6_14 別れの言葉
「ねえ、もうちょっと急げる?」
御者席へ面した小窓を軽く小突いて、スピードを上げるよううながした。
手綱を取るシリマールがこちらを見てうなずくと、4頭の馬車馬の脚を速めさせた。
<<寄り道なんかしてて良いのか?>>
「仕方ないわ。次いつ王都に戻ってこられるか分かんないもの」
<<時間的に無理があるんじゃね?>>
「そんなこと言ったって、このタイミングじゃないと怪しまれるでしょ!」
お見合いに出かけると家人には行っておいて、店ではなく大公夫人の邸へ向かう。
そのまま入れ替わって乗ってきた我が家の馬車には大公夫人に乗り込んでもらい、私は大公夫人の馬車へ乗って一目散というわけだ。
もちろん小心者の父親が早すぎる時間に先にレストランに入って、お見合いの準備を確認するよう仕向けたのも私だ。
何度か質問を繰り返して不安にさせてやっただけで自分から2時間も早く店入りすると言い出してきた。
こういう時は実に操りやすい父親である。
「大公夫人、うまいことやってくれてるかしら?」
<<本人が『ワシに任せろ』って言ってたんだし、なんとかするだろ。多分>>
正直不安はぬぐえない。
何故か気持ち悪いくらい上機嫌で、場にそぐわぬ豪華なドレスを着ていったのも気になって仕方がない。
が、今は楽観的なタヌキの言葉を信じるしかあるまい。
<<それより本当に寄ってくのか>>
「ええ。心残りは片付けておきたいの」
あらかじめ私が頼んだ通り、馬車は王都の中でも一番の高級住宅地へ進んでいった。
目もくらむような豪邸の中でも一際古く、優美な外見の建物の前で馬車は止まる。
トランヴァール侯爵邸。
私の元婚約者、カリナンの実家だ。
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流石は侯爵家。
屋敷の前に豪華な四頭立ての馬車が乗り込んできて、良く訓練された使用人たちは慌てて飛び出してきた。
彼らは、中から私が出てきて二度驚いた。
「カリナンをここへ呼んでもらえるかしら。 案内は良いわ、大した話じゃないから」
相手は王国でも指折りの貴族の御曹司だ。
本来ならこんな玄関前に呼びつけるような相手ではないのだが、勘弁してもらう他あるまい。
取次を頼むと、互いに顔を見合わせながらわたわたと邸内に戻っていく。
何が起こっているのか分からないといった様子だ。
無理もない。私もほんの一月前までは、王族の紋章付きの馬車で侯爵家に乗りつける日が来るとは思いもしなかった。
「何もかも目まぐるしく変わっちゃったわね……」
婚約破棄された日のことがはるか昔のことだったように思える。
誕生パーティーの夜、『これで自由の身だ』と喜んでいたの自分の気持ちが今では思い出せないくらいだ。
あの時カリナンがどんな気持ちで婚約を解消する話を切り出してきたのか、一顧だにしてこなかった。
別に罪の意識を感じているわけではない、私だって必死だったのだ。
ただ、彼の気持ちに無関心だった自分が狭量だったと今になって思うだけだ。
「やあ、レセディ。ご機嫌よう」
しばらくして従者を伴ってカリナンが姿を見せた。
嫌な顔ひとつせずに、いつものように清潔にほほ笑みを浮かべている。
「ご機嫌よう。こんなところでごめんなさい」
「良いよ、君と僕の仲だ」
カリナンは後ろでかすかに不服そうにしている従者に、手振りで邸内へ戻るよう示した。
「…………それで何の用かな?」
二人だけになったのを確認してから、カリナンが切り出した。
「あなたに言っておかないといけないことがあるの」
「何だろう……。ちょっと怖いな」
すうっ、息を吸い込んで肺に空気を取り入れた。
「ごめんなさいカリナン、白状するわ!」
「何を?」
「二年前に、あなたとの婚約が破棄されるよう仕組んだのは私なの!」
カリナンは眉ひとつ動かさなかった。
構わず勢いで続ける。
「『私が侯爵夫人にふさわしくない』って、ご親戚に悪い噂を流したのも私! フランシスがご両親に気に入られるように仕向けたのも私! 全部狙ってやったの!」
甲高い声で打ち明けているうちに、急に心の中の勇気がしぼんできた。
自分のやってきたことがとんでもない悪行に思えてきて、膝が笑いそうになってきてしまう。
しかしここで止まるわけにはいかない。
許してもらえるかどうかはカリナン次第だが、私自身の心に区切りを付けるためにもこの告白は必要なことなのだ。
誤魔化してやりすごそうとしても、自分自身が目撃している以上逃げ切れるものではない。
「最初からそのために計画して、準備して、実行したの!」
「……」
「ごめんなさい! 謝って謝り切れるものじゃないけれど、知っておいて欲しいことが一つだけあるの」
話ながら急に頭の中で考えがまとまりだして、揺らいでいた心が定まるのを感じた。
私がこの話を彼にすることを決めたのは、許しを乞うためではない。
「私があなたと結婚しなかった理由は、あなたのことが嫌いだったからじゃないわ!」
このことだけは彼に伝えなくてはならないと思ったからだ。
「あなたに責任はなくって、全部私が自分のためにやったこと! それだけは知ってて!」
「知ってたよ」
静かな表情をしたまま、ぽつりとカリナンは言った。
「――――――っ」
「君が僕と結婚する気持ちがないことは、子供の頃から分かってた」
驚くでもなく、責めるでもなく、怒るでもなく、カリナンは静かに続けた。
「でも理由が分からなかった。だからなかなか諦めきれなかったんだ」
少しだけ寂しそうにカリナンは笑った。
「婚約相手に相応しく立派な人間のように振る舞えば、君の気持が変わるかと思ってた」
「……」
「でもそうはならなかった。僕だって自分のことだけ考えてたよ」
彼を慰めなくてはいけない、と私は直観した。
そんな資格があるのかという迷いも浮かんだが、思い切って声をかける。
「そんなことしなくたって、あなたは最初から立派な人よ」
「そうかな」
「そうよ。私が一番良く知ってるわ」
この世界に産まれる前から知っている、という言葉はぐっと飲み込んだ。
「レセディ。一つだけ教えて欲しいんだ」
「何を?」
「今、幸せかい?」
ちょっと悩んだが、素直に今の気持ちを口にすることにした。
「ごめんなさい。正直分かんないわ。不幸は知ってるけど、幸せって心から思えたことがないから」
「……」
「でもね。幸せかどうかは分からないけど、気分は結構晴れやかよ」
それが偽らざる自分の気持ちだった。
「なら良いよ。安心した」
苦笑じみた笑みを浮かべたカリナンと互いに笑い合う。
少し気恥ずかしい時間が10秒続いて、20秒続いて。
終わりの時間が来た。
「ね、カリナン」
「何だい?」
「最後に握手しない?」
「握手?」
「人間同士の信頼のしるしよ」
思い切り指を伸ばして、カリナンに差し出した。
少し迷ってから、カリナンは大きな手で握り返してくる。
秀麗な顔立ちと細身の印象に比べて、骨太いしっかりとした手のひらだった。
握りしめる手を通して、私は彼の生命力と自信そのものに触れた気がした。
「そう言えば私、あなたの手を握るのって初めてだわ」
「そうだったかな」
「そうよ」
今更ながらに、そんなこともしていないのに婚約者をずっと名乗り続けていたのが不思議な気がした。
「……それじゃ」
「ええ」
指が離れて、カリナンは短い辞去の言葉を告げた。
その広い背中が屋敷の玄関へ戻っていく直前、思い切って声を上げる。
「カリナン! 貴女の今の恋人のフランシス=ホープのことだけれど!!」
カリナンは驚いて振り返った。
「近い将来、フランシスがあなたのうちの家宝のヨロイ壊しちゃうの!」
「えっ」
「時間がないから途中の経過は省いて結論だけ伝えておくわ!」
「いやその途中の経過を知りたいんだが!」
「でもヨロイを壊すのはあなたのためを思ってやることだから、あんまり怒らないであげてね? それじゃあ!!」
「ちょっ、待っ……。どういうこと!?」
青い顔をしたカリナンに手を振ってから、私は馬車に乗り込んだ。




