タヌタヌの冒険(1)
《……うーん、もう食べらんないよう》
そんな自分の口から聞こえてきた寝言で目が覚めてしまった。
《ううん? あれ、レセディのやつまだ帰ってきてないのか?》
ぱちっと開いた目で、宿泊に割り当てられたゲストルームの中を見渡す。
部屋の中はレセディのやつが出て行ったきりのままで、人が出入りした形跡はない。
もう日は盛りを過ぎて傾きかけているというのに。
慈善事業の配給とやらに時間がかかっているのか、それともまた何か面倒に巻き込まれたのか。
と思っていたら。
《ん、おお。帰ってきたか》
馬車の車輪の音が窓の向こうから聞こえてきて、オレはピクピクと耳を動かした。
うーん、と身を横たえていた絨毯の上で伸びをする。
流石はこの国最大の貴族の邸で使われている敷物、毛の長さといい質感といい超高級品だ。昼寝のマットにぴったりである。
《今度うまいこと言って、うちにも一枚買わせようっと》
などと思いながら、ゲストルームを出て玄関ホールの方へ向かった。
普段ならそんなことはしないのだが『この時ばかりはなんとなく出迎えてやろう』という気になった。
《野暮用ごくろうさん。なんか面白いことあった?》
軽口を叩きながらホールへ入ると、剣呑な声が聞こえてきた。
「ですから、すぐに捜索に人手を……!」
「だから手は尽くすつもりじゃと言っておるじゃろ!」
そこに金髪の悪役令嬢の姿はなかった。
いたのは珍しく目を三角にしたマダマと、その後ろに力なく立ち尽くす警護官のベリル。
そして眉間にシワを寄せるパルラ=キューレット大公夫人だけだった。
《あれ? レセディは? どこ行ったんだ?》
トコトコ近寄って顔を見上げるが、返答するやつはいなかった。
タヌキのオレの言葉が理解できるのはレセディだけだから仕方ない。
全く不便なこった。
仕方なくいつもしている努力を今日も行う……つまりは会話から状況を読み取ることにした。
「……ならボクだけでも今すぐ探しに行きます!」
「バカを申すな、危険じゃ!」
きびすを返して出ていこうとするマダマを、ベリルが立ちはだかって押しとどめた。
少年の怒気が華奢な肩から立ち上っているようだった。
《おーおー、怒ってる怒ってる》
何か青い正義感の琴線に触れることがあったらしい。
12歳の子供がそんなに世の中のことにマジにならなくて良いだろうに、と気楽なタヌキの身空からは思わずにいられないのだが。
……が。
続く言葉が聞こえてきて、流石のオレも冷笑的な態度は手放さざるをえなくなった。
「レセディはまだ王都北の貧民街にいるんですよ!」
「知っておる」
「断続的な爆発はまだ続いてるんでしょう?」
「そう聞いておる」
「時間が経てば立つほどレセディの危険は増えるんです!」
「分かっておる!」
《…………は?》
状況が呑み込めずに、ポカンと口を開けてしまう。
まだ貧民街に一人でいる?
爆発?
なんのこっちゃ?
「もしかしたらケガをしているかもしれません!」
「そなた一人で行って何ができる!」
「一人で行くとは言っていません、訓練場のツァガン族を連れていきます!」
「王都に連中を入れるじゃと! そなたは戦争でも始めるつもりか!」
「叔母上は否定ばっかり! なら代わりの方法を出してください!」
「待てと言うんじゃ、今の状況を分かっておるのか!」
口角泡を飛ばす言い争いが始まってしまった。
状況は全くわからんが、とにかく緊急事態なのは間違いないようだ。
しかもどうも厄介なことに、レセディはそのただ中にいるらしい。
「僕は女性を見捨てて逃げた、なんて汚名を受け入れるつもりはありません!」
「何もせんとは言うておらん、今すぐ人を動かすのはまずいんじゃ!」
「何故です!」
「爆弾騒ぎでは済まんからじゃ。すでに王都外縁の貧民街の数か所で、暴動や略奪まがいのことが起きておる」
流石にこれにはマダマも絶句した。
「手は打つと言ったじゃろう。既に放ったワシの密偵から、何人も似た報告が上がっておるのじゃ」
「だ、だったら尚更……!」
「今人を動かせば余計な疑惑を受けるぞ。下手をすれば王都の住民全てを敵に回しかねん!」
「じゃあキューレットから何のために兵を呼んだのですか!」
「ワシにとって一番の大事は、そなたを守ることじゃ!!」
厳しい言葉を叩きつけられて、マダマは口をつぐんだ。
ふぅ、と大公夫人は大きく息をついた。
「レセディ嬢は、自分に構わずに先に帰れと言うたらしいの?」
「……はい」
「その判断は正しい。今何よりの大事は、まずそなたの安全を固めることじゃ」
「……」
「キューレットの兵どもも、既にこの屋敷の守りを固めるよう手を打った」
苦々し気に大公夫人は手の中の扇子を握りしめた。
「ワシが思うよりもはるかに早く事態が動いておる。今下手に動いてはならん」
「そうは言っても、爆弾で国王陛下の命が狙われたんですよ。犯人の目星は?」
マダマの言葉に改めてぎょっとした。
慈善団体に呼ばれて配給に参加しただけなのに、テロ事件か何かが起きたでも言うのだろうか。
「全くわからん。今国王を弑逆しても得がある人間なぞ誰もおらんはずなのじゃが」
「衛士隊は捜査しているでしょう?」
「その衛士隊は王宮と本部に集結しておる」
「えっ!? 引きこもってるんですか! 王都の治安を守るために出動するのが本来の職務でしょう!?」
「それはそうじゃが。どこで暴動と爆破騒ぎが起きるか分からんからの」
大公夫人は肩をすくめた。
「考えてもみい。衛士隊は郊外の総予備も入れて、歩兵の四個連隊と騎兵一個大隊の精々一万そこそこ」
「十分な人数だと思いますが……」
「王都は市街地だけで50万以上の人口を抱えとるんじゃぞ。全区域を戒厳令に置くなど不可能じゃ」
「つまり、衛士隊も本気で無政府状態になるのを恐れている?」
「おそらくな」
治安機関が自分たちの身を守ることを優先し始めたようだ。
つまりはこの国の首都であるこの街全てが、無秩序に陥りかけている。
《想像していたよりはるかにやべーことになってるじゃねーか……!》
昨日のレセディの家の炎上騒ぎ(物理的な意味で)がカワイク思えるくらいの大ゴトになっている。
よりによってこんなタイミングで外出して、しかも騒動に巻き込まれるとは。
《なんて運の悪い奴だ……》
下手をするとオレも事件の渦中に居合わせたかもしれない。
どうも次々と色んなトラブルが降りかかってくる星の下に生まれたらしい。
「そんな……。じゃあレセディは……」
「もちろんレセディ嬢は救出する」
甥っ子の青い顔を見た大公夫人は決然と言い切った。
「彼女はそなたの命を救い、ラトナラジュ王家の直系の血を繋いだ大恩人じゃ。見捨てはせん」
「そ、そうです! その通りです!」
「受けた屈辱には必ず報い、受けた恩は倍で返す。それが我が家の家風じゃからな」
マダマは目を丸くした。
「お、驚きました。まさか叔母上の口からそんな立派な言葉が出てくるだなんて……!」
「おい! ……そなた最近レセディ嬢に似てきておらんか!?」
「それにラトナラジュ家に、そんな隠し家訓があるとは初めて聞きました!」
「そりゃそうじゃ。今ワシが考えた」
「…………」
呆れた目になった少年に対して、大公夫人は半ば絞り出すように言った。
「さっきも言ったが飼っておる密偵を放っておる。場所を見つけ次第、すぐに救助隊を急行させる!」
「……」
「それまで辛抱してくりゃれ」
マダマはそれきり口をつぐんだ。
納得はしていないようだが、それ以上のことを望んでも大公夫人が動くつもりがないことを見て取ったようだ。
《やべーじゃん……》
事態は思っていたよりはるかにまずい方に急転したようだ。
無秩序と化した貧民街で、上流階級の若い女なんて格好のターゲットにされるのは目に見えている。
…………もしレセディがいなくなったらどうなる?
そうなればオレは一生誰とも話すこともできず、一人寂しくただのタヌキとして死んでいくことになるのではないか?
血液がぞっと冷たくなった気がした。
《でも何ができるってんだよ……!》
俺は今やその辺の野良犬よりもか弱いタヌキなのだ。
仮にレセディを助けに飛び出しても。
このクソ広い大都市で見つけることなぞ、砂浜で針一本を探すようなものだ。
よしんば見つけても、連れて帰ることも暴徒相手に守ってやったり口八丁でやり過ごすこともできまい。
《……》
ただここで成り行きも見守っていることしかできない。
頭ではそうわかってはいるのだが。
《…………あーもう!》
毛皮の下の血肉がそわそわとして落ち着かない。
今すぐにも走りだしたい、という衝動が抑えきれない。
理由は分かっていた。
怯えてひるんでこのまま何もせずにいて、もし最悪の事態になったら一生後悔する。
そのことは分かり切っているし、心の中はもうとっくに決まっているからだ。
《しょうがねーな、ちくしょう!!》
精一杯体を伸ばして前に進める。
開いたままになっていた玄関の分厚いドアの隙間を通り抜けて、俺は邸の外へと駆けだした。
ご報告が遅くなりましたが、本作の漫画化が決定しました。
お話を頂けたときは本当に飛び上がって驚きました。
出版社様の名前等はまだお知らせできませんが、続報が入り次第後書きや活動報告などでご報告します。
読んでくださる方の応援を励みに、このようなお話を頂けるまで作品を続けることができました。
本当にありがとうございます。




