6_12 レセディ・ラ=ロナ
自分の気持ちを整理するのに、しばらく時間がかかった。
ロナ家の屋敷へ戻って、食事を済ませて、夜の支度を整えてから。
「ねえ、どう思う?」
ベッドに身を横たえたところで、絨毯の上にいるタヌキにたずねた。
<<主語と目的語を再入力してくれ>>
「これからのことよ。このまま子爵と結婚して良いと思う?」
<<良いんじゃない? それで全部丸く収まるし、身分も安定してハッピーエンドだろ>>
あっさりタヌキは言い切った。
「やっぱりそうなのよね……。理屈で考えると」
<<でもそんなこと質問してる時点で、アンタは結婚するのが本当に良いことだと思ってないんだろ?>>
「……自分でも良く分からない」
正直に答えた。
「お見合いとか婚活とか繰り返してた頃はやみくもに結婚を目標にしてたけれど、いざ話が進むと現実感が湧かないわ」
<<もうマリッジブルー?>>
「そうなのかしら。あなた結婚したことある?」
<<悪いが経験ない>>
だろうな。
なんとなく女性に好かれるタイプではないと薄々思っていたし。
<<おい、なんで黙った?>>
「いえ、気にしないで」
もう少し踏み込んだことを聞いてみよう。
「私が子爵婦人になってさ?」
<<うん>>
「毎日刺繍や裁縫に精を出したり、お茶会でくだらないお喋りに熱中したり、子育てに必死になってるところ想像できる?」
<<うーん、あんまり想像つかない>>
「でしょ?」
<<でも人間は慣れるもんだからなぁ>>
タヌキは思い返すように宙を見上げた。
<<初めて会った時のアンタは男の子のために菓子作ってやったり、一緒に別荘に行ったりするようには見えなかったぜ>>
「……ちょっと! 失礼じゃない、私は最初から結構尽くすタイプなのよ?」
<<そうなの?>>
「そうよ!」
<<へぇ>>
あ。信用していないなこいつ。
「……」
まあそれは良い。
したいのはこんなとりとめもない会話ではない。
私とタヌキの間でだけ通じる……そして今でしかできない話をしたいはずなのだ。
<<悪いけど、俺は人生の目的とかやりたいこととかもうなくなっちゃったから、方針は決められないよ>>
雰囲気を察したのか、タヌキは急に真面目な声になった。
<<人間としてならやりたいことはいくらか残ってたけど、タヌキになっちまったんじゃ仕方ない>>
「……それで良いの?」
<<タヌキにならなかったら、死んだあの日に全部消え去って終わりだったんだからね。後はロスタイムみたいなもんで、その場その場でこなすしかないじゃないか>>
皮肉なのか楽天的なのか、どちらとも取れる物言いをタヌキはした。
<<だからまあ、アンタに付き合うよ? 結婚して子爵家のペットになるでも、逃げ出して放浪生活するでも。見世物でダックスフントに噛み殺されるよりはずっとマシだ>>
「……ありがと」
そう言ってもらえると少し気が楽になった。
本当の意味で、私が本音を話せるのはおそらくはこの世界にはこのタヌキだけだろうから。
<<アンタはどういうつもりなんだ? そこんところはっきり教えてくれよ>>
「……薄々分かってはいたんだけれどね」
ぽつりと漏らす。
「そろそろ私も覚悟決めなきゃダメかなって」
<<何の話?>>
「今までどこかお客さん気分だったのよ。好きな少女漫画の世界に迷い込んだ傍観者のつもりでいた」
<<違うのか?>>
「もうダメね。目の前にいる人たちが、漫画のキャラクターだとはどうしても思えなくなっちゃった」
<<……>>
タヌキが神妙に押し黙った。
漫画が基になっているこの世界で、原作漫画の知識がない彼に私の言うことが伝わっているかは自信がなかったが、思い切って続ける。
「生きてるし、嬉しいことがあれば喜ぶし、病気だってするし、悲しい時は泣いちゃうのよ。話の都合や作者の思惑なんてどこにも混じってないわ」
体を起こして、ベッドから絨毯の上のタヌキと目を合わせる。
「私とあなたとおんなじ。何も変わりないのよ」
自分が悪役令嬢だと悟ったのが13歳の時。
こんな単純なことに気付くのに7年もかかってしまった。
自分の思い上がりには呆れるばかりだが。
……不思議と気分は晴れやかだ。
「マダマさまには言ったんだけれどね、夢とおんなじよ。ちょっと予習の範囲が広いだけで、特別でもなんでもないんだわ」
<<アンタがそれで納得できるなら、それで良いよ>>
「だからさ、あなたも私のこといい加減レセディって呼んでよ」
タヌキは驚いて目を丸くした。
「わざとそうは呼ばないようにしてるでしょ?」
<<……気付いてたのか>>
「ええ、もう遠慮しなくて良いわよ。どうせ日本にはどうやったって帰れないんだし、もうレセディ・ラ=ロナとして生きるしかないんだわ」
神妙な顔をしてタヌキは私の話を聞いていた。
「この世界を創作の中だとか、仮の場所だとか思うのはもうやめた。腹決めて向き合わなきゃ。ようやくそういう気持ちになれてきた」
「……」
タヌキは息をつくと、短くて太い自分の前足をじっと見つめた。
<<俺もいい加減、自分がタヌキだってことを認めなきゃダメなのかなぁ>>
「まだ諦めてなかったの?」
<<いや、そんな簡単に受け入れられるはずないだろ。だってタヌキだぞ、タヌキ>>
彼は食ってかかってきた。
<<例えば神様がいきなり出てきて『来世では悪役令嬢とタヌキどっちに生まれ変わるのが良いか?』って聞いてきたらどう答える?>>
「悪役令嬢ね」
即答する。
<<俺だって貴族のイケメン男子に生まれ変われるんならそうしてたわ!>>
「ああ、まあそうでしょうね。ごめんなさい」
彼と立場を代わってやれるかと言われれば、悪いが絶対にノーだ。
「とにかく改めて、これからよろしく。タヌタヌ」
<<……ならさぁ、せめてもっとこう気の利いた名前付けてくれよ?>>
「えっ?」
タヌキは不意に顔をしかめて、思わぬところで噛みついてきた。
「タヌタヌでいいじゃない」
<<嫌だよ。なんか間抜けだし、そもそも聞き間違いじゃないか>>
そういえばそうだった。
とっさに名前を思いつかずに私が口ごもったのを、マダマさまが勝手に勘違いしたのだ。
「えーと、じゃあ改めて……」
思案してみたものの、一向に良い案は思い浮かばない。
「あー、ごめん。もうタヌタヌ以外思いつかないわ」
<<なんだと!?>>
タヌキは血相を変えた。
「良いじゃないもうタヌタヌで。かわいいし。なんだかいつの間にか私の中でも定着しちゃった」
<<俺は承服してない!>>
「じゃあどんなのが良い?」
<<ん?>>
「いっそ自分で自分の名前付けたら?」
<<ああ、その手があったか! おう、そうするぜ!>>
いきなり乗り気になったタヌキは、顔色をぱっと明るくして嬉々として自分のネーミングを考え始めた。
<<上品で、格好良くて、気の利いていて、それで親しみやすい、最高の名前を……!>>
しばらくの間、タヌキは思索に没頭した。
部屋の中をずっとうろうろしたり。
ベッドの足にもたれかかったり。
絨毯の上に転がって何故か大股開きになったり。
「何か良いの思いついた?」
いいかげん頃合いを見計らって声をかける。
タヌキは自分の寝床に引き返しながら、背中で答えてきた。
<<ぜんぜん>>
「どうする?」
<<…………もういいや、タヌタヌで>>
「うん分かった」
そういうことになった。
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そして、お見合いの当日。
「行ってくるわね、トパース」
この一週間で整えた支度を再確認してから、侍女の見送りを受けて私は馬車に乗り込んだ。




