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5_3 夜雨

 雨足が強くなってきた。

水の滴が窓ガラスを次々と叩いては砕け散っていく。

申し訳程度の馬車の灯りに照らされて、散華する水が散らばるのが見えた。

この分では石畳に水も浮いて滑りやすくなっているだろう。

しかも日没とこの雨、電気街灯などない街の通りの見通しはほぼ効かなくなっていると言って良い。



「お願い、なるべく急いで!」


 

 こんな時に全速で馬車を走らせるのは自殺志願者か、そうでなければ医者だけだ。

客室の小窓から御者を急かす。

我が家の御者はおっかなびっくりといった様子で手綱を必死に握りしめていた。

客室に乗せられている自分にはどうしようも分かってはいても、もどかしさに歯噛みしてしまう。



 先に自分の馬で出て行ったベリルは、もう大公夫人の屋敷に着いただろうか。

マダマさまのところへ行くと言い出した時女衛士は驚いたが、止めはしなかった。

おそらくは叱責を受けるのを覚悟で私が向かうのを良しとしてくれたのだ。



「……」



 車輪の音が響く以外は、客室の中で聞こえるのは私とタヌキの息遣いだけだ。

自分の鼓動が妙に早くなって、みぞおちのあたりがずきずきと痛むのを感じる。

心臓が今日に限って妙な打ち方を始めたようだった。



<<落ち着けよ。アンタに余裕がなかったら王子様だって不安になるぜ>>



 となりの座席にちょこんと腰かけたタヌキが、私の顔を見上げていた。



「……マダマさまは何の病気にかかったんだと思う?」

<<急な発熱だけじゃわからん。発熱なら一番に疑うのは感染症だけれど……>>

「別荘に行ったせいで感染した?」

<<違うと思う。いつ病気にかかったかだが、潜伏期間ってものがあるからな。別荘でかかったならずっと一緒に飲み食いしてたアンタに症状が出ていないのも不自然だ>>

「さっき重症化することはまずないって言ったじゃない!」

<<つまり普通の感染経路じゃない可能性が高いってこと>>



 ついつい感情が沸騰しそうになったが、理詰めでものを考えようとしているタヌキの声を聴いているうちに気持ちの波が少し納まってきた。

代わりに不安を明確に自覚してしまう。

皮膚の下に血液の代わりに恐怖のもとが駆け巡っているようだった。

雨もあって馬車の中が妙に肌寒く感じる。



「……」



 無言でタヌキの胴体に手を回すと、ぎゅっと膝の上で抱きしめた。

硬くて脂を含んだ体毛が普段よりも温かく感じられた。

いつもは抱っこに拒否感を示すタヌキだが、今日は抵抗するそぶりは見せなかった。



「……怖いの」

<<まだ熱が出たとしか分からないんだ。先走ることはない>>

「ううん、そうじゃなくて。私、人が死ぬってことがどういうことか今まで想像したことがなかった」



 今まで自分がどんなに鈍感に生きてきたのか、呆れる思いがした。

OLや悪役令嬢を経験して人より賢くなっていたつもりが、こんな単純なことに気付きもしないだなんて。

 


「私ね、【ダイヤモンド・ホープ】本編を何十回も読み返してたはずなの」

<<……>>

「その度に何十回も流し読みしたのよ。例のページをね。『アルグレート王子が死んだ』って、何も感じずに繰り返し見たはずなの」



 タヌキの体に回した手に力がこもった。



「でもマダマさまがどんな子か知っちゃった今じゃ、あのページがものすごく怖い」



 今まで自分がどんなに薄情な人間だったのかを思い知らされた気がする。

何度も繰り返し流し読みした人の死が、こんなにも冷たく暗く恐ろしいものだったなんて。



<<漫画と現実は違うさ>>

「想像すれば分かったはずなのよ。ペットのハムスターが死んじゃった時でさえ悲しくてやりきれなかったのに。あんなに良い子が死んだら、私、どうなるんだろ……」

<<まだ死ぬって決まったわけじゃないさ>>


 

 タヌキが私の顔を見上げてきた。

顔の黒い模様に隠れて気づかなかったが、意外とつぶらな瞳をしているのだなとこんな時に気付いた。



<<思い出してみろよ。アンタはこの世界が漫画とそっくり同じだと言ってるが、俺は違うと思う>>

「え?」



 タヌキが私の腕を潜り抜けて、シートの上に立った。



<<この世界が漫画の通りに進行してるならアンタはもう家から追い出されてるはずだし、あの王子様と旅行に行くこともなかった>>

「そうだけど……」

<<ちょっとずつ変わってるんだよ。きっとアンタが気づかないところで何もかもが>>

「もう私が原作を改変してる……?」



 ……タヌキの言葉を聞いた瞬間、頭の中で新しいものの見方が産まれた気がした。

自分がなんとなく思い至るのを避けていたことをタヌキに指摘される。

原作への思い入れが強過ぎて、漫画の展開のルートに沿ってなんとかうまくトラブルを避けて生き延びるしかないと思っていた。

さっさとフェードアウトしていく悪役令嬢だから漫画に語られない部分で小器用に立ち回れるのだと。



 しかし、漫画の展開にもっと踏み込んで介入できるとしたら?

思い切って道筋を変えれば行きつく先だって変わる。

主人公のように世界を動かすことはできなくても、2コマの説明だけで死ぬモブキャラの運命くらいは変えられるかもしれない。



<<それに>>



 彼はちょっと得意げに、貧相な胸を張った。



<<その【ダイヤモンド・ホープ】って漫画には、喋るタヌキなんか出てこないんだろ?>>

なんとか一日一回は追加できるようにしていきたいです。

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