4_11 水遊び
白い帽子とサマードレスを身に付けた私。
鹿撃ち帽子を頭に乗せたマダマ様。
軍帽と軍服を一分の隙なく着たベリル。
眠そうにアクビをつきながらのたくたとついてくるタヌキ。
川べりを歩く一行の見た目は、いささかちぐはぐでまとまりがなかった。
<<なんで俺まで……>>
(良いもの持ってきてあげたから我慢しなさい)
<<良いもの?>>
タヌキがフンフンと鼻を鳴らして、私が手から下げたピクニックボックスの匂いを嗅ごうとする。
「あの辺りが良いんじゃないですか?」
マダマさまが指さしたのは、道のすぐ脇から川を見下ろせる高所だった。
なるほど水の流れも速いし、水面を広く見渡せるし、釣りには実に適した場所に見える。
が、私の目的には適していない。
あそこではすぐ人目についてしまう。
「いいえ、あっちにしましょう」
反対側を指して提案する。
川が大きく曲がって水の流れが弱まる河原。
水面を隠すかのように張り出した木々とごつごつした岩に覆われて、道からは見通しが効きにくくなっている。
あそこならばっちりである。通行人に見つかるのを心配しなくて良さそうだ。
「ではそうしましょうか」
マダマ様は特にこだわることなく私に譲ってくれた。
水と太陽で洗われた、清潔な石が敷き詰められた河原へと降りていく。
「この辺りで良いですか? ではベリル。お願いします」
「はい」
ベリルが荷物を下ろす。これまで別荘から一人で荷物を運んでくれていたのだ。
『手伝おうか?』と声をかける前に女警護官はテキパキとマットを広げ、ビーチパラソルに似た大きな日傘を設置してしまう。
私が出る間もなく、ピクニックセットができあがった。
「さっそく釣りを始めましょう!」
「どうぞ、殿下」
マダマさまが身長に比べて長過ぎる大人用の釣竿を受け取った。
別荘のスタッフの手によって、もう糸も針もばっちり用意されている。
「魚がちょっとかわいそうな気もするけれど……頑張って釣って、レセディに大きなマスをプレゼントしますからね!」
釣りをすることを全く疑っていない。張り切った様子で少年は釣り竿を握りしめた。
「エサは? 毛バリ? へー、こんなに種類があるんですね」
「今の時期は毛が短いものが良いようです」
うきうきと釣りの道具箱をのぞ込む少年から離れて、腰かけるのにちょうどいい大きさをした岩に近づく。
「? レセディ?」
「あ、マス? 良いのよ別にもう」
「え? でもマスが大好きって言ってたじゃないですか」
「ああごめん、あれウソ」
「えぇっ!?」
喋りながらヒール付きのサンダルを脱いで岩の上に置く。
次はタイツだ。サマードレスのスカートの裾から手を差し入れて剥がしていく。
「きゃ――――――ッ!」
黄色い少年の悲鳴が上がった。
「れ、レセディ!? 何をしているんですか!」
「何って、脱がないと水に入れないでしょ」
初心な少年は両目を手で覆うようにしていた。
見てはいけないと思ったのだろう。
白昼堂々と両足を露わにするなどこの世界の貴族の子女の常識としてありえないからだ。
「あはは、良いじゃない別にこれくらい」
サマードレスの裾をまとめて結んで動きやすくする。
真っ赤に茹で上がった少年の前を通り抜けて、川の水に足を浸した。
「うぅ……冷たくて気持ちいい!」
水は澄み切っていて、そのまますくい取ればミネラルウォーターと言っても通りそうだった。
川べりから離れ行くうちに深くなっていく水底に合わせて、水の色は少しずつエメラルドグリーンに染められていく。
そして対岸近くでは、張り出した木々の若葉が映り込むのと合わせて完全に緑になっていく。
なんとも心洗われる眺めだった。
のんびり釣り糸を垂れているなんてもったいなさすぎる。
「あーっ、最高!」
思い切り足でジャバジャバと天然ミネラルウォーターを跳ね上げた。水温は低くて肌に少しピリピリとくるくらいだが、むしろその刺激が心地良い。
なんという解放感だろう。
陰謀と裏金稼ぎに精を出す悪役令嬢として生きてきた間に、心にこびりついてしまった汚れまで落ちていくようだ。
<<子供じゃあるまいし、そんなにしゃがなくても良いだろう>>
「何よ」
水際までやってきたタヌキが呆れたこっちを見上げていた。
「あなたも水に入ったら? ……あっ、タヌキってもしかして泳げない?」
<<フン、甘く見ないでもらおうか>>
ピン! と太い尻尾を立ててからタヌキは水の中に入ってきた。
「おぉ!」
白鳥のように優雅な泳ぎ……とはいかないが、ぴょこぴょこ小刻みに体を揺らしながら泳いで近づいてくる。
目と耳と鼻先、それから背中だけを水面に出して泳ぐ姿は新種の水生生物のようだ。
犬かきならぬタヌかきで川半ばまで泳ぎ切ったタヌキは、水面から顔を出した大きな岩によじ登った。
<<どうだ見たか、タヌキのポテンシャルを>>
「どうもおみそれしました」
<<分かればよろしい>>
そう言うと、タヌキは体をぷるぷると震わせて水気を切った。
「マダマさまもいらっしゃいな! 病みつきになるわよ、これ!」
川辺で警護官と並んで呆然としている少年を手招きする。
もちろんこんな大きな音を立ててしまって魚は逃げてしまって、釣り場としてはこの場所は台無しだ。
「…………」
驚いているのか呆れているのかどちらとも読み取れる顔でしばらく固まっていたマダマ様だが、10秒ほど迷ってから自分の靴に手をかけた。
ちょっと苦労しながら長い靴下を脱いで、ひざ下まであったズボンを思い切り引き上げる。
「で、殿下! 水に入るのは危険です、おやめください!」
ベリルが制止するが、構わずおそるおそるといった具合に足の指だけを川の水に浸す。
「きゃっ!」
が、水の冷たさに驚いて慌てて飛びのいた。
「おいでー」
「……」
私に笑われまいと思ったのか、大きく深呼吸してからマダマ様は水の中に踏み入った。
「うわぁぁぁ……」
水の中の石を踏みして、両足が清水に洗われていく感覚に少年の表情が急速にほころんでいく。
未知の快感を教えているようで、何か背徳的な喜びが私の背中をぞくぞくとさせた。
「もっと深いところまで行きましょう」
「えっ、でも、怖いですよ」
「あはは、大丈夫だってば」
「ほ、本当?」
「ほら。手つないであげるから」
じゃばじゃばと浅瀬まで戻って少年の両手を取ると、ゆっくり深みの方まで誘う。
(まるで赤ちゃんのお風呂だなー)
などと思ったが声に出しては少年を傷つけるだろうから口には出さないでおく。
「て、手を離さないでくださいね! 絶対ですよ!」
「はいはい、あんよは上手」
「からかわないでください! ……って、服が濡れちゃいますよ!」
「良いじゃない、別に汚す訳じゃないし」
『服を濡らすような遊びをしてはいけない』とずっとしつけられてきたであろう王子様の手を引いて、下半身全部が水に浸かる深さまで連れていく。
水の流れがゆるやかだし、このくらいの水深でも恐怖感はない。むしろプールに入ったような心地よさがあった。
「あっ、あっ!」
下半身から徐々に服と肌の隙間に水が入ってくる感覚が新鮮だったのだろう。
思わずマダマ様が声を上げた。
「ふわぁぁぁ……」
が、その気持ちよさに段々顔がほころんでいった。
その顔を見るともう我慢が出来なくなった。
ぱっと手を離して、水面の水をすくい上げる。
「それぇっ!」
そして手のひら一杯の水を、目の前の端正な顔に向けて思い切りぶちまけた。
「……!」
一瞬驚いた顔をしたマダマ様だが、すぐに花が咲くように小さく笑った。
「いきなりなんてひどいですよ!」
「あはは、ごめんなさい」
「この、この! おかえしです!」
「キャー!」
慣れない手つきでマダマ様が水をぶちまけてくるのを、大げさに背中を向けて逃げ出した。
もう慣れたもので、もたもたとしつつもマダマさまも水底を蹴るようにして追いかけてくる。
「…………」
ただひとり岸に残ったベリルが、ありえない光景に呆然としていた。
続きは今夜追加します。




