5_2 熱病
ばっ、とベッドの上に体を起こす。
<<おい、どうした。顔色が悪いぞ>>
タヌキの声がほとんど耳に入ってこないくらい、私の神経は張りつめていた。
頭の中で原作漫画【ダイヤモンド・ホープ】の年表を思い起こし、必死に今まで起きたことと照らし合わせる。
『アルグレート王子が死亡した』と原作で明記される、中盤に差し掛かるころといえば本編開始から約3年。
カリナンが婚約を破棄してからおおよそ2年ほど経った頃のはずだ。
つまり――――――。
「もうすぐじゃない!」
不安を身体の中にとどめることができずに、声に出して叫んでしまった。
見えない透明の手が背中から入り込んで、ぎゅっと心臓を握られた気分だった。
<<何があったんだよ、落ち着けよ>>
「マダマさまが死んじゃうのよ!」
<<はぁ? いきなりナニ言ってんだ>>
「原作漫画で、【ダイヤモンド・ホープ】にそう書いてあるの! 『アルグレート王子が熱病で死んだ』って!」
<<なんだと? なんで今まで気づかなかったんだよ!>>
「漫画では2コマだけのナレーションだったし、アルグレート王子がマダマさまのことだったなんて知らなかったのよ!」
流石にタヌキも慌ててベッドシーツの上に立ち上がった。
<<それでいつ病気になるんだ?>>
「それが時期的にもうすぐのはずなのよ! ……この夏にフランシスがカリナンと正式に婚約するはずだから。ええ、間違いないわ! 」
<<もうすぐ? 熱病で死ぬ?>>
タヌキがぴくりと耳を揺らした。
「どうしよう、どうしよう。大変だわ……すぐお見舞いに……。じゃなかった、医者と病院と薬を用意しないと……!」
<<ちょっと待て。落ち着けよ>>
「落ち着いていられるわけないでしょ!」
身近な人間の死の宣告を聞かされたのだ。
それも相手はいたいけな12歳の少年である。
タヌキの態度が薄情なくらいに思えて、つい語気を荒げてしまう。
<<季節を考えろ>>
「季節?」
<<もうすぐ夏だぞ。熱病にかかって死ぬなんて不自然じゃないか?>>
「えっ?」
<<ここは熱帯地方じゃないぞ。悪質なインフルエンザや肺炎が流行るなら空気が乾燥した冬の方が普通だろ>>
……言われてみればその通りだ。
が、すぐには納得できなかった。原作のあまりに不吉な一文が私の心をとらえて離そうとしなかったからだ。
「でも21世紀の日本でも『夏風邪が流行した』ってニュースになってたわよ!
<<それってプール熱とかヘルパンギーナとか手足口病とかだろ。 乳幼児とかならともかく、学童期で死ぬまで悪化することはまずないぞ>>
「そうなの?」
<<ニュースでも死亡例なんかほとんど報道されなかったろ>>
「……そういえばそうね」
もし死者が出るほど大流行していたら毎年大騒ぎになっていたはずだ。
<<あとは肺炎球菌? ないとはいえんがもう12歳だろ? クラミジアやマイコプラズマの方が疑わしいけれど、高熱で死亡するほど悪化するのはちょっと考えにくいな>>
タヌキがあげる病原菌の名前がどんなものか私にはよくわからなかったが、聞き覚えのない単語を列挙されると不思議と気分が落ち着いてきた。
「……つまり間違いの可能性が高い?」
<<断言はできんがな。この世界の医療の程度がどんなものか俺も良く知らんし>>
「あなたがついてれば大丈夫よね!?」
<<夏場に流行る感染症はもともと特効薬がないものが多いんだ。悪い血を抜くだの病人に水を飲ませないだの、アホなことさえさせなければ対症療法でまず大丈夫だと思うぞ>>
タヌキに言われて、氷が溶けていくようにみるみる不安がしぼんでいく気がした。
大きく息を吐きながら再びベッドに倒れ込む。
「なぁんだ……。慌てることなかったんだ」
<<でもまあ冬の感染症は気を付けた方が良いかもな。アンタも含めて>>
「ああ、そうね。私だって他人事じゃないんだったわ」
<<まずは手洗いと栄養状態を……>>
と、そこで部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
慌ててベッドから起き上がる。
「な、なに?」
「お嬢様。お客様がお見えです?」
「お客?」
思わず窓の外を見やった。
いつの間にかもう日は沈みかけている上に、雨雲まで出てきたようだ。
こんな時に来客?
「どなたかしら?」
「三等王宮衛士と名乗られています」
「もしかしてベリルのこと?」
マダマさまにぴったり付き従っている大柄の女性警護官の姿が頭に浮かんだ。
何の用だろう。
マダマさま手紙の返事を受け取りに来たとかだろうか。それにしても急な話だ。
「どうしてもお会いになりたいそうです」
「手紙ならまだ書けてないけれど……ああ。良いわ。直接会って伝えるから」
ベッドから起き出すことにした。
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ベリルは玄関ホールで仁王立ちしていた。
私の姿を認めるや、さっと敬礼してくる。
「こんばんは、ベリル。ごめんなさい、マダマさまの手紙ならさっき読んだばかりでまだ……」
「レセディ嬢。失礼します」
問答無用だった。
言うがベリルは私につかつかと歩み寄ってくる。
「え? ちょっ、ちょっ!」
いきなり手を伸ばせば届く範囲の内側、いわゆる心理的なパーソナルスペースまで侵入されて慌ててしまう。
が、ベリルは全く構いもせずに自分の軍用の白手袋を外した。
「?」
そして素手で私の顔へ手を伸ばしてきた。
前髪を払っておでこに手を当てられる。
そうして30秒ほど、じっと動かずに手のひらを額に当て続けられた。
「……あの、何してんの?」
にこりともせずに真剣な女衛士におそるおそる声をかけた。
「ご体調はいかがですか?」
「え? 全然健康そのものだけど」
「左様ですか。……大変失礼しました。自分の用は済みました」
「はぁ?」
「ではこれにてお暇致します」
「えぇ!?」
何をしに来たんだ、と思わずツッコミかけたところで。
軍帽の下のベリルの顔が目に入った。
その瞳には憔悴と、不安と、かすな絶望が見え隠れしていた。
「――――――――――――ッ!」
瞬間、勘が働く。
何かがあったのだ。
おそらくは彼女自身のことではあるまい。
彼女が仕える主人に何かがあって、その意を受けて私のところへ来たのだ。
「マダマさまに何かあったの!?」
声をかけた瞬間、ぴくりと女衛士の肩が震えるのが分かった。
「ベリル! 教えてよ!」
「自分はお答えできる立場にありません」
生真面目過ぎる返答は、かえって何かあったと認めているようなものだ。
このまま帰す訳にはいかない。小走りになって、玄関へ向かおうとするベリルの正面へ回り込んだ。
「ベリル、お願い!」
「自分は一介の警護官です。殿下の個人情報を漏らすことは……」
「そんな建前はどうだって良いの! 友達でしょ、私たち!?」
思ってもみなかった言葉が口から飛び出してきたが、すぐ自分でも納得した。
付き合いの日数は短いが、マダマさまを通じて私たちは同じ思い出をいくつか共有したはずだ。
友人という言葉に何の違和もなかった。
ベリルも同じ気持ちだったのだろう。
軍帽の下の目が驚きに見開かれたが、やがて徐々に戸惑いの形に細められていく。
ややあってから女衛士は、硬く結んでいた唇を開いた。
その切れ長の目の端が微かに濡れているように私からは見えた。
「…………親王殿下は高熱を発されました。医師によると、極めて危険な状態だと」
色々ごめんなさい。
次回は明日の朝までには追加します……。




