4_8 パームハウス
「あそこが植物園ですよ」
「へー、きれいなところじゃない?」
黒馬の背に揺られること20分ほど。
背の低い垣根に囲われた平地の向こうに、整理された庭園と浅く広い池、そして巨大な温室の屋根が見えてきた。
<<思ってたより近代的だな>>
借りてきたチワワのようにぷるぷると震えていたタヌキも興味を持ったようだ。
そのまま石道を進んで入口近くにたどり着く。
開園準備の途中だったようで、門は閉ざされている。
鉄柵の間から職員らしい男が顔をのぞかせてきた。
研究職らしいのんびりとした風采だったが、流石に男の子と若い女の組み合わせが巨大な軍馬に乗ってやってきたのには驚いたようだ。
「ど、どちらさまですか?」
「私たち、キューレット大公夫人の別荘から来たものですけれど。 見学させていただけるかしら?」
「キューレット大公夫人!?」
「ついでにこの子は先の皇太子殿下のご子息ね」
「です」
「……ってことは、親王殿下!?」
男は今度こそ口を開けて仰天した。
『とにかく待っていてくれ』と早口でまくしたてられ、返事をする前に慌てて奥の建物へと引き返していった。
責任者を呼びに行ったようだ。
(一体何だと思われたのかしら……)
しばし待たされてから、職員たちが速足でやって来た。
親切にもそのうちの一人が踏み台になる木箱を抱えてきてくれている。
勢い余ったのかハシゴを持ってきたやつまでいた。
「し、親王殿下にご来臨頂き、誠に光栄の至り……。王族の方をお迎えできるなど何年ぶりでしょうか!」
マダマさまが木箱から降りるのを待って、職員たちの中で特に年を取った白髪のおじいちゃんが挨拶してくる。
どうやらこの植物園の長のようだ。
息もたえだえに謝辞を述べながら、感激のあまり涙まで浮かべていた。
「どうぞこちらへ、来賓室でおくつろぎくださいませ。 職員がご案内いたします」
「どうもありがとう。でも結構です。個人的に楽しみに来たので、お気遣いなく」
曲がりかけた背中をさらにぺこぺこと折り曲げて案内しようとする園長に対して、マダマさまは容赦なく断った。
「……は?」
「馬をお願いしますね」
「入場料は? どこで払うのかしら? 切符買うの?」
「無料ですよ、王室が造ったものは博物館でもどこでもそうです」
「えっ、そういうものなの?」
居並ぶ職員たちを尻目にして、マダマさまと私それからタヌキは園内へと進んでいった。
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「マダマさまは来たことあるの、ここ?」
「小さなころに何度か。パームハウスに行きましょう」
「パームハウス?」
「ヤシや南の国の植物が植えてある温室です。面白いですよ」
綺麗に手入れされた庭園を抜けて、私たちは大きな温室へと向かった。
この世界では高級品のガラスを惜しげもなく使った四角い建物で、21世紀日本の記憶がある私からも見てもなかなか前衛的な見た目をしている。
全面の鉄骨とガラスが太陽を反射して輝くのは良いのだが、反射が多過ぎて近づくと目がチカチカするくらいだった。
「ほほぉ……これはなかなか」
温室の中は満たされている空気からして違った。
ただでさえ高い湿度に、濃密な植物と土の匂いが押し寄せてくる。
少し息苦しい程だ。
それ以上に圧巻なのは植物の数と種類だった。
『パームハウス』の名前通り、背の高いヤシの木がいくつも温室の天井から日光を受けている。
その他には背の高いものに葉の分厚いもの。
どこまでが茎でどこまでが葉なのか分からないもの。
奇異な見た目の花をつけたもの。
乱雑と言っていいくらいに多種多様な異国の植物の間を、普段この地では見ることのできない極彩色の羽をした鳥たちが飛び交っている。
「すごいわね、これ全部生きたまま外国から取り寄せたの?」
「そうですよ。先代の国王陛下……おじいさまが若い頃に王室財産で設立されたんです」
「へーえ。よっぽど植物がお好きだったのねぇ」
「それもあったでしょうけど、植物の研究をして学問や林業や農業に活かすためだったと聞いています」
「植物園って公園の亜種くらいの考えてたけど、ずいぶんスケールの大きな話ね」
「温室のとなりには種子の保管庫と研究所もあるんですよ」
そういえば温室のところどころでは、研究員らしい人影が植物の世話をしたり記録をつけていたりするのが見えた。
これだけの異国の植物を管理するのは大変な苦労だろうな、と思いながら通路を進む。
「あれを見てください、ハスっていう植物です」
「へー、温室の中に池まであるんだ」
円形に浅く掘られた池の水面は、大きくて丸い蓮の葉で覆われていた。
「おじい様が南方のセレンディープから取り寄せたんですよ、珍しいでしょう?」
「えっ? そ、そうね! 初めて見るわ!」
日本人としての記憶が刷り込まれている私としては珍しくもないのだが、ここは少女漫画【ダイヤモンド・ホープ】劇中のファセット王国なのだ。
ハスなんて自生していないし、レンコン畑やお寺の水面が蓮に覆われている景色などあるはずもない。
ここは近世ヨーロッパ風のファンタジー国家に産まれた貴族の娘らしく、話を合わせることにしよう。
「ハスの葉っぱの表側は水をかけても絶対濡れないんですよ! 不思議でしょう?」
「そうなの? す、すごーい」
<<葉の表面の微細な毛が弾くからだな>>
ちょっとわざとらしく感心している横で、タヌキが冷めた口調でクチバシを挟んできた。
「今日はちょっと時期が早かったみたいですけれど、夏にはすごくキレイな花が咲くんですよ! レセディにも見せたかったなぁ……」
「わー、残念……。見てみたかったなぁ……」
ちょっと早口になって知識を披露する少年に嘘をつくのは正直心苦しかった。
「それでそれで、蓮の花は開くときには音が鳴るって言われてて……」
<<ああ、ちなみにそれデマな。迷信。実際録音した実験で確認されたんだ>>
(あなたは黙ってなさいっ!)
<<教えてやれよ>>
(できるわけないでしょ!)
かわいらしい王子様の背伸びにタヌキが余計な口を挟んでくるのを叱りつける。
この世には言わなくて良いことだってあるのだ。
こんな調子では人間だったころも絶対にモテなかっただろう。
「むっ?」
石敷きの通路は水で濡れていて、こぼれてきた腐葉土やら赤土やらと混じり合って泥で汚れていた。
研究施設というだけあってあまり観光客のことは考えていないようだ。
よく見ると石敷きの通路も凹凸だらけだし、気をつけないとすぐこけてしまいそうだ。
説明に夢中になっているマダマさまは気づいていないらしい。
「マダマさま、手をつなぎましょう」
「えっ」
「ほら、滑って転んだりしたら大変だわ」
ケガをさせたりしたとあっては、一人寂しく待っているであろう女警護官のベリルに対して申し訳が立たない。
反論したり遠慮したりする間を与えずに少年の手を握る。
手のひらは丸くて柔らかく、女の子のようだった。
「…………」
急にマダマさまは押し黙ってしまった。
「ん? どったの?」
「え? いえ、な、なんでもないです! 次に行きましょう!」
「どうかした?」
「平気です……。そ、そう! あの草も珍しいですよ、その、さんじゅ、三十年に一度しか花が咲かないっていう……」
急にしどろもどろになって、マダマさまはお世辞にも見栄えが良いとは言えない背の高い草の説明を始めた。
喉でも乾いたのだろうか?
そういえば頬も耳も赤みが差している。
無理もない。温室の中は太陽の光で温められている上に、じっとしているだけで服が肌に貼りつきそうな湿度であることだし。
「マダマさま、ちょっと休憩してお茶でも飲ませてもらう?」
「一緒にお茶!? そ、そんなのボクにはまだ早いです!」
「え? そう?」
まだ喉が渇いているわけではないらしい。
<<そういう態度は男を誤解させるぞ?>>
(はぁ? 何のことよ?)
<<別に?>>
それきりタヌキは興味を失ったようで、何やら勝手に植物の間をふんふん鼻息を立てながら見て回り始めた。
「つ、次はあっちでインコを見ましょう! 鳥小屋があるんです!」
「はいはい」
「インコって種類によってはすっごく長生きなんですよ。お爺様が子供の頃にもらった鳥がまだ生きていて……」
手のひらにじんわりと汗をにじませた少年に手を引かれて、植物園の中を進んでいった。
最近誤字脱字報告をたくさんいただいてます、ご指摘ありがとうございます。
次回は明日朝8時に追加します。




