1_12 「窓に! 窓に!!」
私たちは早速海岸へ向かうことにした。
馬車のシートの上で、タヌタヌはまたしてもぷりぷりと怒っていた。
<<なんで俺もついて行くんだよ!>>
(あなたの意見が聞きたいのよ)
<<約束したろ、刑務所はどうなったんだよ>>
(分かった分かった、後でね)
向かいに座ったトパースに聞こえないよう小声で彼をなだめていると。
「ん?」
窓のガラスを通して、かすかに甲高い音が聞こえてきた。
それも一つや二つではない。
楽器の重奏のように数十、数百の音の発生源が重なり合って、一つの連続した音のように聞こえてくる。
「何の音?」
「海鳥では?」
「海岸が近いのね」
よほどたくさん鳥がいるのだろうか。
と、答えはすぐ目で分かった。
「……うわっ、すっご」
道沿いに広がる光景に思わず息を飲む。
馬車の窓から見えてきた遠い海と、それを隔てる海岸は、鳥たちの楽園だった。
海岸線は一様に岩で切り立った断崖で、その中の平地や崖のでっぱりの至るところに鳥が巣を作っている。
白い海鳥。黒い水鳥。
とにかく雑多な種類の鳥たちが、思い思いの場所に巣を作って好き放題鳴いていた。
見渡す限りの海岸線全体ではどれくらいの鳥がいるのか、数える気にもなれないくらいだ。
「すごいですね」
<<こりゃすげえわ>>
窓の向こうを食い入るように見るトパースとタヌタヌの口からも、月並みな感想しか出てこない。
それくらい圧倒的な光景だった。
「営巣地ってやつかしら?」
「この国の海鳥全部がここで産まれていると言われても、納得してしまいそうです」
しばらく道なりに進む馬車の中から広がる景色にため息をついていたが、あることに気付く。
「これだけ海鳥がいるってことは、ものすごい量のエサを消費してるわよね?」
「でしょうね」
「ってことは、この海には鳥を養えるくらい魚がたくさんいるってことじゃない?」
岸壁の向こうの海に視線を向けた。
北国らしく暗い色をした海の白波の上にも、やはり無数の海鳥がエサを求めて飛び交っているのが見えた。
……これは期待して良いんじゃないのか?
「しかしお嬢様。漁獲が期待できるようなら漁師がもっといてもいいはずでは?」
「あ、そうだったわ」
税の帳簿によると、操業している漁師はほとんど無視していい数しかいないことになっている。
一体どういうことだ?
ますます分からなくなってしまった。
と、馬車がのろのろと足を緩め始めた。
「レセディ嬢。この先は馬車ではちょっと」
御者席から困った声が聞こえてきた。
どうやら領主館から続く道が終わってしまったらしい。
帰り道のことを考えたら馬車はここまでのようだ。
「分かったわ、ちょっと話を聞いてくるから待ってて」
「その間に馬を休ませても?」
「構わないわ」
馬車から降りると、すぐに潮の臭いと海風が押し寄せてきた。
この先は人がかろうじて通れるくらいの細道しかないようだ。
馬の手綱を外して楽にしてやっている御者のシリマールを残して、私たちは更に道なりに奥へ進んだ。
「これだけ切り立った崖ばっかだと、船なんかなかなか出せないわね」
「港もありませんしね」
などと言っていると、開けた場所に出た。
「なんだ、砂浜もあるんじゃない」
近くに流れ込む川でもあるのだろう。
白い砂が波の力で堆積し、だだっぴろい砂浜ができていた。
流木やら岩からゴロゴロと転がっていてなんとなくうらさびしい。
海水浴場には向かなそうな場所だ。
「お嬢様、船が」
「おっ」
トパースの指さす先に、小舟が浜に上げられていた。
両手で数えきれるくらいの舟が舳先を並べている。
一人か二人乗りであろう素朴な木製の舟で、どうやら漁に出て帰ってきたあとらしい。
「ってことは漁師は今陸にいるのね」
<<あれが漁師小屋じゃないか?>>
これは都合がいい。
タヌタヌに先導されて、私とトパースは砂浜を上がったところにある掘っ立て小屋へと向かった。
「ごめんくださーい、どなたかいらっしゃる?」
「……はいはい。何ですかな」
声をかけると、中から猫を抱いたおじさんが出てきた。
銅色に日焼けした肌とがっしりした体つきで、見るからに漁師といった風体だ。
どうやらここは網やウキといった漁具を置いておくための小屋らしい。背後に広げて手入れしている途中の網が見えた。
「あらまあ、こんなところにお嬢さん方がどんな御用で?」
私とトパースを見て、おじさんはおどろいた声を出した。
人の好さそうなおっとりした声だ。
「ちょっと私たち、領主館から来たんですけれど」
「ははあ。新しい領主様のご家族か何か?」
「まあそんなところね。ちょっとこの辺りの漁師さんについてお話をうかがいたいの」
「そういうことでしたらどうぞ。私に答えられることでしたら」
中に入れてもらう。
漁師小屋は中も粗末な作りだったが、火を起こすための炉や横になれる寝台なども用意されていた。
漁が忙しい時や体が冷えたときはここで休めるようになっているのだろう。
「この辺りに漁師さんはどれくらいいらっしゃるのかしら?」
勧められるまま椅子代わりの木箱に腰をかけながら尋ねる。
「10軒ほどですかなぁ……。ほら、おやめってば」
タヌキが気になるのだろうか、しきりに低く唸り声をあげる猫ちゃんを漁師のおじさんはあやした。
「何が獲れるんです?」
「今はスズキ。もう少しすればサケマス、冬はタラとかですかなぁ」
「へー。結構いい魚獲れるんじゃない」
美味しそうな名前が出てきて、私はますます興味を引かれた。
だとしたらやはり良い漁場なのではないか。
これは希望が持てるかもしれない。
「なんでこんなに船が少ないの? みんな小舟で漁に?」
「見ての通り、港もありませんからなぁ。毎回浜まで船を上げないといかんのです」
「ああ、なるほど……」
「それで必然、軽い小舟になるんですわ」
小舟とはいえ毎回漁に出るたび砂浜の上の方まで引き上げるのはかなりの重労働のはずだが、おじさんはこともなげに言った。
「それに網と船に税金がかかっていまして、一度に出せる数が決まってるんです」
「え、そうだったの?」
「海は代官様……ああ、今は領主様でしたか、とにかくお上の所有物でして。私らは税を払って貸していただいてる立場なんですわ」
のんびりとした口調でおじさんは答えた。
なるほど、そういう事情なら漁師になろうという人間が少ないのも当然という気がしてきた。
「まあ獲れる魚は家で食べる分と、近所に配って野菜と交換する分くらいですわ」
「漁だけじゃやっていけないの?」
「うちの嫁と子供も畑仕事をやっています」
カラカラとおじさんは笑った。
どうもあっけらかんとしていて調子が狂う。
漁は金になるのではないかと、下心を持ってやってきた自分たちがひどく後ろめたいことをしているように気分になる。
その時、にゃあとおじさんの手の中で猫が甘えた声を上げた。
「おぉ、腹が減ったかい。ちょっと失礼」
おじさんは猫を土間に下ろすと、無造作に積まれた大きめの木箱の蓋を開いた。
中には新鮮そうな小魚が無造作に入っていた。
「ほら。おあがり」
イワシを2、3匹放り投げる。
猫はとびつくと、むしゃむしゃ歯を立ててかじり始めた。
「イワシを餌にあげてるの?」
「ええ、こんなのは網に引っかかっていくらでも獲れますから」
こともなげに言われてしまう。
「良かったらおかずに持って帰られますか?」
「え、良いの?」
「はい、こんなのはいくらでも獲れますから」
おじさんは小さな新しい木箱を別に取り出すと、イワシの中でも大きなのを選んで入れてくれた。
「どうぞ」
「えー、すごい立派なイワシじゃない!」
別に私は魚に詳しい訳ではないが、それでも一目で獲れたてと分かるくらいだった。
目は黒々としているし、ウロコには立派な星がある。
脂が乗って身の厚い実に美味しそうなイワシだ。
「これ売ればお金になるんじゃない?」
「無理ですな」
「え、なんで?」
「今日食べないとダメになっちゃいますからな」
「あ、そっか……」
冷蔵庫がないんだ。
ついつい現代日本の発想になってしまうが、鮮魚を全国に売れるようになったのは長い歴史の中でほんのつい数十年だけのことだ。
痛みやすい小魚を置いておけるような、冷蔵庫付きのショーケースが置いてある魚屋などこの世界のどこにもない。
「獲れた魚を干物にして売るとかは?」
「家で食う保存食の分くらいですなあ」
「たくさん作って売るとかは?」
「家族でやる分じゃ限界がありますし、そういうことは船がたくさん出せる他の町でもやってますからなぁ」
笑顔であっさりと否定されてしまった。
トパースにイワシの入った小箱を渡しながら顔を見合わせる。
これはどう見ても税収アップにはつながらなさそうだ。
「お話聞かせてくれてどうも。お土産ありがとう」
「いえいえ、おそまつさまでした」
手を振って見送ってくれたおじさんに挨拶を返して、来た砂浜を戻る。
「完全に無駄骨だったわね……」
「えーと、その……」
「あのおじさんからもっと税金を取るだなんて無理よ……」
「でもでも、イワシはたくさんもらえましたよ?」
何とかして空気を明るくしようというのか、トパースが黄色い声を出した。
「ああそうね。それが成果ね」
「夕食は美味しい香草焼きを作りましょう!」
「楽しみにしてるわ……」
「あの、お嬢様。元気を出してください……」
陰鬱な気分のまま海岸線をとぼとぼ歩いて、置いてきた馬車まで戻る。
「お待たせ、領主館にかえ……。 あっー!?」
「?」
馬に手綱を戻そうとしたシリマールの横に、とんでもない光景が広がっていた。
「ああ! 窓に! 窓に!!」
<<何? 旧支配者?>>
「フンよ! 鳥のフンが馬車に!」
慌てて駆け寄る。
今も頭上を飛ぶ、小憎らしい羽毛布団の材料どもが垂らしたのだろう。
白いフンが筋を引いて、馬車の天井から側面にかけてを汚していた。
「あっ、これは気づきませんで」
「トパース、拭くもの持ってない!?」
「え、ええ?」
「早く早く! すぐ拭かないとシミになるのよ、鳥のフンって!」
思わず泡を食ってしまう。
折角の高級馬車が台無しではないか!
「ちょっとシミで汚れたくらいなんともないですよ。立派な馬車じゃないですか」
「ダメよ! きれいなままにしとかないと!」
「何故です?」
「もし将来お金がなくなって、下取りに出さなきゃならなくなった時に査定が下がるじゃない!」
「え、えぇ……」
トパースとシリマールが面喰らったように目を丸くした。
「……王家の紋章付きの馬車を下取りに出すんですか?」
「拭くもの、拭くものないの!?」
「今はお嬢様用のシルクのハンカチしか」
「……ちょっとさっきのおじさんのところに行ってくる!」
「えっ」
「雑巾か何かを借りてくるわ!」
海岸へと向けて慌てて引き返す私を、ぽかんと侍女と御者の二人は見送った。
<<世知辛いなあ……>>
背後でぽつりとタヌキがつぶやく声が聞こえた。




