5_16 レモンバーム
朝になった。
馬車を手近な町へ駆け込ませ、まだ鎧戸も開いていない雑貨店の扉を開く。
「開けて! 開けてちょうだい!」
「今何時だと……何か御用ですか?」
明らかに鼻息を荒くして出てきた店主は、私の格好と路上に止まった最高級馬車を見て眉をひそめた。
「えーと、これとこれをちょうだい!」
「いったいそんなに急いで何を……え、これだけ?」
タヌキから聞いた品目を走り書きしたメモを手渡すと、まだ眠そうな店主は目をぱちくりさせた。
「こんなもの何に使われるんです?」
「虫よけよ!」
「……王族の方とピクニックにでも行くんですか?」
「王族の命を助けに行くの!」
雑貨屋の主人は訳が分からないといった顔をした。
「ドレスを着て?」
「……そうよ、さっさと会計してちょうだい!」
これ以上話している時間が惜しい。私は財布から硬貨を取り出した。
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「で、天然物質の防虫コスチュームがこれなわけ?」
タヌキが指示したものをまとめて麻糸でしばり、蚊に狙われやすい首筋や手首を覆った。
つんとした匂いが鼻をつくが、なんの変哲もない乾燥した植物にしか見えない。
はっきり言ってガサガサしてチクチクして付け心地は最悪である。
「何このハーブ?」
<<レモンバームだ。セイヨウハッカともいう>>
タヌキが得意げに説明してくる。
<<有機化合物のシトロネラールを蚊が嫌がるんだ>>
「本当に効くの?」
<<現代日本じゃ防虫スプレーにも使われてるくらいだ>>
タヌキがそういうのならば信用するしかない。
<<俺にもつけてくれよ>>
「はいはい」
と言われてもどうまとわせれば良いのか。
ちょっと悩んでから、とりあえず束にまとめて背中に乗せる。
ずりおちないように胴体ごと麻布で軽く縛った。
ワラ束を背負っているように見えて、私はある童話の1シーンを思い出してしまった。
「……」
<<どうかした>>
「まるでカチカチ山のコスプレみたいよ」
<<やめてくれ。俺はばあさんを殴り殺したりしてないぞ。ウサギに放火される筋合いはない>>
ひるんだようにタヌキが尻尾を足の間に挟むのを無視して、用意させたもう一つのものを手に取る。
「で? もう一つの防虫グッズがこれ?」
数珠繋ぎにしたニンニクを目の当たりにして、流石に顔をしかめざるをえなかった。
「ドラキュラ退治にでも行くの?」
<<ニンニクに含まれてる高濃度のビタミンB6を蚊が嫌がるらしい>>
「らしい、って何よ」
<<エビデンスを良く知らないんだ。多分ないよりはマシだろ>>
「……どう見ても人の命を救いに行く格好じゃないわよねこれ」
ぶつぶつつぶやきながらとりあえずそのまま首にかけた。
顔と手の周りをハーブで覆って、首から数珠繋ぎのニンニクをぶらさげたスタイルは私のイメージする救命活動からは程遠かった。
控えめに言って変人か、怪しい地方の奇祭の参加者である。
「そういえばなんでドラキュラってニンニクが苦手なのかしら?」
<<ニンニクは古代エジプトから強壮薬や殺菌剤として珍重されてきたから、その連想じゃないか?>>
などと無駄話をしている間に、同じく馬車から下りて支度をしていたベリルも用意を終えたようだった。
「魔除けでニンニクを部屋に吊るすというのは聞いたことがありますが……」
やばい。『本当にこれで効くのか?』とその目が不審がっている光を放っていた。
律儀にも軍服の上からハーブとニンニクをくくりつけて、愛国心あふれる在郷軍人に見つかりでもしたらお叱りを受けそうだ。
「本当にこれで蚊に刺されないんでしょうね?」
「も、もちろんよ! 信じてちょうだい!」
私自身半信半疑だったが、あいまいな態度を取っては『真面目にやれ』と怒られかねないので強弁する。
「ローワーガードルまでもう少しよ、急ぎましょう! マダマさまが待ってるわ」
「……はぁ」
不承不承といった様子で女警護官はうなずいた。
目上の人間に対するマナーとして、馬車のドアを開いて先に乗るよううながしてくる。
乗り降りの際ドレスの裾を軽く持ち上げてくれるのもマナーのうちなのだが、元日本人OLの私としてはやはり慣れないことなのでぎょっとしてしまう。
「……」
シートに腰かけるときにある思い付きが脳裏に浮かんで、足元のタヌキに小声でたずねてみた。
「……もしかしてドラキュラって、蚊だったの?」
<<深く考えるな>>
続きは今夜追加します




