行こうとすると、左手をつかまれた。

なんだなんだ。僕は顔が引きつっていた。嫌悪感が溢れてくる。


「いいの、いいの。問診票だけ書いてってちょうだい。先生は時間なんて有って無いようなもんだし」

 その女性は「さとう」と書かれたネームプレートを付けていた。僕をいいように使っていた最新ブランドスクラブをまとった師長を老けさせた感じだ。押しが強い。右手で僕を少し引きずりよせて、空いている左手で問診票のバインダーをひょいと取り、目を三日月状にゆがめて見せた。それ、笑顔なのかぁ。


「いや、すいません。間違えました。定食屋だと思ったんです。」

捉まれた手を振りほどき向かったドアから、銀髪の女性が飛び込ん

で来て、行く手を阻むようにドアの前に立ちはだかった。


「私の銀鱈は確保してあるんでしょうねぇ」

またもや、妙齢の女性である。銀髪が銀鱈を食うのか。


「ケイさんご飯冷めちゃいますよぉ」

奥から若っぽい男の声がした。

続いて「お先に頂いてるよー」おそらく医者か。年季の入った声である。


ご婦人同士で話が始まり、僕から興味が逸れ。。


「お昼休み中に失礼いたしました」


やっと帰れる。冒険しないでファミレスにすればよかった。

銀髪のご婦人がドアから離れてくれた。

と思ったら、踵を返して、近づいてきた。


「やだ、男の子ぉ」僕の首から胸をなめるように見返している。

「綺麗な顔ぉぉぉ あーーー、この臭いで間違えちゃったのぉ、いいわ、うん。

私の銀鱈あげるっ。腹が減っては戦はできぬってね。」


 僕は訳も分からず押し戻され、カウンターを通り抜けて休憩室らしき部屋に通された。

 そこには銀鱈が二切れずつ乗った平皿と、オクラのあえ物の小鉢、胚芽を残したご飯と何やら具沢山の味噌汁が四人前並べてあった。肩を押されて座らされ、戸惑っていると、

「わたしゃアザミに行ってくるわ」と銀髪が立ち去って行った。


 腹は減ってたし、好物が並んでいたし、食べないと帰れそうにもなかったので美味しくいただいてしまった。

 病院でもレンチン料理をしたり、ラーメンを鍋で煮たりすることはあったけど、さすがに魚は焼かない。医院とかでは普通なのかなぁ。もしかしたら働きやすいかもしれない。いやー、でも。


僕は食後に出された甘い香りの緑茶を頂きながら、迂闊にもまったりとした気分になってしまった。

 味噌汁には人参と油揚げとわかめとベージュの細い乾物らしきものが入っていた。

「あのっ、汁の白い紐みたいなの何ですか。」

「やだ、切り干し大根知らないのぉ」

「いやー普通知らないっしょ。」若い男「あっ、白井です。俺」

「あらやだ、私は佐藤けい。で、こっちは森田先生よ。」

森田医師は微笑して頭を5度右に傾けた。

「今日は無理やり誘ってびっくりさせちゃったわね。でも、これで顔見知りになったわけだからまた訪ねて来てね。」


 案外いい人そうだ。

「ごちそうさまでした。」長居するのも変なので、席を立った。

「帰る前に問診票、見るだけ見てってね。うん。」

あっさり、手を振られ僕は解放された。

 ただ食いは申し訳なかったし、とりあえず、問診票を見てみよう。お礼はおいおい考えよう。



 名前、ふりがな、生年月日、体重、相談したいところを丸で囲んでください。うんうん。よく見る全身図だ。診察に来た理由(痛み)(かゆみ)(デキモノ)ん(医師に話す予定)書かないけどあとで話すってことか。そういえば性別を書く欄がない。持ち帰り自由なパンフは「男性にも更年期がある」「たいせつな自分」「パートナーに言えないこと」「トイレが近いと思ったら」あっ、泌尿器科か。ん、僕は何かに悩んでやっと来た患者と思われてるのか。妙齢のご婦人たちの怪しい動きがやっと理解できた。ムカつく。


 改めて言うのも変だが、僕は自分に満足している。165センチは小柄だけど、顔はまあまあいい方だと思っている。そりゃ女顔かもしれないが、いい感じに筋肉もつけてるし、彼女だって欲しい時には大抵いた。見かけによらず力があるのねって、近頃やたらこき使われていた。少し動く患者がいるとヘルプに呼ばれるし、夜勤の交代も、結構な無理も、なんだかんだと受けてきた。女子がキツそうにしていると断れない。急に入れられた夜勤明けに「やだ、ひげ生えるんだ」とか当たり前なことを言われても我慢してきた。きたねーオヤジに尻を触られて「かてーな、お、にいちゃんかぁ、紛らわしいかっこスンナ」なんてことも我慢してきた。

 いや、我慢できなかったんだ。色々うんざりしていた。男の看護師は大卒でなんか資格持ってて、持ってなくても野心があって、試験受けて昇進するやつらが多い。女の中だから女に負けたくないのだ。少なくとも僕みたいにセクハラもどきで悩むやつはいない。いや、いなくはないかな。

 なんでかなぁ。もう看護師なんて辞めてやるって、いよいよ辞めてしまった日に、また働きたいって思ってしまっている。いや、辞めると師長に告げたその日にだって本当に自分が辞めることを想像出来ていなかったのかもしれない。

 この仕事を憎からず思っているのだ。    


 ゆっくりと階段を降りて通りに出た。振り返ると雑貨屋から銀髪が手を振っていた。下の階の人だったのか。お昼ご飯を横取りして申し訳なかったなあ。やたら美味しかったし。僕は視線を残して、銀髪に向かってお辞儀をした。銀髪は指を丸めてオッケー印を返してきたので、僕はもう一度お辞儀をした。すると、例の汚いコピーの張り紙の下に、剥がれて三角になったもう一枚の紙が、風で四角く戻り目に飛び込んできた。

「看護師募集 田中屋」

これが見えてたら入らなかったのになぁ。と、少しおかしくなった。



 ちょっとバイトするだけ。お礼は返さないといけないし。しなくていいのに自分に言い訳をしていた。

 なぜなら「看護師募集」の下の「給食あり」ってのが気になったからだ。 

 実家の料理は「煮るだけ」か「焼くだけ」だった。もしくは、なんちゃらキットとかを使うスピード料理だ。美味しくなかったわけではないが、料理屋以外でちゃんとした器に一品ずつ盛られた食事なんて初めてだった。しかも美味しい。

 確か、16時から診察って言ってたな。にしても遅い時間だなぁ。12時前にはいたから、朝のうちに行ってみるか。昼めし狙いだと思われるのも嫌だしな。




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