らしいやり方(6)
「本当にここで良いの?」
安物の毛布を持ってきてくれたマーカスが、辺りを見回して怪訝そうに言った。
集合住宅の区切られた一画で、物置のように使われていてほとんど足の踏み場もない。
ここが今夜の私の寝床だった。
「お貴族様がこんなところで寝られるのかよ?」
「だいじょーぶだいじょーぶ、デスマーチで床に段ボール敷いて寝てた時のことを考えたらはるかにマシだわ」
「デスマーチって何?」
今は使っていないらしい古い背もたれのない椅子を組み合わせて、即席のベッドを作った。
マットなんて上等なものはないので背中が痛くなるかもしれないが、一日や二日は耐えしのぐしかあるまい。
《俺の毛布は?》
「あんたは自前の毛皮があるでしょ!」
「……ちょっと聞いてみるんだけどさ」
毛布を渡してからも物置の入口に立っていたマーカス少年が、視線をさまよわせながら口を開いた。
「その、さっき言ってたニホンってどんなところなのさ?」
「ん?」
けんもほろろに転生のことを突き放したもんだから興味がないのかと思いきや。
意外や意外、向こうから尋ねてきた。
「なんていうか……ここよりずっと未来の遠く離れた国よ」
「は? 未来? 前世とか言ってたじゃん!」
「いやまあそうなんだけれど。技術水準の話でよ」
「技術って?」
「うーん、ちょっと説明しづらいわね……」
私とはタヌタヌは、なんとかこの世界にも存在する概念で現代日本がどんな場所だったかを説明しようとした。
「鉄の四角い馬がいらない馬車が道を走ってて、遠くの映像が一瞬で鮮明に伝わる映写機がどの家庭にもあって……」
《情報は多くて知恵が少ないインターネットっていう通信網につながる、薄い板を全員が持ってるイカれた世界だ》
「……もしかしてアンタたちってクスリか何かやってる?」
頑張って伝えようとしたのだが、マーカスは全く信用していない顔だった。
《自分から聞いといて信じねーのかよ》
「信じられるわけないだろ! いんたーねっと? 通信網って何!?」
《平たく言うと世界中どこにいても、裸のエロい絵を探して見られる機能だ》
「何それすげぇ……! おれ、その国に生まれたかったな……!」
初めてマーカスが驚愕と感嘆で目を丸くした。
「やめなさい、噛み砕き過ぎよ!」
タヌタヌの悪意の混じった解説をさえぎって、私は別角度からのアプローチを試みた。
「逆に聞くけど、マーカスくんの方に何か覚えはない?」
「身に覚え?」
「明らかに別世界というか、ありえない景色を見た思い出とか……」
わざわざ自分から言い出すあたり、本人にもひっかかるところがあるのかもしれない。
本人にその確信がないだけで、漠然としてでも自覚がないなら誇大妄想で片づけておしまいだろう。
案の定マーカスは、自分の恥部を見られたかのように顔をしかめた。
「だってあれは……本当に夢の中の話で!」
「話してみて!」
ドンピシャだ。
何か心当たりがあるようなので、手を向けて先を話すようにうながす。
迷いながらも、マーカスはぽつぽつと打ち明け始めた。
「……たまに夢に見るんだ」
「どんな夢?」
「良く分かんないんだけれど、白い部屋に寝かされてて……。で、おれは赤ちゃんなんだ」
「赤ちゃん?」
何が恥ずかしいのか良く分からないが、マーカスはぽっと赤面した。
《なんだ? 幼児退行願望でもあるのか?》
「黙って」
タヌタヌが余計な口を挟むのをつま先で小突いて止める。
「その、変な場所にいてさ。ずっとまたたかないおかしなランプが天井にいくつも並んでる、周りが全部白い部屋にいるんだ」
マーカスはしゃべりながら、時々記憶を思い出すように視線をさまよわせた。
「あんな部屋見たことない。大人たちが時々入ってくるんだけれど、マスクと帽子で顔と頭を隠してて。着てるものもすべすべした変な服なんだ」
「…………」
「それから、俺の口からも鼻からも良く分からないけど、変な透明な筒みたいなものが伸びてて」
まるで今現在息苦しいかのように、マーカスは一度鼻をすすった。
「すごく嫌なんだろうけれど、手を伸ばしても掴めなくてイライラするんだ。で、それから……」
「それから?」
「透明できれいな大きなガラスが壁一面にはめられてるんだ。ありえないだろ?」
職人の手作り以外のガラス製法が存在しないこの世界で、そんな部屋があるはずもなかった。
「それで、ガラスの向こうから女の人が見てるんだけれど……」
「その女の人がどうかした?」
「どうしてだから分からないんだけれど、その人がお母さんだっておれには分かるんだ」
おそらくはその夢を見るたびに、とてももの悲しい気持ちになるのだろう。
マーカスはぶるっと肩を震わせた。
「変な夢だろ? だってその人、おれのかーちゃんとは全然似てないんだぜ! 髪だって黒いし、体も細かったし!」
「変なんかじゃないわよ」
「えっ?」
「全然じゃないわ」
言い切ってから、タヌタヌの方に目を落とした。
「どう思う?」
《NICUにいたときの記憶があるんだろうな》
「ちょっと。自分だけ専門用語使って納得しないでよ」
《新生児用特定集中治療室のこと》
なんとなく私は察した。
タヌタヌもそれが分かったようで、耳をぱたぱたと上げ下げした。
《多分だけれど生まれつき重篤な疾患があったんだろ》
「じゃあ現代のことを覚えてないっていうのは……」
《物心つくまで生きてられなかったんだ》
重苦しい沈黙が私たちの間に流れた。
「かわいそうに……」
「ちょ、ちょっ! 何だよ!?」
切ない気持ちが高まってきて、マーカスを慰めてやろうと近付こうとすると。
何故か少年は大げさに飛びのいた。
「近いって!」
「辛かったでしょう」
「辛かったかって……。分かんないよ、赤ちゃんのころのことなんか!」
無理をしているのか、それとも照れ隠しなのか、少年はかぶりを振った。、
「そういえばあなた、ご両親は」
「親父なんか会ったこともないよ。母ちゃんは小さいころに死んじゃったし、ばあちゃんが育ててくれたんだ」
こっちは本当に気にしていないようで、平然とマーカスは言い切った。
ついつい自分を基準にしてものを語っていたことが恥ずかしくなってくる。
伯爵家に生まれてぬくぬく育った私は、なんだかんだ言って恵まれていたのだ。
「かわいそうに……辛い思いをしたのね!」
「だから距離近いってば!」
抱きすくめようと手を伸ばすと、またもや大げさにマーカスは飛びのいた。
顔なんて赤らめちゃって、まぁ。
《こいつ結構マセてるぞ》
「そうね。マダマさまとは大分違うわね……」
見た目は本当にそっくりなので、どうも脳の認識がバグりそうだ。
「でも安心して、私がついてるわ! あなたも家族も環境の良いところに移してあげる」
「正直初対面の人間からそこまでされるとかえって疑いたくなるんだけれど……」
「何を言っているの、前世では同じ国に生まれた同胞じゃないの。助け合うのは当然よ」
「本当に大丈夫? おれ今、変な宗教に誘われてない?」
「疑いはもっともだけれど、私を信じていいわ! ソウルメイトと思ってちょうだい!」
「信じたくても信じきれない……」
言葉を尽くしても、眉唾そうに半目になったマーカスの説得に苦慮していると。
《まあそれは置いといてさ》
それまでさして興味もなさそうにしていた足元のタヌキが、いきなり話に入ってきた。
《オレ、どうしても行きたいところがあるんだけれど。連れてってくんない?》
「行きたいところってどこよ?」
《爆発現場》
普段のタヌタヌはしない目の光らせ方をしていることに、私はようやく気付いた。
探求心とか、知的好奇心とか、そういったものが刺激されている時だけにする目の色だった。
《どうしても確かめたいことがあるんだ》




