5_8 解熱
私は転がっているタヌキを叩き起こすと、大急ぎで病室へと向かった。
メイドが慌てて語った『大変なこと』が何なのか。
問いただすヒマも考える余裕さえもなかった。
寝入りばなを起こされて不機嫌なタヌキ、それから顔面を蒼白にした女衛士とメイドと一緒に廊下を走り抜ける。
ノックする時間も惜しい。
アウトマナーの最たるものだが、取っ手をひっつかむといきなりドアを大開きにした。
「マダマさま!」
「殿下、殿下ぁ!!」
――――――瞬間、私たちの眼に飛び込んできたのは。
「よーしよしよし、良い子じゃ! マダマよ!」
「叔母上、やめてください!」
「あーん、逃げるな。恥ずかしがるでない、もう思春期なのかや?」
「気持ち悪いんです!」
ベッドの縁に腰かけて、舐めるようにしてマダマさまをかわいがる大公夫人の姿だった。
本気で嫌そうにしているマダマさまを無視して、腕の中に抱きしめたり頬を寄せたりデレデレである。
周りのメイドたちがどうしたものかと顔を見合わせているが、全く目に入らないようだ。
……って、いつの間にかマダマさまがベッドの上に起き出しているのはどういうわけだ?
「今日はおっぱい触っても良いぞ!」
「何を言ってるんですか!!」
「「「…………」」」
一体何を見せられているんだ、私たちは。
「まさかこれは幻覚か何か……?」
<<しっかりしろ、現実だ>>
大公夫人の豊満な胸に無理矢理抱きすくめられていたマダマさまが、こっちに気付いてぎょっとした。
「おお、レセディ嬢! そなたの手並みは実に見事じゃ、まさかこんなに急に良くなるとは!」
「れ、レセディ!」
「ムギュッ!?」
少年の頭にキスの雨を降らせていた大公夫人が、甥っ子から本気で押しのけられてひょっとこそっくりの顔になった。
「え、待って待って待って。どういうこと?」
事態の急変に頭が追い付かない。
すぐ隣のベリルなどはいつもの鉄面皮を通り越して完全な無表情になってしまった。
「先ほどから急に熱が下がりだして……」
「あっという間に体を起こせるまでになったんです」
「今では普通に話せるまでに」
安堵のため息をつきながら、看病に付きっきりだったメイドたちが状況を説明してくれた。
「みるみる熱が下がったって、あんなにひどい熱だったのに?」
<<…………>>
ちょっと信じられないが、現実に目の前で患者が平気そうにしているのだから仕方ない。
この回復の速さには流石のタヌキも声も出ないようだ。
(なんだ、あなたの言ってた通り大した病気じゃなかったんじゃない!)
ここの来る前に『夏場に重い熱病にかかることは少ない』と言っていたタヌキの言葉通りだ。
何かのはずみでたまたま高い熱が出たのか、症状が激しいものだからうっかり疑ってしまった。
<<……本当にそう思うか?>>
(えっ?)
<<いや、思い過ごしなら良いんだ>>
タヌキはぶつぶつとなんだか一人で納得してしまった。
理屈屋のタヌキにはすんなりと受け止めかねる事態なのかもしれないが、回復したのだから良いではないか。
絨毯に目を落とすタヌキは放っておいて、私はベッドサイドまで近寄った。
「あーん、マダマよ。ペロペロさせい!」
「レセディ、違うんです! 叔母上がいきなり……!」
「?」
スキンシップを本気で嫌がるマダマさまは、何故か弁解するようにしどろもどろだった。
まあマダマさまだって男の子だ。身内にべたべたされると恥ずかしいのだろう。
「安心したわ。熱が下がって良かったわね」
「は、はい。レセディのおかげです。薬を用意してくれたり氷で冷やしてくれたり……」
マダマさまは感謝と敬意の混じった目で見上げてきた。
本当のところ補水飲料を作れたのはタヌキの知恵があったからだし、氷をぽんと買えたのは大公夫人のおかげだ。
なんだかむずかゆい。
「必ずお礼にうかがいますから……!」
「ああ、ダメダメ。熱が下がったのは良いけど、病気の原因はまだ体の中に残ってるのよ」
油断して体力が回復しないままでぶり返すということもある。
ここは安静にするようにちゃんと釘を刺しておかねば。
「良いこと、はしゃいだり油断したりしちゃダメよ。2、3日はちゃんと寝てなさい」
「は、はいっ。約束します」
「ベッドの上で良い子にしてればご褒美を持ってきてあげるわ。分かった?」
まだ熱が残っていたのか、マダマさまはぽっと顔を紅潮させた。
「こ、子供扱いしないでくださいっ」
そう言ってぷいと顔を背けてしまう。
噛んで含ませるような言い方が気に障ったのだろうか?
うーむ、男の子は気分屋なところがあるから扱いが難しい。
「ちゃんと見ててね」
一応周りのメイドたちにも頼んでおく。
「ではマダマさま、ちゃんと水分取って寝るのよ? おやすみなさい」
「おお、待った待った。今から馬車で戻るのはきつかろう。今日はもう遅いから泊まって行け」
退出しようとしたところで、大公夫人が引き留めてきた。
そういえばもう深夜のはずだ。
無断外泊となれば父親は良い顔をしないはずだが大公夫人のお屋敷となれば話は別だろう。
正直くたくたで泥のように眠りたかった。
「……じゃあ、お言葉に甘えようかしら?」
「うむ、そうせい」
大公夫人の勧め通りにすることにした。
部屋からタヌキを連れて退出し、客間の方へ戻ろうとしたとき。
ぎゅっ、と大公夫人が私の腕を取って制した。
「?」
「待て待て。夜はまだ長いぞ。ワシの夜酒に付き合え」
「……あの、私もう休みたいんですけれど」
「ワインの秘蔵コレクションを見せてやろう。つまみは外国のチーズでも、生ハムでも、キャビアでも、好きなものを食って良いぞ!」
話を聞いてもらえそうにない。
意気揚々と大公夫人は食堂の方へ私を引き連れていこうとする。
はっきり言ってアルハラだが、この世界にそんな概念はないし逆らうと後が怖い。
ここは大人しく付き合う以外なさそうだ。
「?」
とぼとぼ短い足でついてくるタヌキは、何故かうなだれたままだった。
(どうしたの?)
<<なんでもない。 ……俺の思い過ごしだとは思うんだが>>
ごちそうにありつけるチャンスだというのに、ずっとタヌキが浮かない顔のままなのが気になった。
間隔めちゃくちゃになってしまって申し訳ないです。
今夜追加できるかは分からないですが日に1回は追加できるようにしたいです。




