1_5 オリの中のタヌキ
(タヌキが喋る声が聞こえる……?)
何が起こっているのか分からず呆然とする私の前で、二頭の生き物の決闘は続いていた。
いや、その内容は決闘というには一方的過ぎた。
<<お助け――――――ッ!!>>
短く太い手足を振り回してぐるぐる逃げるタヌキを、短い手足をちょこちょこ動かして追いかけるダックスフント。
海外製のドタバタアニメのような光景に、観客は大爆笑だ。
もっとも追い回されるタヌキは必死だ。
闘技場の右から左まで逃げようとした後、今度はぱっと外周のフェンスに飛びついた。
ダックスフントの攻撃が及ばないところへ上がろうというのだ。
短い足を器用に使って木の柵をよじのぼるタヌキをなんとかひきずり降ろそうと、ダックスフントは二本足をぴょこぴょこ飛び上がる。
その光景に観衆はまたどっと沸いた。
<<ロープ! ロープだぞ、エスケープしてるだろ、こら!!>>
すぐ足元で閃く白いキバの持ち主に対して悪態をつくタヌキ。
たまたましがみついているそのフェンスは私の目の前だった。
周囲の観客の注意がぴょこぴょこ飛び跳ねるダックスフントに向いていることを確認してから……。
私は思い切って声をかけることにした。
「ねえ、ちょっと! 私の言ってること分かる?」
我ながら間の抜けた呼びかけだったが、こんな時にエチケットを順守できるほど大物ではない。
<<え、何!?>>
それまで下のダックスフントを見てぶるぶる震えていたタヌキが、ぱっと慌てて振り向いてきた。
黒目がちな目をぱっと見開き口を開いたその顔は、人間でいえば驚いた時のように見える。
やはり気のせいではない。
明らかに私の言葉に反応している。
「あなた喋れるの? もしそうなら返事して!」
<<!? マジかよ、こいつは驚いた! アンタ俺の言ってることが分かるのか!>>
「分かるわよ。 あなた、タヌキでしょ?」
<<なんで知ってる!?>>
自分がタヌキだと認識して言語化までしている。
【タヌキ】なんていう語句が原作の少女漫画【ダイヤモンド・ホープ】にあるはずもないのに。
「……もしかして私、化かされてる!?」
別の懸念が混乱する頭の中にもたげてきた。
実はこの闘技場もパーティー開場も、全部幻覚で目が覚めたら木の葉と泥でできていることに気付くのではないか。
<<何言ってるのか良く分からんが、とにかくすげえや!>>
タヌキがそう言ったのと、その太い尻尾にダックスフントが噛みついたのは全くの同時だった。
引きずり降ろされる瞬間のタヌキが慌てて付け加える。
<<……ごめん、今立て込んでるからまた後で―――!>>
そう言ったが最後、二頭の生き物はもつれ合うようにして闘技場の真ん中へと動いていった。
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その後の勝負はもちろんダックスフントの圧勝。
ひたすら上からもみくちゃにした後で、体格に似合わぬその頑丈な口でタヌキの喉笛を噛み砕こうとした瞬間。
<<ヒエッ!?>>
タヌキはバッタリと、両手両足を投げ出したまま固まって動かなくなってしまった。
ダックスフントも不思議そうに噛みつくのを止める。
抵抗をやめて突然停止したタヌキの臭いをしばらく不思議そうに嗅いでいたが、飽きたのかそれ以上何もせず離れてしまった。
(タヌキ寝入りって本当にあるんだ……)
いわゆる擬死行動というやつだ。
驚いたりショックを受けたタヌキが固まって動かなくなるのを昔の猟師は寝入ってだまそうとしているように思ったらしい。
「おいおい何だよ気絶しちまったぞ!」
「なんて情けない!」
ゴミを片付けるように係の人間がタヌキを運ぶ途中、観客たちの嘲笑が起こる。
それを無視して、私は思い切って庭の裏側へと回った。
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タヌキと再会できたのはそれから10分ほど経ってからだ。
男爵邸の庭で『動物イジメ』の興行が行われる裏側では、鉄製のオリに入れた動物を見世物にしていた。
興行に出る動物を通りかかる人々に見せて宣伝にしようというのだ。
クマやら牛やらがオリの中を興奮した様子でうろつき、若い男女や連れの子供たちが好奇の声を上げる中。
(来たわね)
タヌキの入った小さな四角いオリを、係の男が乱暴に端っこに置いた。
一仕事終えたからといってねぎらってもらったりということはないらしい。
興行側の人間や、招待客たちに見られていないのを確かめながら小さなオリに近づく。
鉄格子の中でタヌキはぐったりと体を丸めていた。
オリのそばに膝を折り、小さく声をかけてみる。
「……おつかれさま」
<<ああ、アンタか。なんとか無事に済んで良かったよ>>
疲れた目でタヌキは私の方を見上げてきた。
とどめこそ免れたものの体には小さなキズがいくつも出来ていているし、疲れているようだ。
「最初に確認したいんだけど良いかしら?」
<<なに?>>
「あなたはタヌキなの?」
<<俺は人間だよ!>>
心外そうにタヌキは言った。
<<俺は人間! れっきとした日本人の男なの! ……日本って分かる?>>
「分かるわよ。私だってもとは日本人だもの」
<<えっ。マジか>>
「見た目からはとても人間のようには見えないんだけど……」
<<アンタだって日本人にはちょっと見えないぜ>>
……なんとなくお互いの事情を察して、私は小さくため息をつき合った。
お互いの境遇こそ違うが、過去の経験の一部を共有しているという共感がそこにはあった。
「ねえ、確認したいんだけど。ああ、辛かったら言わなくても良いわ」
<<気にしないでくれ。そうだよ、日本で死んだんだ。電車の脱線事故に巻き込まれてな>>
「やっぱり……」
<<そうか。アンタもかよ。死んだのは20xx年?>>
私がうなずくのを見て、タヌキは再びため息をついた。
<<同じ時代の生まれか……>>
「どうもそうみたい」
<<これってさあ、いわゆる異世界転生ってやつ?>>
「多分ね」
<<冗談じゃねぇぜ……。そんな非科学的なことに俺を巻き込まないでくれよ……。しかもなんでタヌキ?>>
「ごめん、私からは何も言えないわ」
<<せめて人間にしてくれよ!>>
起き上がってタヌキは叫んだ。
彼の言うことももっともだ。
「私は子供の頃に自分が転生したって気付いたんだけれど……。あなたもそう?」
<<分からん。気づいた時には森の中にいた>>
「良く生き延びてこられたわね」
<<本当だよ。餌も見つけられずにその辺の木の実やらキノコやらをかじってなんとか生きてたんだ>>
伯爵家の娘として不自由なく暮らしていたことが急にうしろめたくなってきた。
「それがなんでこんな見世物にされてるの?」
<<猟師のくくり罠に捕まっちまったんだ。殺されるかと思ったら、珍しいからって二束三文で売り飛ばされてよ。今じゃこのザマ>>
「大変だったわね……」
<<大変だよ! 俺が一体何をしたってんだ!!>>
およよよ、とタヌキは両手で顔を覆って泣き出した。
タヌキが涙を流すという話は聞いたことがないから、これは人間の頃のクセみたいなものだろう。
<<前はまだ良かったんだ……。組んでた闘犬がまあまあ話の分かるやつでよ。餌を半分譲る代わりに怪我しないようにうまく力加減させてたんだ>>
「それがなんであんなヤンチャなダックスフントと組まされてんの?」
<<そいつが年取って捨てられちまったんだ! 代わりに来たあのかわいくないウナ●イヌは全然俺の言うこと聞きゃしねえ! いつも本気で噛みつきやがって!>>
「ははあ。つまりワーク込みのプロレスを仕組もうとしたら相手はMMAのつもりだったと」
<<? 何言ってるか良く分かんないけど、もうイヤだこんな生活!>>
タヌキは太く短い前足を掲げて天を仰いだ。
「それは……。なんていうかすさまじいわね」
<<……アンタは良い暮らしをしてるみたいだな?>>
なぐさめの言葉も見つからない私の髪や服を、じろりとタヌキはにらんできた。
「そうでもないわ。結構追い詰められててね。もうすぐ修道院に入れて一生軟禁生活をさせられるかもしれないの」
<<フン。それでも俺よりはずっとマシさ>>
「そうね。ごめんなさい。軽率だったわ」
素直に謝るしかなかった。
少なくとも私は毎日猛犬に噛みつかれるような日々は送っていないし、これから先もないだろう。
単に生まれた先の家が伯爵家だったというだけで。
<<……>>
タヌキの表情が微妙に変わった――――――気がした。
<<なあ、お願いがあるんだ>>
「なに?」
<<俺のことをちょっとでも仲間だと思ってくれるなら、助けてくれないか?>>
次回は20時ごろ追加します。