血の大晦日(5)
「素敵、ですか」
王妃をそう評した私に対して、宰相は含むところがあるかのような物言いをした。
「いけませんか?」
ムッとして食ってかかってしまう。
アルガリータちゃんもとい大公夫人の顔色が険しくなったが、私は思ったことを言ったまでだ。
アンベル王妃のしていることを責める気にはなれない、というのが正直な気持ちだった。
彼女は国王の妻という立場よりも、娘の母親であることを優先しただけのことだ。
公務を放棄して自分のプライベートな空間に引きこもっているという批判があるのは当然かもしれないが。
事実その生活を続けなければ、カイヤ王女は生来の免疫不全でとうに死んでいてもおかしくなかった。
「いいえ、とんでもない」
いかにも包容力のある大人といった態度で、余裕たっぷりに宰相は言った。
「ただ、普通は王族の方に敬意を払うには『優雅』や『気高い』と言った誉め言葉の方を使うことが多いのではないかと」
「うっ」
確かにそっちの方が当たり障りのない表現であった。
素敵というのはあくまで自分が心を引かれる様を語る言葉だ。
目上の相手に対してなれなれしい、と言われても仕方ない。
(やばっ!)
宰相の肩ごしに大公夫人が、じとーっとした目でこっちを睨んできている。
まずい。部屋に入る前の忠告を何一つ守れてない。
「私も同じ意見です」
「へ?」
てっきり失点をあげつらわれて嫌味を言われるものとビクビクしていたら、なんと宰相は賛意を示してきた。
「い、良いんですか……? そんなこと言って? その、宰相閣下のお仕事としては王妃様には公務をしてもらわないと困るんじゃ?」
予想外の言動にずけずけとした物言いになってしまったが、宰相は気にした様子もなく答えた。
「ははは。確かにそうして頂いた方が小職としては助かりますが、これは国王陛下のご意思ですので」
「ううん……?」
「王妃様の公務の分までご自分がお勤めになると、陛下は常々はっきりと小職に断言されております」
まさかあのパリピな王様がそんな殊勝なことを言っているとはちょっと信じられなかったが、宰相がウソをつく理由も思いつかない。
そういえば、そもそも貧民街で食料を配るだなんて王様が自らするような仕事ではない。いくら王族が少ないと言ったって、他の人に任せたっていいはずだ。
(まさかそうやって全部引き受けてった結果、毎回慈善活動をする羽目になった……?)
パレードで見たパリピな王様の印象と、宰相が語る健気な夫としての姿がどうしても頭の中で一致せず、頭が軽くくらくらした。
「しかし意外ですね」
「い、意外?」
「レセディ嬢のように自ら事業で活躍されているご婦人は、王妃様のように家庭のことに専念されている方にあまり良い印象を抱かないのではないかと思っていましたが」
別に私はバリバリのキャリアウーマンでも、やりたくて事業を始めたわけでもないのだが。
この国では起業したり商会と交渉したり外国から資本を呼び込んだり異民族と交渉したりするのは完全に男仕事とされているから、そう思われるのもやむをえまい。
「そ、そんなことはありませんわ。私にだって家庭に憧れはありますとも。おほほほ……」
「そうですか。しかし以前にカナリー子爵との縁談が持ち上がった時は、一方的に破談にされたとうかがっていますが」
「うっ」
痛いところをついてきやがる。
お見合いをすっぽかして北の果てに飛び出していったことまで把握しているとは。
流石一国の宰相。情報に関しては油断ならないことまで収集している。
「あれは……そう、使命感でしたことですわ! 遠いオズエンデンドで領地を経営なさる公爵殿下をお助けしたい一心で……!!」
「左様ですか。王室への忠誠心、頭が下がる思いです」
どこまで本気なのか分からないが、スネの傷をごまかそうとする私の言い訳に宰相はうなずいてきた。
「前から一度聞いてみたかったのですが。レセディ嬢はどのような経緯で、ご実家を離れて遠いオズエンデンドで働かれるようなことに?」
笑ってごまかそうとしたら、思わぬところに食いついてきた。
難しいことを聞いてくるなあ、この人。
とても一言では説明できないので、私は思ったままを答えた。
「なりゆきです」
「……なりゆき?」
「ちょっとそうとしか言えませんわ」
偶然とトラブルと作為とその場のノリが幾重にも重なった結果を他に言い表せる言葉が見つからなかった。
「お父上のロナ伯爵がよくお許しになりましたね」
「それがその……勝手に飛び出しまして」
「それは大胆な」
ほうっ、と宰相が息をついた。
「失礼ですが、家庭に入られる意思はないのですか?」
「は?」
この人何を聞いていたんだ、とぽかんとしてしまう。
ついさっき自分で、私が縁談を最悪な形で破談にしたのを挙げたばかりじゃないか。
「結婚願望がないといえば……、その、ウソになりますけれど」
「立ち入った質問を何度もして恐縮ですが、オズエンデンドではそういったお話はなかったのですか?」
苦笑いを返すしかなかった。
侯爵家のカリナンとの婚約を破談にして、その後は親父が持ってきたお見合い話に百回も失敗してきた私と結婚したいだなんて、そんな酔狂な輩が果たして王都どころか国中見渡してもいるだろうか?
しかも北の果てのど田舎だったオズエンデンドで?
ありえないだろう。
「アハハハ……。ご縁がなかったもので」
「とても信じられませんね」
「へ?」
「私から見て、貴女はとても魅力的です。気風といい、斬新な発想といい、大胆な行動力といい。王都の他の貴婦人たちにはないものをたくさんお持ちだ」
「ど、どうも……」
こんなセリフを面と向かって、照れもせずに吐ける男というのはどういう考え方をしているのだろう。
まるで芝居のような歯が浮くようなセリフだが、こうも堂々と言われているとついつい勘違いしそうになってしまう。
「いかに王都から遠いとはいえ、お話の一つくらいあっても良さそうなものですが」
「は、ははは。全くなかったわけではないんですが……、ちょっと条件が」
臣従の証として騎馬民族ツァガン族のイケメン集団のお婿さんをあてがわれそうになったことは黙っておいた。マダマさまがその場で無理矢理破談にしたことも含めてだ。
「では興味がないわけはない?」
「そ、それはもう。良いお話があれば、うかがうのはやぶさかではありませんわ」
「それを聞いて安心しました」
「は?」
……安心とはどういう意味だ?
「長々と失礼しました。小職の用は済みましたので、これにてお暇致します」
突っ込んで聞こうとした瞬間、宰相閣下は体操選手のように敏捷な動作で席を立ち辞去の姿勢を取り始めた。
「あ、ちょっと待って! 最後に聞きたいことが!」
ぶつけようと思っていた疑問がまだ話にも出ていないことを思い出して、慌てて食い下がる。
「何か?」
「王妃様の報道について、あなたが新聞各社に手を打っておられると聞きました!」
「私にそのような力はありませんよ。新聞社に友人が多いのは確かですが」
おためごかしは良い。本当に聞きたいのはもっと踏み込んだ話だ。
「どうして新聞には、王妃様を擁護するような論陣を張らせないんです? あなたなら簡単でしょうに」
世間の口さのない人たちから引きこもり王妃とののしられるままにしている。
貧民街のマーカスの祖母までもが、外国人という理由だけでツバを吐く始末だ。
そこまでの悪評を野放しにしていても、宰相に得なんてないだろうに。
「それっも国王陛下のご意思です」
「……は?」
「特に王妃様の世評について手は出さぬようにと」
……なんだそりゃ。
公務は自分が無理してでも肩代わりするくせに、妻の悪い噂は放置するのか?
いったい国王は嫁さんをどうしたいのだ?
ぽかんとしてしまう私に、宰相は舞台役者のような大仰な仕草でお辞儀をした。
「ではこれにて。大晦日の王宮のパーティーには私も招待されております。レセディ嬢のお目通りに立ち会えることを今から楽しみにしておりますよ」
げっ、この人も来るのか。
嫌そうな顔になるのをこらえるのにちょっと精神力が必要だった。
「それではこれで臣はお暇致します。大公夫人」
そして改めて深々と、宰相はアルガリータちゃんもといパルラ大公夫人の方へ最敬礼して見せた。
『!?』
突然のことに固まる私たちをよそに、またもや例の人好きのする微笑を浮かべて
「いずれ正式にお会いして頂ける日を心待ちにしております。これは本心からの言葉でございます」
などと気障なことを言い切って、宰相はそのまま部屋を出て行った。
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「……話が違うじゃないですか!」
「バレとったか」
宰相が出て行ってからしばらくして、私は大公夫人にそう文句をつけざるをえなかった。
「これじゃウソついていた私がバカみたいじゃないですか!」
「あれー? おかしいのう?」
謝りもせずに大公夫人は首を捻って見せる。
「あいつとは直接会ってないはずなんじゃが……。北の果てで軍隊を止めたときに顔を見られたか……。それとも大臣の誰かが漏らしておったか……」
「つ、詰めが甘い……」
「うっさい。そなたも十分情けない姿を晒したろうが。お相子じゃと思え」
「そういう問題ですか!?」
なんか納得いかない気持ちでいっぱいになったが、それはそうとして気にかかることがあった。
「……一体宰相閣下、わざわざ何しに来たんです?」
「分からん。あいつの考えることは全然分からん」
会話もとりとめのないことばかりだったし、これでは本当に王妃の身の回りのものを届けに来ただけではないか。
「私に余計なことをしないように釘を刺しに来たとか? でもそんな感じじゃなかったですよね……?」
「うーむ……。何か企みの予感のようなものを感じないでもないが、何をしようとしているのかさっぱりわからん!」
確かに。企みの正体はさっぱりわからないが、何か薄気味の悪い意図の存在を感じざるをえない。
しかし二人でいくらしかめっ面をしていても、宰相がどういうつもりなのか全然答えは出なかったのだった。
……大公夫人の予感が最悪の形で的中していたことを私が気付かされたのは、大晦日の当日になってからのことになった。




