5_11 脾腫
『王室の直系最後の男子、アルグレート王子が熱病にかかって死亡したことで、ファセット王国の混乱と崩壊は決定的となった』
頭の中を、記憶の中にある原作漫画【ダイヤモンド・ホープ】のコマが埋め尽くしていた。
そして今、それが目の前で現実になりつつある。
床に崩れ落ちた少年の様子は、どう見てもただごとではない。
うろんな目と蒼白な顔色は、死神が少年の首筋に指をかけていることを如実に物語っていた。
この世界は原作漫画【ダイヤモンド・ホープ】とそっくりそのまま、全く同じ。
かつては軽口混じりに語ったその言葉が、怖気をともなって自分の耳にこだましていた。
<<――――――>>
やっぱり無理だったんだ。
自分の破滅すら回避しきれない私が、原作で明言された人の命をどうこうできるわけがなかった。
マダマさまが、死ぬ。
今目の前で、12年しか灯っていない命の灯が消えようとしている。
<<――――――何してる、しっかりしろ!>>
耳鳴りのようにしか聞こえていなかった耳に、一際厳しい調子の叱責が飛び込んでくる。
はっと気がつくと、タヌキがドレスの裾に噛みついて引っ張っていた。
<<頭はなるべく動かさないように気を付けて、あおむけに寝かせろ! 早く!>>
「え、えぇ!」
パニックを起こしていた脳内にタヌキの指示は鮮明に響いた。
反射的に少年にかけよると、言われた通り可能な限り頭が動かないようにして体を安定させる。
「震えてる……すごい熱!」
一昨日が生易しく思えるほどの発熱だった。
全身の筋肉がけいれんし、残っているエネルギーを全て熱に変えようとしているかのようだ。
「早くベッドに寝かせなきゃ!」
<<それは後回しで良い。服を脱がせろ>>
私は早く少年を温かくしてやらねばということしか思いつけなかったが、タヌキは冷徹に命じてきた。
「服を脱がせる? こんなに寒そうにしてるのに!」
<<だからだ。人が増えたら面倒だ、今のうちに診断する!>>
悪寒に震える少年にさらに寒い思いをさせようというのか。
今度の指示には素直に従う気になれず、思わず手が止まった。
<<早くしろ! 手遅れになるぞ!!>>
「……ごめんね、マダマさま!」
決然と言い切るタヌキの声に押される形で、少年の寝巻に手をかける。
前留めのボタンを外していくと、徐々に肌があらわになった。
もともと色白な少年だが、今は更に血色が悪くほとんど土気色になっている。
「何これ……?」
胸のボタンを外し、腹までいくと、異様な光景が目に飛び込んできた。
まるで風呂場の壁にカビが生えるように、少年の白い肌にいくつも小さな青いアザが無数に浮かんでいる。
それだけでも息を飲む痛ましさだが、極めつけはまだあった。
左の脇腹、浮き出た肋骨の下。
まぎれもなく少年の腹から野球のボール大のふくらみが急角度で飛び出し、薄くなった皮膚の下で充満している。
小太り爺さんのこぶを、鬼が腹に付けなおしたらこんな感じになるのだろうか?
混乱しきった頭がそんなイメージを抱いた。
こんなもの、見たことがない。
生理的な恐れと嫌悪感がぞっと私の背筋を震わせた。
<<脾腫だ>>
「え、ヒシュ?」
聞きなれない言葉に思わずオウム返ししてしまう。
<<肥大した脾臓が腹膜を押して飛び出してるんだ>>
「と、飛び出す? 脾臓って内臓でしょ!?」
なんてことだ。
元に戻さねば、という思いが半分無意識に飛び出した脇腹へと手を向けさせた。
<<下手に触るな!!>>
タヌキの一喝が私の手を止めさせた。
<<脾臓がはれて大きくなってるんだ! 万一中で裂傷ができて内臓出血でもしたら、止血ができなくてこいつは死ぬぞ!>>
慌てて手を引っ込める。
怒鳴られたからというわけでないが、説明が欲しくてついつい私も声を荒げてしまう。
「なんでこんなことになってるのよ!?」
<<病状が悪化した>>
「病気なら治ったはずでしょ?熱だって下がったじゃない!」
発熱が体内の細菌に対する防御機能なことくらい私だって知っている。
熱に弱い細菌の活動を発熱で抑えようというのだ。
それがなくなったのだから、病気の原因も消え失せたはずではないのか。
マダマさまの飛び出した脇腹と、無数に浮かんだアザから目を背けないままタヌキは口を開いた。
<<治ったんじゃない。熱が下がったのも症状の一つだったんだ>>
「はぁ?」
<<間欠性発熱だ>>
またもや初めて聞く言葉が出てきて、私の勘は更に逆撫でされた。
「分かるように言ってよ!」
<<周期的に発熱を繰り返すんだ。王子様の血液の中にいるくそったれどもが休眠状態から目を覚ました。血液再生工場の脾臓は、そいつらを処理しきれなくてはれあがって肥大したんだ>>
タヌキには病気の原因に目星がついているらしい。
その声には確信があった。
だが同時に、恐れと怯えの色も含んでいた。
「そ、それでまた熱が出て倒れたっていうの?」
<<いや、倒れたのは高熱のせいじゃない。ここまで脾臓が肥大すると流入する血液も相当量増える。そのせいで頭に回る血が足りなくなった>>
「そんなことが起きるの!?」
<<脾機能亢進症による急性貧血>>
クンクンとタヌキが鼻を鳴らす。
<<間欠性の高熱、重篤の悪寒、おまけに皮下出血斑……>>
「何? 分かってるんでしょ、教えてよ! 何の病気なの!?」
<<最悪だ……!>>
問いただそうとする私に目も向けず、タヌキは独りごちた。
<<マラリア。それもおそらくは熱帯熱>>
その声には、絶望があった。
<<――――――助けられない>>
更新が伸び伸びになって申し訳ありません。
明日も追加できるか分からないです……




