イジメ、体罰、暴力容認論
イジメや体罰、暴力を推奨している訳ではありません。
あくまで学校教育に限った話です。
暴力はいけません。
ロシアによるウクライナ侵攻から随分と経ちました。
抵抗を続けるウクライナ国民には敬意を表すると共に、一刻も早いロシア軍の撤退、停戦を望みます。
そんな中で考えました。
暴力やイジメは教育の中で必要ではないのかと。
その目的ですが、暴力に負ける事のない、不屈の心を育む為です。
イジメはいけない、暴力なんて最低だ。
それは最早常識と言えるでしょう。
現に私も冒頭に書きました。
タイトルのような事を述べる際、要らぬ摩擦を避ける為の予防策でもありますが、嘘偽りなくそう思っています。
イジメなんかなくなればいいと。
暴力の被害に遭う人がいなくなればいいと。
しかし、です。
理想を実現する形で学校教育からイジメが、暴力が徹底的に排除されてもいいのでしょうか?
それで本当にこの世からイジメが、暴力がなくなるのでしょうか?
私はそうは思いません。
むしろ被害を拡大させうると考えています。
社会に出てイジメに遭い、極端な選択、つまり自殺へと向かう子供が増えてしまうのではと。
暴力によって脅迫され、自分の意思に反した行為を強要されやすくなるのではと。
だからイジメを容認するのかと先走って批判するのはお待ち下さい。
そうではなく、イジメや暴力に負けない心を育てる為に、管理されたイジメ、管理された暴力が方法論として開発されたらいいというのがこのエッセイです。
それはどのような手法なのかとの問いには、残念ながら答えられません。
児童の心理に詳しい専門家や、実際の教育者が考える問題だと思います。
そんな方法はないと言われたら素直に諦めます。
どうしてこのような事を考えたかと申しますと、抵抗を続けるウクライナ国民の頑強な精神はどこから来るのだろうかと不思議に思ったからです。
郷土愛でしょうか?
侵略者であるロシアへの怒り?
残念ながら平和な日本に暮らす私には想像がつきかねます。
まあ、私も反骨心だけはあるつもりなので、侵略者に対しては徹底抗戦を決めるでしょうが。
それはそれとして今回のロシアをイジメる側、暴力を振るう側とし、ウクライナを被害者とすると、ウクライナの抵抗の在り方は日本の教育界が目指すべき子供達の姿ではないかと思うのです。
逃げる事があってもいいしその場は負けてもいいが、総体として負けてはいけないし諦めてもいけない。
自分の力で対処するのが困難な時には周りに助けを求める。
いかがでしょうか?
学校教育ではこのような視点に立って教育する必要があるのではと思います。
弱く愚かな我々が作る社会から、イジメや暴力がなくなる事はないでしょう。
そんな中、学校が目指すべきはイジメのない社会、暴力のない世界でしょうか?
私は違うと思います。
勿論、イジメはいけないと、暴力を容認しない教育は必要です。
しかし真に重要なのは、我々が目指すべきはイジメや暴力のない世界ではなく、イジメに負ける事のない、暴力に屈する事のない世界であるべきだと。
イメージとしては時に誰かをいじめ、時に誰かにいじめられるけれども、引きこもりや自殺に至るような事にはならない、そんな学校の姿です。
私は子供達の周りからイジメや暴力を排除し、まるで無菌室であるかのような環境で育てるべきではないと考えます。
社会に出れば他人の悪意に晒される訳ですから、子供の内にある程度の抵抗力を身につけておくべきです。
現状ではその答えの一つが武道になるのでしょうか?
逆に、イジメや暴力から遠ざけて育てた方が強い心を持つのならば、この主張はすぐさま撤回します。
暴力を排除し、暴言一つで深く傷つくようになっては本末転倒です。
人の弱さを許容し、弱さに起因する暴言、暴力など、他者から加えられる不当な圧力に負けない、強靭な心を。
傷ついても直ぐに快復する健康さを。
追加
暴言に慣れる一環として、バカとだけ相手をののしる時間を設けるとか?