6_5 急転
「オズエンデンド?」
その地名を聞いて、マダマさまは目を丸くした。
それまで小気味良くタヌキのアゴの下をこすっていた細い指が止まる。
「って、あの刑務所のある?」
「そう監獄のあるオズエンデンド」
再度説明すると少年は小さく息を飲んだ。
その膝の上では、ぺろりと口の周りに舌を這わせながらタヌキが物欲しげな顔で見上げている。
ついさっきまでは面倒くさそうにしていたくせに。
態度とは裏腹に、普段自分の肉球つきの前足ではかけない場所を撫でてもらうのは快感のようだ。
(だんだん心まで動物に近付いて行ってない……?)
呆れるというよりなんとなく薄気味悪ささえ覚えてしまったが、それはとりあえず脇に置いておくとして。
今はマダマさまを安心させてあげるのが先決だ。
「寒くて寂しそうなところそうですね……」
荒野と寒村しかないような僻地が自分の領地として与えられるという事実に、少年はまるで他人事のように漏らした。
ショックというより、降りかかった不幸に対して今ひとつ実感が沸かないようだ。
「あ、ああ。心配しないで。マダマさまは行かなくて良いのよ」
「行かなくて良い?」
マダマさまが小首をかしげた。
「だって病院どころか医者がいるかも怪しいような場所よ? ただでさえ体力が落ちているのに、肺炎にでもなったりしたら大変でしょ?」
「そ、そうですね……」
「だからとても赴任できる状態じゃないって説明して、現地には行かずに済むようにしてもらいましょう」
マダマさまの形のいい眉がひそめられた。
優等生が学校をずる休みしようと提案された時のような、後ろめたさを感じている顔だ。
「良いんですか、そんなことして?」
「良いの良いの! そうやって時間稼ぎしている間に大公夫人が、もっと暖かくて環境の良い領地をもらえるように手回ししてくれるわ」
私としては明るいニュースを知らせているつもりなのだが、少年の顔は晴れないままだ。
「でもレセディ」
「なに?」
「ボクが行かなかったら、オズエンデンドに住んでる人たちはどうなるんですか?」
「……」
「刑務所以外にも村や町はあるでしょう? その人たちは困らないんですか?」
少年は僻地で暮らす領民のことを気にかけていた。
私も大公夫人も、頭の片隅をかすめもしなかったことだった。
「そりゃあ……向こうで上手くやるんじゃない?」
少し考えながら私は答えた。
「今までだって王家の直轄領だったんだし、役人くらいいるでしょ? その人たちに任せれば良いのよ」
「無責任ではないですか?」
「実際領地に行かない貴族なんてたくさんいるじゃない……」
「他の人のことは関係ありません」
「ほら、餅は餅屋よ。何も知らない人間がよそから乗り込んでいくより、詳しい現地の人に任せた方が良いことだってあるでしょ?」
『12歳の男の子が行っても行かなくても統治には関係あるまい』
……と面と向かって言うわけにもいくまい。
問題の本質をぼかしていると自分でも分かっていたが、私はあえて明るい声を出した。
「だからマダマさまは何も心配しなくて良いのよ」
「はぁ……」
「もう、真面目なんだからぁ」
笑ってごまかしながら、マダマさまの頭に手を伸ばした。
そのまま『良い子良い子』と、白銀の髪に覆われた頭を撫でてやる。
気恥ずかしさでぱっと少年の顔色が変わった。
「や、やめてください! 子ども扱いしないで!」
「そんなこと言ったって、あなたはまだ12歳の男の子なのよ? 責任とか統治とか難しい話は、もっと大人になってから考えても遅くはないわ」
そうだそうだ、と自分の言葉に自分で納得する。
普通の子供なら、まだまだ友達や遊戯のことだけで頭がいっぱいの年ごろのはずだ。
少年なりに王族に産まれた使命というものを感じているらしいが、そんな重荷はもっと時間をかけて教養や体力を身に付けてから背負うようにしても良いではないか。
「はい、難しい話はこれでおしまい。あとは大公夫人にお任せましょう」
「は、はぁ……」
「そんなことより、次おみやげ持ってくるとしたらどんなのが良い?」
「? おみやげ?」
「お菓子作って持ってきてあげる約束したでしょ? マダマさまはケーキっぽいのとフルーツ系とどっちが好き? あ、フルーツケーキって食べたことある?」
結局、その日は領地の話はそれきり出てこなかった。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
それから10日ばかり。
スイーツを作ってはマダマさまのところに持って行って他愛のない話をして過ごしたり。
夏毛に生え変わり始めたタヌキの毛づくろいに悪戦苦闘したり。
とにかく久しぶりに落ち着いた日々を過ごしていた。
「なんでこんな馬鹿みたいに毛が抜けるのよ!」
<<俺に言われても>>
庭先でタヌキにブラシをかけながら、ついつい毒づいてしまう。
2、3度毛を通しただけですぐにブラシの隙間に毛玉がまとわりついてきて用をなさなくなってしまう。
その度に抜けた毛を指でつまんで取り除かなければならなかった。
<<メイドにしてもらったら? 俺もその方が嬉しい>>
「そんなことしたら因業親父に口実与えるようなもんじゃない。『ひとりで面倒みられないペットなんか処分する』なーんて言い出されたらどうすんのよ」
<<いたっ! ひっかかってる、ひっかかってる!>>
身をよじって逃げようとするタヌキを押さえつけながら、ブラシをゴシゴシとかけていると。
「お、お待ちくださいませ! まずは応接間にお通ししますから……」
「ええい、うるさい! ワシが呼んできてやる!」
何事だろうか。
侍女のトパーズの慌てた声に続いて、我が家では聞こえるはずのない人物の声が聞こえてきた。
「うん?」
<<なんだなんだ?>>
ブラシの手を止めて見上げる。
すると中庭に面した回廊の柱の間を、もう見慣れた小柄なツインテールが走っているのが見えた。
「えっ!?」
<<マジか>>
キューレット大公夫人だった。
後ろからトパースが慌てて押し留めようとするのを完全に無視しながら、こちらの姿を認めて近づいてくる。
「た、大公夫人!?」
「レセディ嬢! 緊急事態じゃ!」
信じがたいことだが私に会いに来たらしい。
先触れも案内もなしに人の家に直接押しかけるというのは、この国の大貴族として本来あり得ない行為だ。
しかも普段の傲慢な余裕はどこへやら。切羽詰まった表情で脂汗を流している。
その姿に私は思わず最悪の事態を脳裏に浮かべずにはいられなかった。
「ッ! まさかマダマさまに何か……! もしかして、マラリアが再発したとか!?」
「マダマが……マダマが……!」
ぜえぜえと息を切らして、大公夫人は眉間にシワを刻んだ。
「マダマがいきなり『オズエンデンドに行く』と言い出したんじゃ!」




