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4_1 私はクジラ

 大公夫人の屋敷を去る時には、もう辺りは真っ暗だった。

夫人の『いっそ泊まっていったらどうか』という勧めを丁重にお断りして、例の高級馬車に乗って帰路についた。



「はぁ……疲れた」



 前部で馬車を操る御者には聞こえない音量でつぶやく。

大公夫人の『おもてなし』は質量ともに半端ではなかった。

わざわざ劇団と楽団を呼んでの室内短劇鑑賞やら、球戯場でのコートテニスやら、贅を尽くした夕食やら。

もてなされる方もぐったりするくらいの歓待ぶりであった。



<<おい、うまくやったな>>

「……どこがよ」



 膝の上のタヌキが愉快そうに歯を見せてきたのを、じろりとにらみつける。

軽く恨めしい気持ちがある。

大公夫人の機嫌を損ねないように娯楽に必死に参加していた私と違って、タヌキの方は芝居も音楽もあっという間に飽きてしまったらしく、ずっと丸まって寝ていたのだ。


 

<<良いコネができたじゃないか。この国で一番有力な貴族なんだろ、彼女>

「だから困ってるんじゃないの……。断れずに一緒に別荘に行くことになっちゃったし」

<<何がいけないんだ? 後ろ盾になってもらえて、親父さんに口聞いてもらえたら修道院に放り込まれずに済むかもしれないのに>>>

「だって私をマダマさまと結婚させようとしてるのよ、あの人」


 

 タヌキが座席の上に体を起こした。



<<それのどこがいけないんだよ。親父さん喜ぶぜ。ロイヤルファミリーの仲間入りなんだろ?>>

「相手はまだまだ子供じゃないの!」

<<年下は嫌いなのか?>>

「程度ってものがあるでしょ! 大人になるまではずっと私が面倒みるのよ? 家庭生活はどうするの? 出産は、育児は? そもそも年の差婚ってうまく行くの?」



 どうもタヌキと私とでは結婚というものに対する視点が違うらしい。



<<でも結婚はしなきゃならないんだろ?>>

「『修道院で軟禁されなきゃそれで良い』ってもんじゃないのよ。私はこの世界で自由に生きたいの。行ってみたいところもたくさんあるし、体験したいこともやまほどある。王族と結婚なんてしたら一日中義務だらけでしょ?」

<<多分ね>>

「冗談じゃないわよ、そんなの……。マダマ様は嫌いじゃないけど、いくらなんでも結婚相手としては見られないわ」



 タヌキが上目遣いで何か言いたげにした。



「? 何よ」

<<……まあ良いよ、猶予はあと1年はあるんだろ? しばらくはあの王子様に付き合ってたら気が変わるかも>>

「ならないわよ、そんなことには」



 言葉でははっきり言い切ったものの、胸の奥では何か水中のよどみのようにすっきりしないものが残っていた。

何か別のプランか、適当な結婚相手の候補がいるのかといえば、そんなことは全くなかったからだ。



 だが渡りに船と飛び付く気にもなれない。

タヌキには言わなかったが、そんな保身だけの結婚に付き合わせるにはマダマ様は純真すぎるように思えてならなかった。



(……まあ。ずっと友達のまま進展がないままだったら、大公夫人だって考えが変わるかもしれないわ)



 希望的観測かもしれなかったが自分に言い聞かせた。



_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/



 本当にあれよあれよという間に時間が経って。

大公夫人の別荘に向かうため、私たちはまた例の馬車に乗っていた。



「良い日和になって良かったのう!」

「ははぁ。おっしゃる通りで……」



 半日も馬車に揺られているというのに、上座の大公夫人は実に元気なご様子だった。



「しかしそなたの動物好きも相当じゃの! 別荘に行くのにまでそのペットを連れてくるとは」



 大公夫人が手に持った扇子で、私の席の隣にちんまりと座るタヌキを指した。



「あはは……。この子実はすごい寂しがり屋で、私がいないとすぐご飯食べられなくて弱っちゃうくらいなんです」

<<べたべたするなよ、うっとうしい>>



 夫人を誤魔化すためにタヌキの丸いアゴをよしよしとしてやる。

露骨に嫌そうな顔をされるが無視だ、無視。



「はぁん? まあ良いわ。ペットの一匹や二匹全然構わぬぞ」



 大らかに大公夫人は言い切った。印象通り細かいことにはこだわらない豪快さをお持ちのようだ。



「うぅ……」



 乗り物に弱いらしく、背もたれに体重を預けて青い顔をしているマダマ様とは対照的だった。



「大丈夫ですか? ちょっと馬車止めてもらいます?」

「心配いりません。もうすぐ着くころですから」



 途中で寄ったレストランのトイレで胃の中身を吐いてしまって、そろそろ限界が近づきつつあるはずの少年は気丈に答えた。

せめて気休めにと、その小さな背中をさすってやっていると。



「おっ、見えてきたぞ!」



 大公夫人が馬車の窓の向こうを扇子で示してきた。

私が振り向くより早く、タヌキが窓べりに両手をついて見上げる。



「あれがワシの別荘じゃ」

<<すげ、でけっ>>

「……要塞か何か?」


 


 緑色の小高い丘の上に白壁の巨大な邸宅がどんと建っているのが見えた。

建物の四隅で天を衝く塔といい、重厚にそびえたつ母屋といい、見る者を威圧する四方の整然とした石壁といい。

とても個人の所有とは思えない。『軍の司令部が置かれている居城です』と言われた方がまだ納得できる。



「す、すごいお屋敷ですね……」

「200年ほど前に国王が建てたのを買い取ったのじゃ。中身は最新じゃから安心しやれ」

「へ、へー……。それでどこから入るんです? 門が見えませんけど」

「? ここはもう敷地の中じゃぞ? 門は20分程前にもうくぐった」

「ヒェッ」



 心温まるやりとりを経て、私たちは別荘の玄関前までついた。

別便で先行してやってきていた例のメイドたちや、別荘で働く使用人たちが整列して出迎えてくる。



「うむ、ご苦労皆の者。しばらく厄介になるぞ」

「うぷっ! 気持ち悪い……!」

「ほらマダマ様、しっかりして。もうちょっとで休めるから」



 しゃんと石畳の上に降りたつ大公夫人の後ろで、軟体動物のようによろよろと崩れかけるマダマさまを何とか馬車から下ろす。

その後ろでタヌキがぴょんと短い手足で馬車から飛び降りてきた。



「……でも流石一番の別荘地。気持ちの良いところですね」



 建物はともかく、別荘から見える景色は最高だった。

別荘が建つ丘の周りはなだらかな草原に囲まれ、その合間に人の手の入らない緑豊かな森や、ゆるやかに蛇行する小川が見えた。

時折のんびりした小鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。優しく髪を撫でる風も心地いい。



「気に入ってもらえたようで何よりじゃ」

「ええ、とても素敵……って、あれ?」



私たちが乗って来たものより一回り小さい、黒塗りの2頭立ての馬車が別荘に近づいてくるのが見えた。

他に来客でもあるのだろうか、といぶかしんでいると。



「ワシはちょっと所要でローワーガードル・ホテルまで出てくる」

「へ?」

「そなたらは好きに過ごしておれ」



 大公夫人はいつのまにか、顔半分を覆うハデなマスクをしていた。



「……何ですか、その格好。ホテルに何をしに? 仮装パーティーでも?」

「ホテルのカジノでひと勝負あるのじゃ。ワシの立場で鉄火場に乗り込むのに素顔では、流石にはばかりがあろう」

「鉄火場って、ギャンブルをされるんですか」

「うむ。この時期のローワーガードル・ホテルでは粋人の貴族や、名にしおうギャンブラーたちが集まって大勝負を繰り広げるのが隠れた名物じゃ」



 この保養地でも最高クラスの格付けを持つホテルがそんな勝負の場になっていたとは知らなかった。

しかし半日馬車に乗って別荘に着いたその足でギャンブルに行くとは元気な方だ。



「今のワシは王家の一員でも、大公夫人でもない。そう、見渡す限りの大海を泳ぐ孤高のクジラなのじゃ!」

「クジラ?」

「ものを知らんやつじゃの。 一勝負で高額をつぎこむ大物ギャンブラーのことをそう呼ぶのじゃ」



 要は大公夫人の一番のお目当ては、景色でも保養でもなくて賭博だったらしい。

新しく来た馬車が乗りつけ、御者が主人を迎えるべく扉を開いた。



「おぬしらの部屋はもう決めてあるし、荷物も運ばせてあるからの。好きにくつろぐがよい」

「それはありがとうございます、お気遣いどうも」

「……何ならベッドの上でマダマを襲っても構わんぞ。既成事実を作ってしまえ」

「何言ってるんですか!」



 とっさについ強い言葉を返してしまった。

御者や使用人たちがぎょっと驚くのに気付いて、慌てて口をつぐむ。

大公夫人本人は意に介する様子もなく、さっさと馬車に乗り込んでしまった。



「では行って参る。土産話を楽しみにしておれ」



 それだけ言って本当に私たちを置いて出かけて行ってしまう。

訓練されたスタッフと快適な空間と心を穏やかにする自然に背を向けて。

煙草と酒の臭いが充満するカジノで不健康なゲームに没頭する方がお好みらしい。



「折角こんなリゾート地に来たのに、ホテルのカジノに閉じこもってギャンブルなんかしてて楽しいのかしら……?」

「叔母上のすることは良く分かりません」



 短く感想をつぶやくと、マダマさまも困惑気味の声で返してきた。思うところは同じらしい。



「まあ折角来たんだしゆっくりさせてもらいましょう。マダマさまもちょっと休んだ方がいいわ」

「そうですね」



 誕生パーティー以来急なことばかりで忘れていたが、婚活やら今後のことやらで気持ちが疲れていたことだし、骨休みにはちょうどいいかもしれない。



(せめてここにいる間はのんびりしていようっと)



 などと思いながらメイドに案内されて別荘の中に入った。

…………自分が大公夫人の人となりを甘く見ていたことに、この時はまだ気づいていなかったのだ。

続きは今夜追加します。

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