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1_7 毒殺事件発生!?

 案の定、母は私の連れてきた動物を見て目を丸くした。



「レセディ、あなた何をしているの?」

「かわいそうな生き物を保護したの」



 初めて見るタヌキの姿に、母はたじろいだようだ。



「あなたはここに何をしに来たと思ってるの!」

「でもほっとけないわ。生き物は大事にしなさいって昔からお母様はおっしゃってたじゃない」



 母は叱ろうとするが、ここで下手に出るのは悪手だ。

思い切って言い返す。



「私そんなこと言ったかしら? でも、それとこれとは話が……」

「この子、外で見世物にされてたの。かわいそうだとは思わない?」

「ああ、そうなの。確かにかわいそうね」

「ほら見て、噛まれてケガしてるのよ? このまま毎日犬と戦わされてたらこの子死んじゃうわ!」

「ケガ? また痛そう、良心が痛むわね……。ええ、まあ、そういうことなら……」



 勢いに乗せられて、母の主張はずるずると後退し始めた。

別に彼女が特別意志薄弱という訳ではない。

貴族の娘または妻として人の言うことを聞き過ぎた結果、譲歩することに慣れてしまったのだ。

彼女がオレオレ詐欺やマルチ商法がのさばる時代に産まれなかったのは本当に幸運だったと思う。



「でもお父様が良いとおっしゃらないとうちには置けませんよ?」



 慌ててそれだけ付け加えて、母は近くに若い男がいないか再び品定めを始めた。

話はこれでおしまいだった。

 


<<……アンタのおふくろさん、チョロくないか?>>

(思ってても口にするんじゃないわよ、そういうことは!)



 かたわらのタヌキが自分と全く同じ感想を口にしたので、とっさにその前足を軽く自分の爪先で小突く。



「あら、ロナ夫人。そちらはもしかしてお嬢さんかしら?」



 知らない声をかけられたので振り向くと、かっぷくの良いご婦人が近づいてきていた。

顔の大きさも体の横幅も体重も私の二倍くらいはありそうで、歩くたびに腹の肉が揺れるのがドレスの上からでも見て取れた。

話しながらもおやつだかおつまみだかが山盛りになった小皿を手放そうとしない有様だ。



「これはスキャロップ伯爵夫人……。娘のレセディですわ」



 母が少し慌てて紹介してきたので、私も腰をかがめて型通りの挨拶をした。



「レセディ・ラ=ロナです」

「スキャロップですわ。美しいお嬢さんね」

「どうも」

「お会いできて嬉しいわ! ……あら? そういえば夜のパーティーではまだお目にかかったことがありませんわね?」

「その、娘はまだ社交界にデビューしておりませんので……」



 母は恥ずかしそうに言った。

この国で社交界にデビューして、正式に夜のパーティーやサロンといった場に招待されるのは『一人前の』女性だけだ。

つまりわざわざ親に連れられて園遊会に出ているようなのは未婚者ということになる。

その辺りの事情を一瞬でスキャロップ伯爵夫人は察した。



「ああ、失礼。そういえば例の侯爵家とのお話がありましたわね。大分前に聞いた話でしたから忘れていましたわ」



 伯爵夫人の大きな作りをした目が一瞬好奇と驚きの形をして、私は『また嫌味を言われるのか』とひそかに身構えた。

お見合いに三桁も失敗していればこれくらいのことはもう慣れっこだ。


 が、違った。



「おほほほ! 一度や二度のつまずきなんて人生の隠し味よ、お嬢さん!」


 

 心からの明るい調子で、スキャロップ伯爵夫人は愉快そうに笑った。



「気持ちは分かるわ。私も今の主人に出会えるまでは嫌な思いを何度もしましたわ。ほら、私って誤解されやすい見た目のようで」

「え、ええ。なんとなく分かります」

「くじけてはダメよ。貴女もきっと良いひとに会えて幸せになれるわ。……あら、これはノロケだったかしら?」



 盛大に声を上げてスキャロップ伯爵夫人は笑った。

私も母も愛想笑いを浮かべるしかない。

悪人ではなさそうだが、無条件に交友関係に加えるには少し抵抗のあるタイプのお方のようだ。

そこで伯爵夫人がまたおやつを口に入れて、ぼりぼりと美味しそうに頬張った。



「……あの、さっきから何を召し上がっておられるんです?」

「ああ、これ? アーモンドですわ。おひとついかが?」



 話を逸らしたくて食べ物に興味のあるふりをしたのだが、皿を差し出された。

やむなく一つ二つをつまんで口にする。



(ん?)



 炒り過ぎなのだろうか。知っているアーモンドの味に比べて妙に苦みと香りが強い気がした。



「アーモンドはとっても体に良いんですのよ」

「そうなのですか?」

「ここのアーモンドは味が濃くて、特に滋養がありそうだわ……。知り合いのお医者様に勧められましてね、たくさん食べるようにしているんですの」



(痩せた方が体にいいのでは)



と思ったがもちろん口にはしない。



「でもお嬢さんが良い相手を見つけられなくては、ロナ夫人はご心配でしょう。ようございます、この先縁談のお話を聞いたら必ずお伝えしましょう」

「そ、そうしていただけますと大変助かりますわ!」

「水臭いではありませんの、もっと早くに言っていただければ良かったのに」


 

 談笑し合う母と夫人の二人を見て、この組み合わせが希望をもたらすとは思えず私には不安でしなかったが、今は黙っているしかない。

 


「前を失礼します」

「あ、失礼」

「伯爵夫人」



 大人しそうな見た目の小柄な若い女性が割って入って来たので、私は慌ててよけた。

その人は貼り付けたような笑いを浮かべながらスキャロップ伯爵夫人に近づいた。



「お楽しみいただけておりますでしょうか?」

「あら、男爵夫人。お招きありがとう。満喫させて頂いてますわ、音楽も食事も大変結構なこと!」



 そう言って伯爵夫人はまたアーモンドを手のひら一杯分、ボリボリむさぼった。

どうやらホスト役の男爵夫人がご機嫌伺いに来たようだ。



「それは良かったです。それで、例のお話ですが……」

「ああ、あのお話。ご期待に沿えなくて申し訳ないけれど、主人を紹介するのは少し考えさせていただこうかしら?」

「そ、そんな!」



 若い男爵夫人は悲痛な声を上げた。

どうやらスキャロップ伯爵夫人のご主人の力添えを、彼女と夫は切望しているらしい。



(そう言えば政治家になりたいとか言ってたわね……)



 男爵夫人に対して、スキャロップ伯爵夫人は軽くたしなめるような口調になった。



「あなたはまだお若いから不慣れかもしれませんけれど……。軽々しく夫の仕事や交友に口を出すものではありませんわ。特に政治の話はやはり何年もお付き合いして、ご主人の人柄を見定めてからではないと」

「その、直接会ってお話しいただければ、夫の考えがご理解いただけると思いますわ。部屋を用意させますからどうか……」



 男爵夫人の話を打ち切るかのように、バタバタとスキャロップ伯爵夫人は扇子で自分の顔を仰ぎ始めた。

その態度はちょっと横柄ではないか、と私は思った。



 が、どうやら勘違いだったようだ。

本当に暑いようで、伯爵夫人の大きな額には汗が浮かんでいる。



「あら、日差しのせいかしら……? この部屋は少し暑くありませんこと?」



 私と母は顔を見合わせた。

まだ春が過ぎて間もない、それも窓を開け放した風通しのいいホールの中である。いくら人でごった返していても汗ばむほどではない。

伯爵夫人は急に大きな息をし始めた。



「なんだかおかしいわ。はしゃぎ過ぎたかしら……? 私もう、おいとま致しますわ」

「お待ちください、伯爵夫人! どうか……」



 大きな体をよたつかせて入口に戻ろうとするスキャロップ伯爵夫人を、小柄な男爵夫人は慌てて追いかけようとする。



「み、皆さまごきげん……」


 

 伯爵夫人は本当に余裕がない様子で、先ほどの豪快な態度はどこへやら、眉間にシワを盛り上げながら辞去しようとする。



「ごき、ごきげ、ゲ、ゲゲ……!」

「?」



 ろれつが回らず、口回りにだらだらと涎を垂らし始めた。

見れば顔はもう真っ赤だ。目も血走り、どう見ても普通ではない。



「あの、少し休んでいかれては……」



 心配した母が声をかけて、うつむきかけたスキャロップ伯爵夫人が応じようとしたのがとどめだった。



「……ッ!」

「キャー―――!」



 ぷつりと糸が切れた操り人形のように、伯爵夫人の大きな体は傾いた。

あとは重力に引っ張られるままだ。

そばにいた不運な男爵夫人を巻き込んで盛大に床に倒れ込む。


 音楽が止まった。

パーティ会場の空気が固まる。



「大変! 誰か来て!」

「病人か?」

「医者を呼べ!」

 


 何事かと周囲の人々が集まりだした。

だが駆けつけた彼らは、患者が先ほどまで精力的に食事と会話に励んでいたスキャロップ伯爵夫人だと知ると一様に困惑した。

元気な様子だったのが急速に症状が悪化したことに、妙な空気が流れ始める。



「伯爵夫人が病気……?」

「とてもそんな風には見えなかったぞ……?」

「まさか……毒!?」



 昏倒して息もたえだえの伯爵夫人と、その周りに散らばったアーモンドの粒を見て、誰かぽつりと漏らした。



「毒?」「毒だって!?」「アーモンドに毒が入っているぞ!」


 

 噂はあっというまに会場中に広がり、限界近かった不安に引火し、パニックになった。



「キャー――――ー!」



 気の弱い夫人が叫んだのが合図となった。

会場中の紳士と淑女はエチケットをかなぐり捨て、一斉に出入り口に殺到する。



「馬車を呼んでくれ!」

「うちの子はどこ!?」

「皆様、落ち着いて! 大丈夫、食事は安全です!」



 青い顔をしたホスト役の男爵が必死に来客を引き留めようとする。

が、群集心理に一人で立ち向かうのは無謀だった。

すぐに人の群れと恐慌と怒声に飲み込まれてしまう。

 


 私は周りの喧騒も耳に入らず、すっと血の気を引いていくのと自分の心臓の音がただただ大きくなっていくのを感じた。

倒れ込んだスキャロップ伯爵夫人と同時に床にばらまかれたアーモンドの同類が、私のお腹の中にも入っていて消化を待っているのだ。

 


「レセディ、あなたは大丈夫!? なんともない!?」

「……!!」

<<えらいことになったな……>>


 足元のタヌキがぽつりとつぶやくのが聞こえた。


続きは今日夜8時ごろ追加します。

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