1_6 タヌキの価値は
「俺のことを助けてくれないか?」
そうタヌキに言われて、私はうなずいた。
もちろん否があるはずもない。
彼が言い出さなければ私から申し出るつもりだった。
「どうすれば良い?」
<<ここから出してくれ>>
「分かった、その辺で手頃な石を探してくるわ。カギを叩き壊してあげる」
<<落ち着け! 俺の言い方が悪かった。違法手段はよせ! アシが付いたら見つかった時連れ戻されちまうだけだ>>
私が凶器を探すべく振り返ると、タヌキが鉄格子の隙間から短い前足を必死に伸ばして制止してきた。
<<服と身なりで分かるよ。アンタ金持ちの家の人なんだろ?>>
「まあ一応ね」
<<ここの興行主から俺を買ってくれ>>
「買う? そんなことできるの?」
<<欲深のごうつくばりだから金になるなら何でもするさ。理由は適当に付けてさ>>
「理由ねぇ」
<<例えば『あまりに見た目愛らしいからペットにしたい』とか、『子供の頃に死んだ最愛の弟にそっくり』だとか>>
「うーん……。交渉してはみるけど、約束はできないわよ?」
興行側の少年を見つけて声をかけると、すぐに興行主という男はやってきた。
見るからに粗野そうな脂ぎった顔をした肥満体の中年だ。
いかにも『動物イジメ』のような胡散臭い興行に手を出すあこぎな小金持ち、といった感じだった。
「買い取りたい動物がいるんですって?」
「ええ、そうなの。この子を一目見て気に入ってね、譲ってくださいな」
私はなるべく高圧的に言った。
こういう取引は最初の印象が肝心である。
今回は『金と時間の使い道を持て余している、さる良家の子女』の路線の演技で行くことに決めた。
「気に入った?」
興行主は意外そうに、オリの中のタヌキと私の顔を見比べた。
「こいつの一体どこを?」
あまりに生真面目に本音をぶつけてこられたので、ついついたじろいでしまった。
「えーと……」
確かに若い娘が一目ぼれするにはちょっと間が抜けてる上に、みすぼらしい見た目をしている。
疑問はもっともだという気になってきた。
ついつい思いつくままの理由をでっちあげてしまった。
「うちの庭に毒キノコがたくさん生えてきて困ってるのよ」
「毒キノコ?」
「そう。使用人もうっかり触るとかぶれちゃう厄介なやつでね。若い子の手に跡が残ったりしたら大変でしょ?」
「はぁ。確かにそりゃ大変だ」
「この子を放し飼いにしたら全部食べてくれそうじゃない? ほら、毒なんか平気そうな見た目をしてるし」
<<なんだと? おい、そんな理由があるか! もっとマシなの考えてくれよ!!>>
鉄格子の中からタヌキが叫ぶが、やはりその声は興行主には全く聞こえていないようだ。
疑問は完全に氷解した、という顔つきでうんうんとうなずいてきた。
「ああ、なるほど。確かにこいつなら何でも食っちまいますよ」
<<はぁ?>>
「何しろひどい悪食でね。毒キノコだろうと構いやしません」
<<訂正しろ! これでも俺はもともと結構グルメなんだぞ!!>>
鉄格子に両手をかけてタヌキが抗議するが、もちろん興行主の耳に届きはしなかった。
「そういう理由で、譲っていただきたいの。ああ、もちろんお代はお支払いしますわ」
ここが肝心だ。ものの値打ちをしらない小娘と侮られては元も子もない。
いかにも買い物に慣れている、という余裕のある素振りでハンドバッグの口を開いて見せる。
興行主はちょっと迷ってからタヌキの入ったオリを見た。
「こいつは東方の大森林で猟師が捕まえたって触れ込みで、出入りの毛皮商から手に入れたもんでね」
「へえ、そうなの?」
「確かに見た目は珍しいし、貴重な生き物だってんで買い入れたんですが……」
興行主はもったいぶって言葉を切ってみせた。
ほら来た、と思った。
交渉をカードの勝負で例えるなら、自分の手札がいかに強いかをアピールする時のお決まり手口だ。
<<高い値をふっかけるつもりだな? 頼む、うまいこと交渉してくれ!>>
オリの中のタヌキに言われるまでもない。
私は手持ちの現金と、興行主がぶち上げてくるであろうボッタクリ価格とをさっと頭の中で計算してみた。
あまりに過大な要求をしてくるようなら隠し預金に手をつけねばならない。
もうこの時には、私はいくら払ってでも彼を救うと心に決めていた。
……が、意外なことに興行主は大仰に肩をすくめて見せた。
「でも人気出ないし、すぐ気絶しちまうし、正直言って値打ちがないんですよ」
<<……ナニ?>>
「はっきり言って飼ってても餌代だけ損してる状態でね。むしろタダで引き取ってくれるんならありがたいくらい」
<<ちょ、待て。そりゃないだろ!?>>
「だから差し上げます。庭がキレイになると良いですね」
興行主はオリのカギを開くと、タヌキの首根っこをつかんで私に差し出してきた。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
「結構いい人だったじゃない」
<<どこが!>>
念願の自由を手に入れたというのにタヌキはご機嫌斜めのようだった。
短い手足で不機嫌気に地面を踏みしめている。
<<俺に値打ちがないだと! ふざけんな!>>
「確かにやっかい払いかもしれないけど、すんなり抜けられて良かったじゃない」
タヌキはまだ怒りが収まらぬといった具合でその場でぐるぐる回ったが、少し落ち着いたのか座り直した。
「ところでこれからどうする? 森に帰るの?」
<<あー、そのことなんだが。迷惑ついでにしばらくアンタのところでやっかいにならせてもらえないか?>>
タヌキは少し言いにくそうにした。
<<森は食べ物が少ないし、また猟師に捕まるのはコリゴリだし。ペットの珍獣扱いの方がまだ安全そうだ>>
「うちに来る? 私は相談相手ができて助かるから良いけど」
<<そうさせてくれ。 見た目はこんなだが少しは役に立てると思うぞ。助けてもらった恩もあることだし>>
正直願ってもない申し出だった。
この世界に生まれる前のことを知っていて、本音が話せる相手がいるというだけでも心強い。
いきなり放り込まれた言語も分からない外国でたまたま同国人に出会えた気分だ。
<<ところで聞きたいんだが、俺やアンタみたいなやつが他にもいるのか?>>
「分からないわ。日本のことを知ってる相手も、自分以外じゃあなたが初めてよ」
<<そうか。もしかしたら他にも俺たちみたいなやつがいるかもと思ったんだが……>>
しんみりとタヌキは口を閉ざした。
何年も無人島で耐えていてた漂流者が久しぶりに人間に会った時のような、しみじみした感慨の空気が私たちの間に流れた。
せっかく同胞に会えたのにしめっぽくなるのがちょっと嫌で、私はわざと明るい声を出した。
「ところであなたのことはなんて呼べば良いのかしら?」
<<……え? あ、そっか。名前を聞かれるのなんか久しぶりだから忘れかけてたよ>>
恐ろしいことを言う。まさか野生暮らしで心までタヌキになりかけているのではないか?
<<えーと、人間だった頃の名前は……。あれ、妙だな。思い出せないや>>
「あなたもなの? 私も日本人の頃の名前が出てこないのよ」
<<なんか気持ち悪いな、他のことは細かいところまで覚えてるのに>>
「……まあ、今更どうやったって日本には戻れないんだし? 新しい人生ってことで良いんじゃないの?」
<<前向きだな>>
タヌキはどうだか知らないが、私にとっては悪役令嬢に目覚めてからの時間も人生で無視できない範囲を占めているのだ。
今更レセディ・ラ=ロナ以外の名前を持つ気にもなれない。
「まぁとにかく、これからよろしくね」
<<こっちこそよろしく>>
「とりあえず今すぐしないといけないことは……」
<<何か心配でも?>>
タヌキから視線を上げて、私はパーティーが続いている邸内に目をやった。
庭に出て行ったきり戻らない娘を探して、母がおろおろと客の間を尋ね歩いているのが見えた。
「あなたを飼うのを親に認めさせないといけないわ」
次回は明日朝8時に追加します。