血の大晦日(1)
その晩はなかなか寝つけなかった。
王宮との往復に、王女と王妃を連れだす気苦労に、その後の屋敷での二人の居室の差配に……。
体はくたくたに疲れているのに、頭だけは不思議と眼だけは不思議とギンギンに冴えてしまっていた。
「…………不安だわ」
こうして与えられた部屋で静かにしていると、改めて自分のやったことが重圧としてのしかかってくるような気分になってくる。
冷静に考えたら、どんなに言い訳を並べたところで王妃と王女を連れ出すだなんてとんでもない不祥事だ。
諸々の混乱、宰相の思惑、王妃の世評。
状況を考えれば私が責められることはないと計算が立つわけだが、小市民なままの感がいつまで経っても不安を訴えてくる。
「ねえ、本当に大丈夫だと思う?」
《あん?》
床の上に声をかける。
ベッド代わりの洗濯カゴの縁に犬みたいにアゴを乗せて、ボーっとしていたタヌタヌが耳をピクピクとさせた。
「朝起きたら衛士隊が乗り込んできて、『逮捕だー!』なんてことになったりしないかしら……」
《今更不安になるのかよ!》
呆れ声を出されるが、心配なんだから仕方あるまい。
《じゃあやらなきゃいいじゃん!》
「やらなかったらもっとひどいことになってたかもしれないでしょ!」
《これまで散々大それたことやってきたじゃん。少しは自信持てよ》
もしかしたら励まされているのかもしれないが、タヌキに多少元気付けられたところで不安が払拭されるわけではなかった。
「今までとはレベルが違うわ! 囚人とか外交官とか騎馬民族とか相手にしてきたのはともかく、今回は王女と王妃よ? ガチの国家権威に手を出したのよ」
《んなこと言いだしたら、散々良いようにしているマダマのボウヤだって王族じゃん》
「マダマさまは良いのよ。かわいいから」
《どういう理屈だ》
タヌタヌには私の苦悩は理解してもらえないらしい。
不安と孤独感とがさらにひしひしと押し寄せてきて、頭を抱えたくなってきた。
「半年前は結婚して修道院生活から逃げることだけ考えればよかったのに……。どうして国政やら王族のことやらトラブルに巻き込まれてんの!? 私はただの元OLで、漫画は脇役の悪役令嬢なのに!」
《今になって仕方ねーじゃん。そんなこと言ったらオレなんて今のただのタヌキだし……》
大きなあくびをついたタヌキも眠る気はないようだった。
ぼてぼてと短い脚を動かして、何やら落ち着かなく動き始める。
のそのそと自分のベッドと部屋の片隅を往復したり。
生あくびを何度も繰り返したり。
無意味に壁に斜めにもたれかかったり……。
「何よ、落ち着かないわね!」
まるでヒマを持て余した子供のような行動がカンに触って、ついつい声がささくれだってしまう。
《しょーがねーだろ、タヌキはもともと夜行性なんだから》
本人も退屈な時間をどう潰したものか考えあぐねている様子で、四つの短い脚を全部宙に投げ出しながらタヌタヌが答えた。
「じっとしてなさいよ」
《やることねーんだもん!》
「じゃあ明るいうちは起きてれば良いじゃないの!」
《昼間も眠いんだよ!》
などと愚にもつかない言い争いを続けているうち。
私の方にはいつのまにか睡魔が訪れていた。
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翌朝。
「おはようございます、お嬢様」
いつも通り、物静かなトパースの声によって私は目覚めた。
「……ん。おはようトパース」
「朝の御仕度の用意と、朝食の用意ができております」
洗顔と歯磨きの用意、そして贅沢すぎない程度に手の込んだ料理と焼き立てのパン。
いつも通りのさわやかな朝の目覚めだ。
どんなに世の中が慌ただしく動こうとも、トパースだけはいつも通りに早起きして私のために支度を整えてくれる。
その優しさにしみじみとありがたさがこみあげてくる。
だが。
しかし。
その、なんというか。
今日は一つだけ、メイドの背後にあるものだけがいつもとは違っていた。
「……何そのドレス」
何故か夜用の華美なドレスが吊られて用意されていた。
静かな冬の朝にそぐわぬ衣装が、異様な雰囲気を放っている。
「お嬢様が『お披露目』の日にお召しになるドレスです」
当然のように返されてしまったが、私はそんな話一切聞いていないぞ。
「食事がお済になりましたら、早速手直しを致しましょう」
「ど、どっから持ってきたのそんなもの……」
「ご実家からお持ちしました。お嬢様のお披露目のために、旦那様がご用意されていたドレスです」
「……あー!」
ようやく思い出した。
水面に小石を投げ込んで波紋ができるように、トパースの言葉に私の脳が刺激されて記憶野から情報が掘り出されてきた。
「あったわね、そんなの!」
すっかり忘れていたが、確かにこれは私用のドレスだ。
よく見ると覚えがある。
およそ2年と半年前、まだカリナンとの婚約を破棄する前に、父親が社交界デビューのために備えて作らせていたドレスそのものである。
「良く残ってたわね、もう2年以上前でしょ?」
「そう簡単にドレスを処分など致しません」
婚約破棄というイベントを経ていなければ、私はそのままカリナンと結婚して社交界にデビューしていたはずだ。
あの妙に目端の利くところのあるこすい親父は、当然そのための準備をしていた。
我が家までわざわざデザイナーを呼び寄せて作ってもらったことを、今の今まで失念していた。
「うわー、今見ても高そうなドレス……」
見栄っ張りで派手好きの親父が注文しただけあって、いかにも中年男性が喜びそうな豪奢な仕上がりである。
その後の婚約破棄とお見合い騒動で完全に着る機会を失っていた代物だが、今になって再び出てくるとは……。
「って、まさかうちから持ってきたの!?」
「はい。三日かけて、今のお嬢様の体形に合うようになるべく手直し致しました」
確かに2年半もあれば体形だって変わるし、私の着るものを一番把握しているのはお付きのメイドであるトパースだ。
貴族の女性の衣装係は、屋敷の使用人の中でも最高のステータスのひとつである。
優秀なメイドであるトパースは、もちろんその能力も意欲も十分持ち合わせている。その本業で能力を存分に発揮してくれようとしているらしい。
「ついにお嬢様も社交界にお披露目される時が来たのです。急なお話ですが、晴れの日にふさわしい装いを今から整えましょう!」
「あの、トパースごめんなさい。悪いけれど用事が終わった後にしてくれる?」
握りこぶしまで作って力説するトパースには申し訳ないが、しかし今の私はそれどころではないのだった。
「確認しないといけないことと、相談しないといけないことがたくさんあって……」
「ダメです」
断言された。
「いや本当に大事なことなの! 国にとってもマダマさまにとっても!」
「私にとっては、お嬢様のお披露目のことより重要なことなどありえません」
「え、えぇ……?」
髪の毛一筋ほども譲る気はないという意思が声から伝わってきた。
うわ、しかも目がマジだ。
自分の言っていることを百パーセント信じている人間の眼だ。
「あの、せめて新聞だけでも読ませてくれたりしない?」
「却下します。洗顔とお食事を、お早く」
「分かりました……」
メイドの眼力の前に、言い訳を考える余裕もなくうなずかざるを得なかった。
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「ぎょえええ……!」
ドレスを着るために肌着として身に着けるコルセットが、ぎりぎりと脇腹から腰にかけてを締め上げてくる。
イメージとしてはあれだ。囚人の全身を拘束して圧力を加えてくる拷問具に近い。
肋骨をきしまされる痛みに、口から交通事故に遭ったタヌキのような悲鳴が漏れてきた。
「お静かに願います」
「いや、でもこれ本当に痛いわよ!?」
背中側に立って、私が身に着けたコルセットの通しヒモを引っ張るトパースが冷徹に命じてきた。
一体この小柄な体のどこにそんな力が宿っているのか、ぎりぎりと締め付けて私の脇から腰にかけて少しでも細いラインを作り出そうとしている。
「こんなにきつく締める必要ある!?」
「ドレスに合わせるためです」
「え? もしかして私太った!?」
「色々なところが大きくおなりのようです」
「うわっ、恥ずかし!」
「お任せください。どうにかご婦人にコルセットをはめてドレスを着させて差し上げるのも衣装係の腕です」
「いや、できれば衣装の方を直して欲しいんだけれど!?」
「どっせい!」
「あいた―――っ!? やっぱ無理、ギブギブギブ!!」
トパースは私の背中にどてっと片足を押し当てて、両手に握りしめたヒモを全力で引っ張る暴挙に出た。
そうして無理矢理にでもコルセットをぎりぎりと締め上げてくる。
肋骨どころか背骨までがみしみしと悲鳴を立てそうな勢いだ。
トパースの名誉のために言っておくと。
主従関係が崩壊していそうな光景だが、これはドレスを着るときの正式なやり方である。
「コルセットで無理矢理補正して細く締め上げる」のが婦人にドレスを着せる際のごくありふれたやり方であり、衣装係は多少手荒な真似をしてでも許されることになっている。
何故こうまでしなくちゃならんのか疑問を感じざるをえないが、要は社交界の需要というのが主な理由だ。
つまり『美しくくびれて見える細身の女性のドレス姿が見たい』という男性のスケベ心を満足させて差し上げるためのコルセットであり、苦痛を強いられるというわけだ。
夜の華なやかな社交界のパーティーの世界は、女性の献身と涙によって支えられているわけだ。
「今ごろ王都中で婦人がこんな風にコルセットで肋骨を締め付けられてるのかしら……?」
「コルセットを締め付けすぎて、もともと弱かった骨が疲労骨折したご婦人もおられるそうです」
「ちょっと、大丈夫でしょうね!? 怖いこと言わないでよ!」
「ご安心を。お嬢様はご健康ですし、加減しています」
「うわぁ。たのもしーい」
そうこうしているうちにようやくコルセットを『装備』し終わった。
無理矢理締め上げる圧力に耐えるために、レースのデザインに反して生地も芯材も頑丈にできていて奇妙な着け具合だ。
「うーむ、防御力が高そう……。生半可な攻撃は跳ね返しそうだわ!」
「良く分からないことをおっしゃっていないで。ささ、ドレスをお召しください」
こうなれば着せ替え人形と変わりない。トパースの手で、みるみるうちにドレスを着せられていく。
「おぉ、悪くないんじゃないの?」
大きな姿見鏡の前で、ドレス姿になった自分を確認する。
貴族のデビュー時にお決まりのカラーである純白のドレスに銀製のティアラ、長くぴったりとしたロンググローブ。
我ながらなかなかのモノだ。これなら国王陛下もうっとりさせてやる自信はある。
「なんか王都に着てから私、服用意してもらってばっかだわ」
「本当でしたら、何か月も前からそのためのドレスを仕立てるのが普通ですのに。このような古いものを用意せざるをえず残念です」
トパースは溜息をついた。
オーダーメイドの新品を用意する時間がないのは彼女も承知のはずだが、それでも無念という様子だ。
「でもこれだって最高級品よ? 確かにもう古いけれど、そんなに悪いもんじゃないでしょ」
「このバッスルは最新のものと比べると大きすぎる上に、裁断が大ざっぱに過ぎます!」
「そ、そうなの?」
トパースがばっとドレスのスカートを上げ下げした。
裾を広げて見せるためにアンダースカートを着込むタイプなのだが、その形が気に入らないようだ。
「でもほら、時間ないしこのまま行くしかないでしょ……?」
「いいえ! このドレスのシルエットはお嬢様には合いません! 急いで直しを致しましょう。袖の丈も最近は少し短くするのが王都の流行りだそうです」
「ええ、良いわよそこまでしなくて」
「徹夜をすれば、なんとか時間に間に合います!」
締め切りに追われる週刊漫画家のようなことを言い出したぞ。
「それでも足りなければこのお屋敷のお針子に手伝っていただきます。お嬢様には完璧なお召し物でお披露目に出ていただきます」
「え、もしかしてトパース昨日も夜通しドレスを直してた……?」
寝不足のあつぼったいまぶたの奥で、トパースの両の目が情熱で燃え盛っていた。
私が眠れずにタヌキとくだらない話をして時間をつぶしている間に、必死に針を動かしてくれていたかと思うと罪悪感がこみあげてくる。
「何もそこまでしなくても……」
「お嬢様の晴れ舞台ですもの。今までご苦労なさってきた日々が報われるかと思えば、私も感に耐えません」
「そ、そういうもの? ありがと……」
私にとっても社交界デビューの日は重要ではあるのだが、とてもトパース程のめり込むつもりにはなれない。
「ま、まあトパースに任せるわ。このドレスはお望み通り好き放題いじってちょうだい」
「お任せください、必ずやご期待に応えてみせます!」
「あんまり根を詰め過ぎないようにね?」
「はい! お嬢様には3時間おきを目安にご試着いただくととになると思いますので、よろしくお願いします!」
「へ? 3時間?」
笑顔でメイドが不穏な発言をしたのを問いただす間もなく。
「れ、レセディ嬢!」
呼びかけとともに、力強くドアをノックする音が室内に反響した。
「え、ベリル!?」
警護官のベリルの声が廊下から聞こえてくる。
普段は謹直な彼女だが、続く声はどう聞いても取り乱していた。
「すぐにお越しください! 殿下が、殿下が……!!」




