1_2「その名もオズエンデンド番外地」
どうやら物事が上手く行かないときというのは、何をやっても上手く行かなくなるものらしい。
【踏んだり蹴ったり】という言葉の意味を噛み締めながら、レセディ・ラ=ロナこと『私』はため息をついた。
「はあ……」
憂鬱な心持ちのまま、馬車の窓から見える景色を見やる。
先刻から馬車が止まったまま一切変化がない殺風景な眺めだ。
ここ【オズエンデンド】に住む以上は嫌でも毎日目にすることになる、平坦な荒れ野の向こうに鋭角な山々が連なる光景。
まるで今の私の心を象徴するかのようだった。
締め付けられた胸から上ってきた思いが声となって、唇から漏れ出た。
「あー、その辺に金貨が1億ディナールくらい落ちてないかなー……」
<<乙女が風景を見て、たそがれながら出てくるセリフがそれか>>
隣から声がする。
目だけをじろりとそちらへ向けると、馬車のシートの上から頭でっかちな丸耳の動物がこちらを見上げていた。
体の大きさは小さめの柴犬くらい。
全身が茶色い毛で覆われていて、目の周りと顔の下半分から胸にかけてと太い四本足の先端近くだけが真っ黒というツートンカラーだ。
昔話の中や焼き物でおなじみの生き物、タヌキである。
ドレスで着飾ったお嬢様が馬車で移動するおファンタジーな世界観にははっきり言ってそぐわぬ存在だが、私はもう慣れた。
「何よタヌタヌ。切実な問題よこれは」
『タヌタヌ』という呼び方がまだ馴染んでいないのか、タヌキは丸い耳をぴくぴく揺らした。
「昨日ようやく計算が終わってね、今年の領地の総収入が。そして目下の最大の問題が分かったわ」
<<ふーん? 聞かせて>>
「大きな声じゃ言えないけれど、うちにはお金が全くないわ!」
<<本当に大きな声じゃ言えねーな>>
私にだけ聞こえる声で、タヌキがぼそりとつぶやいた。
どういう理屈なのかは分からないが、私にはその声は若い男性のものに聞こえる。
メルヘンなアニメのマスコットキャラのような甲高い声だったらまだかわいげがあるのに、と思わないでもない。
「税収はスズメの涙、そしてとにかく何かを始めるにもお金がかかるのよ。今じゃ何したって赤字が出るわ」
<<アンタ王都にいたころは3,000万も自力で稼いだんだろ、なんとかならないの?>>
「田舎だから物価安いと思ってたら大間違いだったわ……」
<<違うのか?>>
「品物を他所から運ぶのに輸送費がかさむのよ……。よく考えたらそうよね、馬車で長い時間かけて運ぶんだから、往復で人も馬も何日も雇わなくちゃダメなんだったわ」
<<少女漫画の世界のはずなのに世知辛い世の中だな……>>
全くだ、もう少し優しい世界になってくれていても良いのに。
この世界が、21世紀の日本で大人気の少女漫画【ダイヤモンド・ホープ】の劇中であると知っているのは私とタヌキだけだ。
少なくとも私が今知っている限りでは。
現代日本の知識を持ったままで、片や原作漫画で主人公をいじめる悪役令嬢に、片や原作世界に存在するはずのないタヌキとして生まれてきてしまった。
なんやかんやで組むことになって、偶然知り合った男の子であるマダマさまが不遇をかこう王子様で。
流刑同然に新領地へ送られる彼を助けるために、こんな地の果てまで来てしまった。
「代官所……じゃなかった。公邸の生活環境はどうにか突貫工事でリフォームさせたけど、まだまだ作りたいものは一杯あるのに」
とはいうもののクソ田舎で強制ハードモードな領地経営に、美しい恋愛物語である原作漫画の知識が活用できるかというと正直望み薄だ。
「行政をする役所も独立して用意したいし、病院だって必要だし。学校もちゃんとした建物を造りたいってマダマさまも言ってたし……」
<<それが全部ないってのもある意味すごい気がするな>>
「でもそうなると建設費用と人員と維持費がねぇ……」
先のことを考えれば考えるほど資金の問題がつきまとってくる。
代官所に届いた請求書の束を思い返してしまって、またため息が出てきた。
「レセディ嬢!」
馬車の外から声がする。
「一度降りて頂けませんか、もう少しで車輪が動きそうなのです!」
王都では道路は石畳が当たり前だが、ここ地の果てオズエンデンドでは泥だらけのでこぼこ道ばかりだ。
四頭立ての馬車の車輪の一つが凹凸に足を取られたのを、先ほどから御者のシリマールと警護官のベリルが格闘してくれていた。
「あと舗装道路も欲しいわね」
<<馬車で出かけるたびに、こんな風に穴ぼこに車輪取られて停まるのは不便だもんな>>
タヌキと一緒に馬車から降りる。
車輪が入りこんだ凹みに砂を入れたり棒切れを押し込んだりしてどうにか動く見込みがついたようだ。
「お待たせしました、馬車は動きそうです」
「ありがとう。悪いわね、任せちゃって」
「お気遣いなく。お召し物が泥で汚れては大変です」
「道も一回砂利で覆うくらいはしないとダメかしら……。でもお金がかかるのよねぇ。緊急で必要かって言われると疑問だし……」
<<そもそもここで馬車使うのって俺たちくらいだもんな>>
「それっ、頑張れ!」
御者のシリマールが四頭の馬たちを一斉に踏ん張らせて、どうにか馬車がよろよろと動き始めた。
これで出発できる。
私たちは再び客室に乗り込んだ。
車体に異常がないかシリマールがもう一度改めてから、馬車は再出発した。
「ところでベリルはマダマさまについて行かないで良いの?」
背の高い警護官がついてきてくれるのは正直頼もしいが、彼女の任務は王族であるマダマさまを守ることのはずだ。
「問題ありません。職務として一度、監獄の状況を確認しておく必要はあります」
「職務?」
「万一囚人反乱が起きたときのために、鎮圧と対策方法を策定する必要があります。殿下のご領地の安全保障のためです」
「……」
生真面目に軍事用語を並べる背の高い警護官を前に、思わずたじろいでしまう。
「それに囚人たちが暴動を起こし、レセディ嬢を人質に取る軽挙に出ないとも限りません。殿下のお身内を警護するのも私の務めです」
「身内?」
「公爵領におられる間は、殿下のご家族に準じた警護をさせて頂きます」
「そんな。大げさよ」
「いいえ。これは殿下より直接賜った正式な命令です」
あくまでもピンと真面目に背筋を伸ばしたままベリルは言い切った。
「家族ねぇ……」
単なる言葉なのに妙に嬉しく聞こえて、ついつい口元が緩んでしまう。
「見えました。あれがオズエンデンド監獄です」
が、ふんわりした気分はすぐに霧散した。
ベリルに言われた後で、窓から見えたそれの存在に気付いた。
何もない荒野のど真ん中に、スケール感を無視したかのような不釣り合いな巨大な建造物がでんと建っている。
頑丈な石壁と言い、四方に備えた高い見張り塔といい、周囲に張り巡らされた深い空堀といい。
私には軍事要塞にしか見えなかった。
「できれば来たくはなかったわね」
<<その名もオズエンデンド番外地>>
私とタヌキが息をつく目の前で、馬車を迎えるべく空堀を渡る唯一の手段である跳ね橋が下ろされ始めた。




