6_4 療養
「『動けない』……ってどうしてですか!?」
思わず語気が強くなってしまった。
ついさっきまで大臣に匹敵する官僚のトップたちをガミガミ叱りつけていたというのに。
私の目から見れば、大公夫人の権力があれば何だってできそうに思えてしまう。
今行使しなくてどうするというのか。
「そなたなぁ……。ワシの領地はどこじゃ?」
大公夫人は少し呆れた顔で返してきた。
「キューレット大公夫人ですから……キューレット大公国?」
「どこにあってどんな土地か知っとるのか?」
「……よく知りません」
貴族の娘としてはあるまじき了見だが、実は私は名家それぞれの領土と由来についてよく知らない。
どうしても現代日本にいたころの知識と原作漫画【ダイヤモンド・ホープ】がベースになっているせいで、漫画の劇中に出てこない情報には途端に物覚えが悪くなってしまうのだ。
大公夫人はため息をつきながら、壁に貼られた大きな地図に歩み寄った。
ファセット王国全体の地形図だ。一般に売られているものより相当詳細に地形や地名が書き込まれている。
「ここじゃ。ここがキューレット大公国」
地図の端の方に描かれた大きな島を、大公夫人は扇子で小突いた。
国土の大部分が属する大陸と海峡を挟んで向かい合う位置にある。
その全てがキューレット大公国であるとするならば、大公夫人の領土が王国の貴族で最大というのも一目で納得できる。
「30年前までは独立国じゃった。かつての父王陛下が武力で併合されたのじゃ」
いきなり血なまぐさい話が飛び出してきた。
「まあ大体想像つくとは思うが、当然『もう一度戦争してでも独立するぞ!』派と『仕方ないから大人しく併合されていよう』派で揉めに揉めてな」
「でしょうね」
「父王陛下もずっと頭を悩まされておった。結局最上位の大公国にして、王族出身の人間が爵位を継ぐ特別扱いにしてなんとか落ち着いた経緯があるのじゃ」
<<イングランドとアイルランドの関係みたいなもんか>>
床で話を聞いていたタヌキが補足してくれて、私もようやくイメージがつかめた。
王家を担いだその下で、ファセット王国の中に支配されている別の国があるようなものらしい。
「つまりワシはこの国の貴族どもの感覚では『自分たちのトップ』というより、どちらかというと『隣の国の王様』に近いわけじゃ」
「はぁ」
「そんなやつが面と向かって、貴族どもの担ぐ神輿である王族の決定に逆らったりしたらどうなると思う?」
「……面白くはないでしょうね」
こういう対立感情というものは理屈ではない。
貴族たちにとってはキューレット大公国というのは、戦争の結果で征服した土地である。当然内心では下に見ているはずだ。
その土地の主が、逆に自分たちが仕えている王のことまでないがしろにしだしてはとても穏やかではいられないだろう。
例えその領主であるキューレット大公夫人自身が正真正銘の王族であったとしても、だ。
「下手したら王族に翻意ありと思われても仕方ないぞ、それは」
大公夫人は苦い顔になった。
「だからこのことに関してはワシも慎重にならざるを得んのじゃ。王族の権威に逆らったり、政治を思うがままにしようとしていると思われたら即孤立してしまいかねんからの」
あくまで強権を振るえるのは『王族の一員として』であって、『隣の国の王様』として専横しようものなら即反発を食らう。
大公夫人はそう危惧しているようだ。
「公表される前ならなんとかしようがあったが……。こんな不意打ちを食らうとは思わなんだ。一度官報にまで載ったものを取り下げさせたりしたら王族の面子に関わるではないか!」
忌々し気に大公夫人は扇子で手のひらをぱんぱんと打ち据えた。
「おそらくはあの厚かましい宰相めの仕業じゃ! 全くこしゃくな奴め!」
宰相というのが誰だか知らないが、まるで目の前にその相手がいるかのように忌々しげに吐き捨てる。
「ちょ、ちょっと落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるか! マダマにはオズエンデンド公爵なんて不名誉な名前が一生ついて回るんじゃぞ!」
もう大公夫人はその場で地団駄を踏みそうな勢いだ。
「何という気の毒な……! ああ!」
「な、名前のことよりマダマさまのことを考えましょうよ。ただでさえマラリアで弱ってるのに、オズエンデンドなんて僻地に行ったりして風邪でも引いたりしたら……」
医療体制どころか医者がいるかも怪しいような土地だ。
また原作通り熱病を発症して2コマで往生だなんてことになりかねないではないか。
「当然じゃ! あんな木と草っぱらしかないような場所にかわいい甥っ子をやれるか!」
「ええ、そうです。絶対ダメよそんなの」
「じゃがどうする、もう公示されてしまったぞ。今更なかったことにはできん」
難しそうに大公夫人は腕組みした。
<<……なあ>>
それまで話を聞いていたタヌキが私の方を見上げてくる。
(何?)
<<行きたくなきゃ、行かなきゃ良いんじゃないか?>>
(へ?)
<<海外に領地を持ってる大公夫人がずっと首都にいるってことは、現地の統治は現地の役人がやってるってことだろ?>>
(あ)
<<現地の役人に任せれば良いんだ>>
言われてみればその通りだ。
自分の父親、ロナ伯爵が経営のためにしょっちゅう領地と王都を行き来しているもんだから盲点だった。
大公夫人はずっと王都にいるということは、領地の経営は誰かに任せきりにしているということではないか。
「だ、代官を代わりに送るというのは?」
「代官?」
「そうです。大公夫人だってずっと王都住まいで、キューレット大公国にいちいち帰ったりはしていないでしょう?」
「まあそうじゃが……ワシの場合は事情があるんじゃ。大公国は住民が自治しているということにさせておかんと、独立派が騒ぎ出しかねんからじゃぞ?」
つまり口実があれば言い訳だ。
領地に行けないやむにやまれぬ事情が。
あるではないか。格好のやつが。
「……病気療養ということにしてしまいましょう」
「病気……おぉ、その手があったか!」
大公夫人もすぐに気付いたらしい。パンと扇子を打ち鳴らした。
「ええ、謎の熱病にかかって生死の境をさまよい、今でも特別な薬を飲まなければ命も危うい状態ということにするんです」
「なるほど!」
「誰も文句は挟まないでしょう」
「何せ本当のことじゃからな! つい一昨日までは!」
「そうして半年でも一年でも時間をかせいで、その間に他の領地に変更になったことにでもすれば……」
『撤回させた』となれば大問題になるが、後から公式に『変更になった』ことにすれば反感も大して買うことはあるまい。
「ぶらかし戦法じゃな! それならワシが裏から圧力をかければなんとかなるじゃろ!」
先刻までの不機嫌はどこへやら。
すっかり夫人は喜色を取り戻していた。
「良し、それで行く! 王室にはワシから返事を出そう。『マダマ本人はとてもオズエンデンドに行くことはできんゆえに、オズエンデンドの者から代官を選びその者に統治を委任する』とな!」
話が具体的に進みだして、大公夫人はまるで冬眠から覚めた熊のように部屋中をうろうろ歩き回った。
「ではそなたからマダマに説明してくれるか?」
「私が?」
「うむ、あれはそなたを信頼しておるようじゃからな。ワシが言うよりも安心するじゃろ」
いまいち実感が湧かないのだが、大公夫人にはそのように見えるのだろうか?
別に断る理由もなかった。
「ではマダマさまには私から」
「そうしてくれ。ワシにはやることがあるからの」
「やること?」
パンパンと手を打って、大公夫人はメイドを呼びつけた。
「レセディ嬢をマダマのところへ案内せよ。それからあの三馬鹿を呼べ、説教の続きじゃ!」
部屋にいたらとても直視できない光景が繰り返されそうで、私とタヌキは慌てて退出した。




