4_13 花火
夕食の時間になった。
今夜はダイニングルームではなく、別荘の二階バルコニーにテーブルが用意されていた。
夜風に当たりながら食事をしようというなかなか凝った趣向だ。
「あはは……。マスを用意してもらったのね」
テーブルの真ん中に大きな絵皿が置かれ、マスをまるごと使った香草焼きがどんと鎮座していた。
なんだか申し訳ない気分になってくる。
「……今日は遊び過ぎて疲れました」
「おつかれさま」
テーブルの向こうについたマダマさまは、くたくたで気を抜くとすぐ眠ってしまいそうだった。
その後ろでは例のごとく、衛士のベリルが背筋をぴんと伸ばしている。
「ベリルも一緒に食べない? 用意してもらうけれど」
「いえ、自分は殿下と同席できる立場ではありません。お気持ちだけいただきます」
昼間はその親王殿下と水をかけあって遊んでいたのだが。
彼女の仕事とプライベートとの線引きがどうもよく分からない。
「殿下、お飲み物は何を召し上がられますか?」
「何かこう……さっぱりとして飲みやすくて、でも力がつくようなものが良いんですけれど」
「はぁ……。果物のジュースか何かをお作りしましょうか?」
給仕役の執事が困った声を出した。
それを聞いて、私の足元近くでエサ椀に鼻を突っ込んでいたタヌキが顔を上げた。
「ん? 何?」
「どうかしましたか、レセディ?」
「えーと、ちょっと待ってね。……ヨーグルトと、牛乳? あと砂糖とレモンを用意して」
「……もしかして私に言われたのでしょうか?」
タヌキに言われるまま伝えたところ、執事が不思議そうな顔をした。
「ええ、そうよ。お願い。なるべく冷たいものをよろしく。ボウルとグラスもね」
「はぁ」
タヌキに……もとい、キツネにつままれたような顔をして執事が一度下がる。
指示した材料はすぐ台所から用意されてきた。
「ヨーグルトと牛乳を同じ量混ぜて……砂糖とレモンで味付けする? よく泡立ててできあがりなのね?」
「誰と話してるんです?」
しまった。ついついタヌキの指示を複唱したせいで怪しまれてしまった。
気をつけなければ。
「気にしないで。自分でも忘れかけてたから思い出すために、ね」
「はぁ?」
そうこうしているうちに、ボウルの中に材料を混ぜ合わせて適当に味付けした液体が出来上がった。
どこかで覚えのある見た目の白い液体で、さわやかな香りがした。
「これってラッシーじゃない!」
「ラッシー?」
「へー、こんな簡単に作れるんだ……。マダマさまも飲んでみて。きっと気に入るわよ」
グラスに注いだそれを、マダマさまはちょっと不思議そうに見ていた。
この世界ではヨーグルト飲料のようなものはあまり一般的ではないらしい。
「……美味しいです!」
砂糖を多くして甘めにしたのが功を奏したようだ。
マダマさまはごくごくと一気に飲み干してしまった。
清涼感のある酸味といい、体に良いヨーグルトを使っていることといい、確かに遊び疲れた夏の日にはぴったりの飲み物である。
(ラッシーってもっと果物とか入れてミキサーがないと作れないものだと思ってたわ)
<<果物や香辛料を使ったものもあるけどな。インドの方では基本的にはヨーグルトを使った飲料はみんなラッシーだよ>>
私の分の飲み残しを小皿に入れて床に置くと、タヌキが舌を出してぴちゃぴちゃと舐めとった。
<<狭い意味だとドゥードゥーからダヒーを作ってそこからマカーンを抜いた残りの成分がラッシー>>
(ちょっと待って、分かんない)
なんだその悪魔を召喚する時に使いそうなワードの連続は。
(もしかしてあなたって、知識はすごいけど人に教えるのは実は下手だったりする?)
<<悪かったな>>
タヌキが自分の口の回りについたラッシーを舐めとった瞬間。
――――――ドォン!!
「!?」
大音量が鳴り響いて、一気に膨張した空気がテーブルクロスを震わせた。
<<なんだ、なんだ!?>>
「な、何の音!?」
「まさか砲撃!? 殿下、伏せてください!」
「違いますよ、ほら、あれ見て!」
とっさに駆け寄ったベリルに無理矢理椅子から立たされようとしたマダマさまが、バルコニーから見える夜空を指さした。
――――――ドン、ドン。
連続する音と共に、空に大輪の花が咲いていた。
「……あれ、花火?」
記憶の中にある日本の花火大会なんかで上がっていたものに比べると、形は不揃いだし、色も一色だけだし、星の形が途中で変わることもない。
が、しっかりとした夜を照らす花火だった。
「この世界に打ち上げ花火なんかあるの!?」
<<じゅ、13世紀のイタリアではもう打ち上げ花火はあったし、徳川家康がイギリス人から献上された花火を見物したなんて話もあるし、あってもおかしくはないな>>
音で驚いたのか、ぷるぷると足を震わせながらタヌキがうんちくを披露した。
確かに打ちあがる度、耳が痛くなりそうなくらいの大音量が全身に響いてくる。
「はぁ……。でもすごい音ねえ」
<<花火自体は小さいけど、炸裂する高度が低いし距離が短いんだ。多分近くのどこかから打ち上げてる>>
「良く分かるわね、そんなこと」
<<光ってから音が届くまでの時間で分かるだろ?>>
今にも気絶しそうなくせにそういうことだけ良く気が付くやつだ。
「ねえ、見てレセディ! すごいですよ!」
感心半分呆れ半分でタヌキの話を聞いていると、マダマさまがバルコニーの手すりにかけよって両目を輝かせていた。
「本当にねぇ……。でも誰が打ち上げてるのかしら?」
「きっと叔母上ですよ、ボクらのために用意してくださったんです!」
「大公夫人が?」
だとしたら粋なサプライズだ。
マダマさまにとっては忘れられない思い出となることだろう。
「……なんだかすごいです、鳥肌が立っちゃった」
「確かに。こんなに近くで花火見るなんてなかなかできないわ」
「それだけじゃなくて、ボクは今日一日で生まれて初めての経験をたくさんさせてもらいました!」
次々と空に輝いては消える花火を見上げながら、はにかみの笑みをマダマさまは浮かべた。
「きっとこんな日は一生に何度もないです。ありがとう、レセディ」
心のこもった言葉というのは、後ろでどんな物音が響いていても聞こえるものらしい。
マダマ様の声が私の耳には澄明に聞こえてきた。
「……」
なんと答えたら良いのかすぐには思いつかなくて、やむをえず少年と同じはにかみ笑いを浮かべる。
私たちはしばらく無言で笑い合って、それから再び花火を見上げた。
―――――ひょっとして大公夫人の嫁取りや跡継ぎ云々は全部口実で。
甥っ子に楽しい夏の日をプレゼントしたくてこんなことを企画したのだろうか。
ふとそんな考えが頭に浮かんだ。
(だとしたら、傍若無人に見えて結構な繊細な気遣いができる方なのかも……)
「なんじゃ、うるさいのう!!」
感傷も物思いも吹き飛ばす一喝がバルコニーに響いた。
「!?」
その場にいた全員の視線が集中する。
バルコニーの入り口に、寝間着姿で洗い髪のままの大公夫人が仁王立ちしていた。
不機嫌そうに眉にシワを寄せている。今まで寝ていたのを花火の音でたたき起こされておかんむり、といったところだろうか。
「一体これは何の騒ぎじゃ! んん!?」
「「「…………」」」
今度は私たちの間で視線が交錯した。
牽制し合うように互いの目の色をうかがいあった後で、マダマさまとベリルがすがるような眼光を送ってくる。
やむをえない、私が代表して答えることにしよう。
「…………何って、大公夫人が花火を用意してくださったんじゃなかったんですか?」
「花火?」
ちょっと考え込んでから、
「ああ、そうか。ワシが支度させたんじゃった」
悪びれもせずに言い切った。
「そんなことよりカジノじゃ! 今日こそあの白髪の若いギャンブラーをぎゃふんと言わせてくれる!」
「はぁ。そうですか」
「用意をせい! 着替えじゃ、髪じゃ! 食事? そんなもの馬車の中で取る!」
後は夜行性の大魔神が目覚めたのと変わりなかった。
執事やメイドたちが大慌てで支度をする喧騒が別荘中に響く。
「……」
空しく上がり続ける花火を背後に、取り残されたバルコニーでぽつりとつぶやいた。
「あの人さえいなかったら最高の一日だったのにね」
「「し―――っ!!」」
マダマさまとベリルが全く同時に、自分の唇に指を当てて黙るようにジェスチャーをしてきた。
ちょっと更新のペースが落ちるかもしれません。
できたら続きは今夜追加します。




