1_8 「一体どうしたら良いんでしょう?」
「マダマさま、ちょっと良いかしら?」
領主館の一番奥の部屋がここの主の私室だ。
つまり現在はマダマさまの部屋ということになる。
「どうぞ……」
声をかけると、中から元気のない声が返ってきた。
「? 入るわよ?」
いぶかしく思いながらドアを開ける。
王都で大公夫人の邸に暮らしていた頃とは比較にならない質素な部屋。
大人用の大きなベッドの真ん中に、ぐでーっとマダマさまがうつぶせになって枕に顔を埋めていた。
「ど、どうしたの?」
「レセディ……」
何かあったのだろうか。マダマさまは形の良い眉を歪めながら、のそりと体を起こした。
「ボクは教育者失格です……」
「はぁ?」
学校で何かあったのだろうか。
刑務所で起きたことを報告するつもりだったが、とりあえず先に話を聞くことにしよう。
ベッドまで近寄って、その縁に腰を下ろした。
「何かあった?」
「今日も全然授業ができませんでした……」
くたっ、とマダマさまは横向きにした頭を再び枕に乗せた。
「今日は何人学校に来たの?」
「3人です」
また数が減ったな。最初はもう少し数が多かったはずだ。
「授業が上手くできなかったの?」
「ほとんど何も教えられませんでした……」
「えっ?」
「音楽の授業で歌を歌って、その後はなぜかみんなで外に遊びに行くことになって……」
ははぁ。
生徒たちには教師というより遊び相手としか見られていないな、さては。
「輪投げしたり、かくれんぼしたり、鬼ごっこしたり、とにかく外を走り回ることになりました……」
「大変だったわね」
「あの子たちものすごく足が速いんです……」
いくら涼しい北国とはいえ、真夏の日なただろうと全力で駆け回る子供たち相手だ。
これまで深窓の王子さまとして育ってきたマダマさまが付き合うのは結構な負担だったろう。
「それで疲れたの?」
「……少し。でもショックなことが別にあって。みんなで『役に立つ草を探すゲーム』をしたんです」
初めて聞く概念が出てきた。
「どんな遊びなの、それ」
「最初に時間を決めて、時間内に食べ物になったり薬になったり、とにかく役に立つ植物やキノコや木の実なんかを見つけてくるんです。一番種類が多い人が勝ちっていうルール」
「へぇ、面白そうね」
「ボクは5歳の女の子に負けました」
蚊の羽音のような声でマダマさまはつぶやいた。
「……ショックです」
「ま、まぁまぁ。ビギナーだから仕方ないわよ」
私のフォローは、マダマさまにはあまりなぐさめにはならなかったらしい。
魚が死んだような目で何もない空間を見つめている。
「ちなみにマダマさまが見つけられた野草って何?」
「ミントを少しだけ……」
「うーん……見つけたうちに入る?」
「微妙ですか?」
「微妙ね」
料理によく使われるミントだが、ガーデニングや耕作ではいつの間にか爆発的に増殖する厄介者だ。
勝手に生息範囲を広げていくので、この僻地でもその辺に植わっている。
「みんなすごいんです。食べられる草を見つけるだけじゃなくて、胃に効くハーブとか傷に効く薬になるとか、効能まで良く知ってるんです」
「たいしたもんね」
「教師のはずなのに、ボクの方が教えてもらってます……」
マダマさまは深々とため息をついた。
それを見て苦笑したくなってしまう。
教育とは常に教えることであり、また教えられることだというが、今のマダマさまにとってそういう理屈では納得できないだろう。
「遊びに誘われるのは、マダマさまが生徒たちに信頼してもらってる証拠よ」
「そうなんですか?」
「ええ、そうよ。子供は正直だもの」
少しは気が楽になったのか、光が戻ったマダマさまの目が私を見上げてきた。
「ごめんなさい、ボク自分のことばかり話してますね」
「良いのよ。愚痴ならいつでも聞いてあげるわ」
「……レセディ、もしかして刑務所で何かありました?」
うっ。
自然にしていたつもりなのに、結構油断のならない子だ。
「もしかして何か嫌なことがあったんですか? ……やっぱり学校は休みにして、ボクも行った方がよかったです?」
「あ、ああ。マダマさまが気にするようなことはなかったのよ」
心配そうにマダマさまが体を起こすので、慌てて弁解した。
「たまたま刑務所で亡くなった受刑者がいてね」
「え、そうなんですか?」
「アメシス神父がお葬式の支度をしなくちゃならなくなってね。帰って来たの。ちょっとバタバタして疲れただけ」
うん。これなら嘘は言っていないぞ。
今のマダマさまに呪いだとか神父が疑われているなんて暗い話題を伝えたくはなかった。
野山を駆けまわったり、自分よりも小さな子たちに振り回されたりするのは、王族に産まれたこの少年にとっては貴重な人生の体験に違いない。
苦労話であろうとその思い出をネガティブな話題で汚したくはなかった。
「刑務所の中の環境はどうでした?」
「……良いとは言えないわね」
「そうですか、やっぱり。なんとかしてあげたいですね」
「ゆくゆくはね」
とは言っても私たちはお互い、目の前のもっと重大な問題な方を先に片付ける必要があった。
残念ながらすぐさま刑務所の受刑者たちにまで恩恵を施せるほど大した力の持ち主ではないのだ。
「マダマさまは生徒のことを第一に考えてあげて」
「一体どうしたら良いんでしょう?どうやれば真面目に授業を聞いてくれると思います?」
「んー?」
ベッドの上で不安げに身を乗り出す少年が愛らしく思えて、その頭を撫でてなぐさめてやりたいという衝動をこらえるのにちょっとした努力が必要だった。
「小さい子たちでしょう? まずは授業に興味持ってもらわないとダメでしょうね」
「興味?」
「勉強して何かを身に付けるってことがどういうことか知らないのよ、まだね」
マダマさまは意外そうな顔をした。
自宅で家庭教師から英才教育を受けてきたマダマさまにとって、学識を深めるのは息をするように当然のことなのだろう。
『普通の寒村の子供たちにとってそうではない』というのが、どうも感覚的に理解しづらいようだ。
「だからまず、生徒の子たちが何が好きかを探してみたら?」
「何が好きか?」
「ええ。意外なきっかけで授業が進むかもよ」
ありふれたアドバイスだったが、マダマさまは少しの間真剣なまなざしになって考えていた。
「レセディ」
「何?」
「明日タヌタヌを貸してもらえませんか?」




