5_1 嵐の始まり
通じて5日間の別荘の滞在が終わって。
後ろ髪引かれる思いで、私は保養地ローワーガードルを去った。
「おかえり、レセディ!」
「た、ただいまお父様……」
家に戻ると、因業親父が満面の笑みを浮かべて待ち構えていた。
ことさら女の素行にやかましいこの世界。
一応これも独身の男と女の婚前旅行ということでとても褒められたはずではないのだが、もはやお構いなしのようだ。
本気で私を未来の公爵家……マダマ様のところへ嫁がせるつもりらしい。
少しうんざりしながら受け答えする。
「親王殿下のご機嫌はどうだった?」
「ええ、王子様はとても楽しんでおられたわよ」
「そうかそうか! 大公夫人には気に入っていただけたか?」
「それどころじゃなかったみたい。勝負に負け過ぎて最後は抜け殻みたいになってたわ」
「? どういうことだ?」
きょとんとした顔になった父親だが、ともかく気を取り直して続けてきた。
「疲れたろう、とりあえず今日はゆっくり休みなさい」
あの誕生パーティーの前までは考えられなかったネコなで声で、父親は気を遣ってきた。
「ちゃんと大公夫人への謝礼の手紙を書いておくように。ご自宅まで挨拶にもいかねばならんぞ」
「はいはい、わかってますよ」
これは貴族同士の交友としてごく常識的な対応である。
21世紀の日本の感覚からは煩雑に思えるが、【ダイヤモンド・ホープ】劇中の貴族世界は家同士の交友関係がものをいう場所なのだ。
少し面倒だな、と思ったところでトパースがお盆に便箋を乗せて近づいてきた。
「お嬢様、お手紙が届いています」
「手紙?」
「ラトナラジュ様からです」
見ると、確かに便箋の表側には王室の紋章があしらわれていた。
「マダマさまから?」
本来なら招待を受けたこちらから手紙を出すところなのだが、あべこべのことになって少し驚いた。
それに一緒に馬車に乗って王都に戻って来たのに、手紙を書いて出したとしてこんなにすぐ届くはずもない。
<<別荘から出して今届いたんじゃねーの?>>
ああ、なるほど。タヌキの指摘で納得がいった。
「何かしら?」
<<さぁ?>>
「何が書いてある!?」
タヌキと一緒に首を傾げていると、ずいと父親が割り込んできた。
「ちょっと、お父様!」
「読んでみろ! いや、見せてみろ!」
「できるわけないでしょ!」
純真な少年からの手紙を、こんな欲と虚栄心で凝り固まった親父に盗み読みされてたまるか。
「部屋でひとりで読みます」
「レセディ!」
「だって無礼でしょ、王室の方から届いた手紙なのよ!」
父親を振り切るために権威を利用させてもらった。
流石にそれ以上何も言わなくなった父親を残して、私はタヌキと一緒に部屋に戻った。
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自分の部屋に戻ると、さっそく手紙の封に手をかける。
「さてさて、何が書いてあるのかしら?」
<<愛の告白とか?>>
「まさか。相手は12歳の男の子よ?」
などと言いながら、ベッドにぐでーっと仰向けになった。
人から見られたら貴族の娘としてはあるまじき態度などと眉をひそめられそうだが、プライベートではこれくらい気を緩めていないと身が持たない。
タヌキも気になったらしい。縁のシーツをよじ登るようにしてベッドに上がってきた。
<<なんて書いてある?>>
タヌキのために読み上げてやることにした。
『親愛なるレセディ・ラ=ロナ様へ』
思ったより大人びた書き出しで手紙は始まった。
<<『親愛なるレセディへ』だってさ>>
「もー、からかっちゃ良くないわよ!」
といいつつ、口元がにやけるのを抑えられない。
「もー!」
<<?>>
ついつい気持ちが湧きたって、タヌキのおでこをぺむぺむと叩いてしまう。
「えへへへへ……!」
<<嬉しいんならそう言えよ>>
少し面倒くさそうに首を振って、タヌキは先を読むようにうながしてきた。
『今ボクは初めてちゃんとした手紙を書いています。間違ったところやおかしなところがないかベリルに相談しようか悩みましたが、やっぱり自分の力で最後まで書いてみることにしました』
「おお、がんばれがんばれ」
男の子がちょっとだけ背伸びをしているようで微笑ましい。
いつぞや子供の頃カリナンからもらった手紙に比べると大分子供らしい書きだしだが、どちらが優れているなどと比べるのもバカらしかった。
人にはそれぞれ歩き方に差があって当たり前だ。
『これを書いているのはローワーガードルの別荘の書斎です。明日ご自宅に帰られたレセディにすぐ読んでもらいたくて、別荘の人にお願いして今日の夕方出してもらうことにしました』
<<ほらな。俺の言った通りだろ?>>
『この別荘についてから、レセディはボクが考えも楽しみもしなかった人生の楽しみをたくさん教えてくれました』
「おおげさねぇ」
微笑みながら先を読んだ。
『果物を焼いたり、川の中で遊んだり、外で金網でお肉を焼いたり、草の斜面を毛皮で滑り下りたりするなんて聞いたこともありません。レセディの自由な発想に僕は感動すら覚えたほどです」
「ちょっとはしゃぎ過ぎたかしら?」
<<良いんじゃねえの?>>
バーベキューまでやったのはやり過ぎだったろうか?
この世界のレクリエーションの文化史を歪めたのではないかとちょっと不安になったが、マダマさまが喜んでくれたのならまあ良いか。
『レセディと会って、ボクは今まで自分がどれほど物事を凝り固まった目で見ていたかを思い知らされました』
「ふふふ……」
『初めて会えてからほんの短い間に、ボクの毎日にとても素晴らしい刺激をくれた大切な友人のレセディへ』
「頑張って考えて書いたんでしょうね、ここ」
『これからも変わらぬ友情を願って。またこうして一緒に遊んでくれるととても嬉しいです』
読み上げてから、私はもう一度手紙の先頭から最後まで目で追った。
「こんな良いことを書いてもらうと、返事を考えるのが大変ねぇ……」
苦笑したところで、枕元から手紙を覗き込んだタヌキが前足である一点を指してくる。
<<その下のは?>>
「ああ、これ? 署名よ」
本文の下には自筆でサインをするのがマナーだ。
なるべく力強い筆致で書こうとしたのだろうか。
無理して力を込めたせいで歪んでいるが、立派な名前が書きこまれていた。
「マダマさまの名前ってこう書くんだぁ」
<<ああ、そうか。フルネームだと長くなるのか>>
「そうみたい。アルグレート・マダマ=ラトナラジュですって」
王族らしいといえばそうだが、なんとも肩肘張った重厚な名前だ。
<<マダマってミドルネームだったのか>>
「本人の顔からは想像つかないわよねぇ。だってあの見た目でアルグレート王子だなんて」
ちょっと失礼なことを思ってしまって吹き出してしまう。
――――――瞬間。
「……アルグレート王子?」
脳の一点に金属製の針を刺されたように、ある記憶が鮮明に蘇った。
<<どうした?>>
「どこかで聞いたことあるわ、原作で出てきた覚えが……」
確かに見たことがある。
重要だったり出番が多ければ、私ならすぐに思い出せるはずだ。
そうできないのはもっと些細で、何気ない一部の登場だからに違いない。
「違うわ、名前だけ! そう、名前だけ出てきたのよ!」
<<おい、大丈夫か?>>
タヌキから心配されてしまう。
思わず自分の頭を押さえた。
嫌な予感に鳥肌が浮きだつ。
全身の汗腺が開くのを感じた。
頭の中ではっきりしたイメージとして残っている【ダイヤモンド・ホープ】全場面。
震える指でページをめくる思いで、それをゆっくり紐解いていく。
「……思い出した!」
原作の中盤に差し掛かるところ。
主人公フランシス・ホープの将来の不安を予兆するあるコマのナレーションがはっきり脳裏に再現された。
『王室の直系最後の男子、アルグレート王子が熱病にかかって死亡したことで、ファセット王国の混乱と崩壊は決定的となった』
またやってしまいました。
続きはできたら今夜追加したいです。




