1_1 「ボクが領主のマダマです」
――――――想像以上に何もないところだ。
馬車の中から外の景色を見て、トパースの受けた率直な印象だった。
ほとんど手つかずの原生林の中を通る一本道を抜けたかと思えば、今度はだだっ広い平坦な荒れ野が広がっている。
その中にまばらな民家と畑があるものの、植わっているのはカブや豆ばかりだ。
穀物は時折ライ麦の畑が見える程度。小麦は全く育てられていない。
(寒くて作物が育たないんでしょうね)
無理もあるまい、ここはファセット王国の中でも最北端。
山脈と大海に挟まれ、寒風にさらされる最果ての地だ。
オズエンデンド公爵領という大層な名前がついてはいるが、ただの貧しい田舎である。
(こんなところに来て、本当にお嬢さまは平気なのかしら?)
彼女が15年も仕えてきたロナ家の令嬢、レセディが家を飛び出したのはほんの1月ほど前のことだ。
ずっと王都で何不自由ない暮らしをしてきた深窓のお嬢様が、どういう心境の変化でこんな僻地に身を投じたのかはトパースにも定かではない。
ロナ家の使用人たちの間では『新しくオズエンデンド公爵となったマダマ王子と駆け落ちした』などという噂も流れていた。
馬鹿らしい、とトパースは心中断じていた。
いくら王家の中でも嫡流の血筋とはいえ、マダマ王子といえばまだ12歳になったばかりの子供ではないか。
彼女の知っているレセディが入れあげる相手とはどうしても思えなかった。
が、他にわざわざこんな辺境へついて行くもっともらしい理由があるのかと言われればトパースも首をひねるしかないのだった。
(ともかく私はついていくだけだわ……)
そのレセディから『できるならすぐ来て欲しい』と手紙と旅費が送られてきたのが1週間前。
取るものも取りあえず駆けつけて、こうして貸馬車に揺られて今は自分もオズエンデンド公爵領に来てしまった。
15年もすぐそばで見てきた相手である。下手な家族よりも深い付き合いだ。
今更見捨てる気は起きないし、田舎で不便を感じているのならなおさら支えてやらねば。
そう決意を固め直して、トパースは旅行鞄の持ち手を握りしめた。
「ここまでで結構です、どうもありがとう」
小じんまりとした古びた教会の前で、トパースは荷物を手に馬車を下りた。
『まずは教会をたずねて挨拶するように』と手紙にあったからだ。
ぎいぎいとやかましく音を立てる木戸を開けて敷地に入るが、人の気配がない。
「ごめんください、どなたかいらっしゃいますか?」
思い切って開け放たれたままの礼拝堂ものぞいてみたが、誰もいない。
どんな小さな教会でも教区があるならば、司祭か神父が常駐しているはずなのだが。
首をひねっていると、かすかに人の声が聞こえてきた。
「さあ、授業を始めますよ! 昨日教えたお歌を歌いましょう!」
教会の中ではない。となりに立つあばら家からだ。
敷地に入った時から見えてはいたはずなのだが、物置か何かだと思いこんで見過ごしていた。
(ひょっとして、学校?)
教会と学校が併設されていることは別段珍しいことではない。
このファセット王国で初等教育を担うのは国ではなく教会というのが常識だからだ。
トパースが不思議に思ったのは、授業を取り仕切ろうとする声が澄んだボーイソプラノであったことだ。
「ほらほら、立って並んでください」
「!?」
近づいて開いたままの窓から中の様子をうかがって、トパースは大声を出してしまいそうになった。
子供たちを前にしているのは、上品な服を着た銀髪の少年である。
小柄な上に男子にしては長い髪を整えているせいで、まるで女子のように見えるその姿を、トパースははっきりと覚えている。
アルグレート・マダマ=ラトナラジュ王子。
前王の嫡孫にして今はオズエンデンド公爵。
……つまりこの土地の領主のはずだ。
その本人が、子供たちを前にピアノを弾いていた。
「それでは始めますよ、ちゃんと歌詞は覚えていますか?」
公爵が張り切ってピアノを弾き始めたのを見て、トパースはようやく理解した。
少年は授業を受けているのではない。
授業を行っているのだ。
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そこは学舎というのはあまりに慎ましい建物だった。
どちらかというと『あばら家』か『廃屋』といった方が適した表現のようにトパースには思えた。
その中で古びた小さなピアノを前に、小柄な少年が鍵盤をつま弾いている。
その前には粗末な服を着た少女が3人、背と年の高い方から順番に立っていた。
服の方が本人たちよりも年を取っているように見えるのは、全員お下がりを着せられているからだろう。
「では大きな声で歌いましょう、ライオンとユニコーンの歌ですよ」
前奏が終わる直前にマダマが合図する。
『ライオンとユニコーンがふたりで王冠せりあった♪』
この国では誰でも知っている童謡だった。トパースでもそらで歌える有名な曲だ。
『ライオン強くて街を上下おおあばれ♪』
ピアノを弾きながらの少年と少女4人、合わせて5人分の合唱。
『白パンやったり♪ 黒パンやったり♪ ケーキやったり♪』
お世辞にも洗練されているとは言えない合唱だったが、
『やっとこすっと、おいだした♪』
終始笑顔のまま、少年は最後のキーを小気味良く叩いた。
「よくできました! とっても上手でしたよ!」
本当にそう思っているようで、マダマは自分の生徒たちへ向けて賞賛の拍手を送った。
「じゃあ次は、文字のつづりの歌を歌いましょう」
「せんせーい」
並んだ生徒たちの中で一番年少の子が声を上げた。背丈から見てまだ5歳か6歳といったところだろうか。
「何ですか?」
「おうたよりおそとであそびたーい」
窓の外を指さしながら少女は訴えた。
あまりに無邪気なおねだりに、楽譜をめくろうとしていた少年は苦笑を浮かべる。
「あのね、クォーツ。今は音楽の時間で……」
「「先生!」」
少年が名前を口にした瞬間、残った二人が同じタイミングで口をとがらせた。
「「私たちもクォーツなんですけど!」」
「あっ、そうでした。ごめんなさい」
あわあわとマダマは眉をひそめた。
何が起こっているのかトパースにはすぐ察することができた。
彼女たちは全員姉妹で、そして全員『クォーツ』という名前なのだろう。
娘の名前にはこだわらずに同じ名前をつけるのは地方の貧農の間ではよくあることだ。
下手をすれば母親も祖母も同じ名前の場合すらある。
「えっと、一番下のクォーツでしたね」
「せんせいもあそぶー」
「えぇ? でも今日は音楽と算数の授業をする予定で……」
「あそぶ!」
ワガママを言い出した一番小さなクォーツは、ピアノに近寄るとマダマの手を引き始めた。
困惑する少年の様子を見て、チャンスとばかりに他のふたりも背乗りし始める。
「かくれんぼしたい!」
「私、輪投げがしたい!」
「だ、ダメですよ。授業が遅れちゃいます!」
弱り果てた少年に、この中では一番年上らしいお姉ちゃんのクォーツが少し低い声で告げた。
「私たちだけあんまり勉強が進むと、後で授業に来られなかったお姉ちゃんたちが怒るんです」
「え? そうなんですか?」
「あんたたちだけ先に進んで生意気よ、って」
下のクォーツたちも同時にうなずいた。
どうやらここにいるのが全員の三姉妹ではなく、学校の外にクォーツはまだいるらしい。
「じゃ、じゃあ、ちょっとだけお外に出ましょう。青空授業です」
「「「やったー!」」」
「それから算数の復習をしましょうか」
「「「えー?」」」
不満そうな生徒たちに、教師である公爵は胸を張って告げた。
「みんなは嫌いみたいですけれど、算数はとっても大事なんですよ」
「先生。それ大きくなってから役に立ちますか?」
「もちろん役に立ちます。計算を覚えれば、収穫や家畜が増えてもちゃんと管理することができます」
「でもうち、10頭より多く羊を飼ったことありません」
「…………」
貧農の生活がどういうものか理解できていなかったのだろう。
少年は声を詰まらせた。
「あの、よろしいでしょうか」
会話が途切れたのを見かねて、トパースは無礼を承知で窓越しに声をかけた。
「はっ、はい!」
びくりと肩を揺らして少年が振り返る。
王族の子供らしく慌てて威厳を整えて、澄んだ声で返してくる。
「もしかして教会にご用ですか、新しい住民の方?」
「はあ、そうなるのでしょうか」
自分のことが伝わっていないのだろうか。軽く不安を覚えながらトパースは続けた。
「私トパースと申します、お嬢様……いいえ、レセディ・ラ=ロナ様から手紙を頂いてまいりましたの」
「ああ、レセディの侍女をされてた方ですね!」
ぱっと少年の顔が明るくなった。
「うかがっています、ボクが領主のマダマです。ようこそオズエンデンドへ」
「は、はぁ。光栄です」
公爵から直々にこんなあいさつを受けたことのある侍女がいるだろうか?
軽く困惑を覚えながら、トパースは状況の説明を求めた。
「あの、領主様が教会の学校で教師をなさっておられるんですか?」
「はい、そうです。教育は何といっても国の基盤ですからね!」
少年は得意げに華奢な肩をいからせた。
「今は国語と算数を教えています」
「それから音楽を?」
「え、ええ。あのピアノは代官所に置いてあったんです。……今は領主館、というかボクの家ですけど」
言い訳するように口ごもりながら、少年は3人しかいない生徒たちをちらりと横目で見やった。
「いつもはもう少し、生徒はたくさん来るんですよ」
「はぁ」
「今日はその、どこも家の手伝いが忙しいみたいで」
どうやら教育の重要さについて保護者の理解はあまり得られていないようだ。
「まだー?」
「はやくあそびたーい」
「先生、早く!」
「わわっ、待ってください!」
姉妹に手を引かれて、マダマは教室の出入り口へ連れていかれそうになる。
「あのっ、公爵さま!」
慌ててトパースは窓の内側へ身を乗り出した。
「レセディ・ラ=ロナ嬢はどちらにおいででしょうか。到着の報告をしなければならないのですが」
「あっ、ああ! レセディですか!?」
振り返りながらマダマは答えた。
「刑務所に行っています!」
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