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6_9 縁談

 マダマさまの部屋を出る。

大公夫人は所在なさげに、腕の中のタヌキのヒゲを指先で引っ張っていた。



「ど、どうじゃった?」

「…………」



 黙ったまま小さく首を振る。

水にインクを垂らした時のように、大公夫人の顔に落胆が広がった。



 頭を下げて神妙な顔をしていたタヌキを受け取ると、そのまま辞去しようとする。

ぽつねんと一人立ち尽くす大公夫人を背に、タヌキを抱いて廊下を進んだ。



<<……良いのか? 無理に止めなくて>>

(聞こえてたの?)

<<実はタヌキは耳も良いんだ>>



 少し自慢げにタヌキは片目を細めた。



<<あの坊やひとりがどうこうしたところで、貧困対策になるとは思えないけど>>

(それでも行くんですって)

<<止めてやった方があの子のためなんじゃない?>>

(無理よ)



 タヌキは意外そうな顔をした。



<<ずいぶん簡単にあきらめるんだな!>>

(そう?)

<<この前みたいにどんな手を使ってでも王子様を領地には行かせないと思ってた>>

(……結局私は、何も成長してないままみたい)

<<は? どういうこと?>>

(正しいことをしようとしている人を邪魔したくても、失敗するのよ。必ずね)



 自嘲を込めて、タヌキの耳にそっとささやく。



(何せ悪役令嬢ですからね。正論には勝てないわ)



 タヌキがその説明で納得したのかは分からないが、彼はもう何も言おうとはしなかった。

迎えに来てもらった馬車をもう一度出してもらって屋敷に帰る。

その後はマダマさまからも、大公夫人からも、私に連絡してくることはなかった。



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 2,3日は何もする気が起きなくて、自分の部屋でゴロゴロとしていた。

心から張り合いというものが消え失せたようだった。

ベッドの上に寝転んで、天井の木目についたシミをぼんやりと数え続ける。

 

 

「……」



 このひと月の間、私がしてきたことというのは何だったんだろう。

偶然から数奇な命運を背負わされた王子様と会って、仲良くなって、その命を救って。

今は彼自身の意志で、とても手の届かないような遠くへ行こうとしている。

そしてそれを止める権利も力も私にはないのだ。



<<なあ、凹むのも仕方ないと思うけどさ。そろそろ何かしない?>>



 タヌキがのそのそと寝床から起き上がった。



「……何する? あなたの毛玉でも取ってお風呂に入れる?」

<<おいおい、忘れたのか。あと1年で結婚できなきゃ修道院に入れられちまうんだろ?>>



 ああ、そういえばそうだった。

そのことにやきもきしていたのもえらく昔のことだったように思える。



「今から婚活って何したら良いの……。その辺の路上にケータイの番号とメールアドレスでも書いて貼り紙しといたら連絡もらえるかしら?」

<<おいおい、ヤケになるなよ。アンタが修道院に行っちまったら俺だって困るんだぜ? 野良タヌキはもうごめんだ>>



 少し慌てた様子で、タヌキはベッドまで近づいてきた。



<<まさかあの坊やに本気だったのか、アンタ?>>

「そんなわけないでしょ……」

<<じゃあ気分を取り直してさ。どこかに出かけて新しい出会いと恋を探しに行こうぜ>>

「…………」



 彼なりの心遣いなのか、上ずった声で歯の浮くようなセリフが飛び出してきた。

半ば呆然としながらベッドの縁によって、タヌキの顔をまじまじと見つめる。



<<どうした?>>

「いや、まさか一生のうちでタヌキからそんなこと言われる日が来るとは思わなかったから」

<<俺もまさか自分が、人にこんなクサいこと言う日が来るとは思ってなかった>>



 ぽつりと漏らしていたタヌキの耳が、ぴくぴくと揺れた。

遅れて何やらドタドタとした足音が廊下から向こうから聞こえてくる。

 


「レセディ! 喜べ!」



 ノックもせずに、父親がドアを開けて部屋に飛び込んできた。

顔中を興奮で紅潮させ、気味が悪いくらいに良い笑顔だ。

とうとう良くないお薬に手を出してハイにでもなったのだろうか?



「そんな気分になれないわよ」

「どうしてだ」

「マダマさまのことで何もできなかったから」



 ついこの間までは公爵家に嫁がせようとやっきになっていたはずの父親は、さして興味もなさそうにうなずいてきた。



「ああ、そんなことか!」

「……そんなことですって?」



 流石にカチンときた。

この男の軽薄さにもいい加減嫌気が差してきたところだ。

ここらでガツン言ってやろうと起き上がったのを制して、父親は弾んだ声で続けてきた。



「今のお前に一番必要なものがやってきたんだ。 まさにこれこそ天の助け! 我が家の先祖の遺功のおかげだな!」

「必要なもの?」

「縁談が来たんだ!」

「…………えん…だん?」

「忘れたのか! お前にとって一番大事なことだろうが!?」



 ピンとこずにオウム返しにしてしまった私に、父親は思わず勢い込んだ。



「縁談って、私に?」

「そう!」

「今更?」

「そうだよ、喜べ! お見合いだ! とてもいい話なんだ!」

「お父様がそういう妄想をしてるんでしょ?」

「おまえ! 言うにこと欠いてそれか!?」



 父親はとうとうツバを飛ばして喚きだした。

しかしどんなにまくしたてられたところで、私にはとても信じられない。



「だってそうでしょ?」

「何が!」

「いったい今更どこの誰が、婚約破棄されてもう二十歳になった行き遅れで、婚活パーティーでも王子様相手にやらかした私にお見合いを申し込むってのよ!?」

「……思ってても自分で言うか、普通?」



 流石に父親も気後れして眉間にシワをよせたが、気を取り直して大きく咳払いしてみせた。



「いや、実はスキャロップ伯爵夫人が訪ねてらしてな」

「スキャロップ伯爵夫人?」


 誰だっけ?

聞き覚えはある気がしたが誰のことだかすぐには頭から出てこない私に、足元のタヌキが助け舟を出してくれた。



<<アーモンドの食いすぎで倒れたデブのおばさんじゃなかったっけ?>>

「ああ、あの園遊会の! 死にかけてゲロ吐いたおばさん!!」

「失礼なもの言いはやめろと言ってるだろ!」



 得心が言ってついつい声を上げてしまった私と、開け放たれたドアの間を目まぐるしく父親の視線が行き来した。



「どうやって伯爵夫人と知り合ったのか私はよく知らんが……。 わざわざ仲人になって、縁談を持ってきてくださったんだぞ」

「仲人? そんなシステムがこの漫画にあったの?」

「マンガ? 良く分からんが……でかしたぞ!」


 仲介してくれる人がいるということは、どうやら父親にしか姿の見えないイマジナリー求婚者が現れたというわけではないらしい。

本当に縁談が来たのか?



「相手はカナリー子爵家の当主だ!」

「カナリー子爵?」

「王国創建以来の旧家だ、名門だぞ」



 普段なら貴族にとっての常識をわきまえない娘を叱っているはずだが、今日は上機嫌な父親は説明を加えてきた。

 


「ご当主は10年前に奥方に先立たれてな。後妻を迎えることを考えておられるそうだ」

「再婚なの、お年は?」

「今年で36歳だそうだ。ご令嬢はおられるがまだ男子はいないし、名門の正妻だぞ。子爵家ということを差し引いても余りある」



 もみ手すり手をせんばかりの勢いで、父親は満面の笑顔を浮かべた。



「……」

「おい、こんな良い話はもう二度とないぞ!?」



 喜ぶ様子を見せない私に、父親は怪訝そうに言った。

そうは言われてもそんなに無邪気に笑えるはずはなかった。


 父親は気づいていないが、そんな良い話が飛び込んでくるほど結婚市場での私の価値は高くはないはずだ。

王国に存在する貴族家は700ほどだが、確かその多くは『七代先の先祖をさかのぼれない』新興の家だったはずだ。

古い名を持つ名門の正妻になりたいと願う貴族の子女を数えるには、両手両足では足りないのである。

スキャロップ伯爵夫人が恩義を覚えていてくれていて、彼女が社交界の実力者だとしても、話がうますぎる。



(……一体何があったの?)



 自分の周りで何が起きているのか分からずに、私は狐につままれた気分になった。

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