引きこもり王妃(3)
「申し訳ございません!」
とにかくひたすら頭を下げた。
そりゃあもう、絨毯に額を擦り付ける勢いで。
「本当に全く、無礼で破廉恥でモノを知らない、若気の至りで増上慢で僭越な態度を取ってしまい……」
「あの、その辺で……」
数十秒間続いた私の謝罪に、気まずそうに王妃様は割って入ったきた。
「お顔をお上げくださいな」
「へへえ……」
へつらいの笑みを浮かべながら頭を上げる。
内心期待していた反応が返ってきたので、ついつい不謹慎な顔になってしまった。
「そんなにお気になさらず。知らなかったことですし、はっきり申し上げなかった私も悪いんです」
「寛大なお言葉ありがとうございます! ……あの、良かったら靴舐めましょうか?」
「…………いえ、結構ですわ」
ちょっとやり過ぎただろうか。王妃様の笑顔がひきつっていた。
《保身のためとはいえ、よくそこまで卑屈になれるな……》
タヌタヌまで引いているが、知ったことか。
なんとでも言うが良い。
私は悪役令嬢として破滅させられる運命からこうやって生き残ってきたんだ!
「改めて。アンブル・ブルシュテインと申します」
王妃様は王家の家名である『ラトナラジュ』とは名乗らなかった。
「レセディ・ラ=ロナです……。お招きにより参上いたしました」
「お迎えできて光栄ですわ。ささ、お楽になさって。寒かったでしょう、すぐに温かいお茶を入れますわ」
仕切り直して挨拶をすると、王妃様は笑顔で応接間に迎え入れてくれた。
やはりここも上品なしつらえにはなっているが、キンキラキンに飾り立てるのが常識の王宮内とは思えないほど落ち着いたしつらえになっている。
(本当に高級なペンションか何かみたい)
テーブルにつきながら観察させてもらっているうち、侍女が何やら特徴的な匂いのお茶を入れてくれた。
なんとなく体に良さそうな深い色の液体が、なみなみとティーカップに注がれていく。
「生のハーブティーです。私が考えたブレンドですのよ」
「は、はあ……」
そこで私は、先刻王妃様が畑でせっせと何かを摘んでいたのを思い出した。
「ひょっとしてさっき畑で収穫されていたのは……」
「私がさっき選んできましたの。採り立てですから香りが良いでしょう?」
「王妃様が農作業をされるんですか!?」
「ええ。いつもしていますけれど?」
向かいに座った王妃様は、ティーカップを片手にこともなげに言ってのけた。
「ま、まさかこの村ってそのために……?」
「そうです。私ひとりじゃ大変だから、周りの民家に住んでる方たちに手伝ってもらってますわ」
「…………!」
仰天する私をよそに、再び侍女がてきぱきとした動きで何種類もの焼き菓子を運んできた。
「このお菓子も私が焼きましたの」
「えぇ!?」
「材料もここで採れたものですのよ。砂糖とスパイスは輸入品ですけれど」
「すごっ……!」
「タヌキちゃんが飲んでるのは今朝絞りたてのミルクですわ」
《こりゃどうも、お気遣いをいただきまして》
床の上のタヌタヌが、平皿に注がれた牛乳をピチャピチャと舐め始めた。
(あ、ありえないわ……!)
いくらなんでも常識外れ過ぎる。
ファセット王国では王妃どころか貴族のご婦人ですら、手ずから畑でハーブを収穫したりお菓子を焼いたりなんて考えられない。
どこの国の王妃だろうとこんな真似をする人はいないだろう。
モルガナが聞いたらどんな顔をすることだろうか。
「あの……お気に召さなかったかしら?」
「い、いえいえ! ありがたくいただきます」
唖然としていたら別の意味に取られたようだ。
私は慌ててハーブティーを口にし、お菓子を一つ手に取った。
(うわ、普通に美味しい……!)
ファセット王国の食い物は美味くないとは良くネタにされることだが、このお茶もお菓子も十分自称食通の他国人の舌を満足させる出来だろう。
材料を作るところから採算度外視でわざわざ王宮の中でやっているというだけでなく、王妃様自身も玄人はだしの腕前をお持ちのようだ。
「とても美味しいです……」
「褒めていただけてうれしいわ」
ぽっと王妃様は頬をほころばせた。
かわいらしく笑うその姿は、とても国王夫人とは思えない。
どちらかといえば、本当に田舎で荘園を営む上品な奥様といった感じだ。
(……あのチャラチャラした王様が、よくこんなできたお嫁さんをもらえたもんね?)
マダマさまがいたら『不敬罪ですよ!』と苦い顔をすることだろうが、そう思わざるをえなかった。
ファセット王国の貴婦人の規範からは外れまくっているかもしれないが、働き者だし裏表のなさそうな人となりだし料理はうまいし、家庭的な良い奥様ではないか。
一体どういう経緯で、あの落ち着きのない国王陛下がこの人とくっつくことになったのだろうか……。
「あの……私を呼び出された理由をうかがってもよろしいでしょうか?」
ちょっと迷ったが、この人相手に駆け引きは無意味そうだったので正直に聞いてみることにした。
「私、あなたのファンですの」
「へ? ファン?」
思いもかけない単語が出てきた。
「ええ、新聞も全部集めてますのよ」
にこにこ笑う王妃様が目で合図すると、控えていた侍女がスクラップブックを抱えて近づいてきた。
大公夫人が集めていたのと同じく、新聞各紙の私やマダマさまを報道する記事がいくつも積み重なっている。
「オズエンデンドで新しく事業を始められたり、溺れた瀕死の子供を助けられたり……。ご活躍を見つけるたびに年甲斐もなくはしゃいでしまって!」
「は、はぁ……」
「そうそう、熱病で重篤だった王子殿下が一命を取り留められたのもあなたの処置のおかげだったんでしょう?」
スクラップブックをめくる王妃様は本当にうれしそうで、とても腹芸や油断させる芝居とは思えなかった。
ほ、本当に大公夫人の言っていた通り、単に会いたくて呼びつけただけなのか……?
「私、自分ではお料理と畑仕事くらいしかできないものですから。あなたみたいな女性が、男性顔負けの仕事をなされているのが痛快で……。ご無理を言ってでもぜひお会いしたいと思ってましたの」
「は、はあ……。てっきり私は、市民が騒がしくしていることについて協力を求められるのかと……」
「市民が? 騒がしく?」
きょとん、と王妃様はたれ目がちの目を丸くした。
「それはまたどうして?」
「え、ですから新税制の決議について今、貴族と市民の間で対立が起きてるんでしょう」
「新税制って何のことかしら?」
「要は貴族に課税するか、その負担を市民の方に押し付けるかで、水面下で論争になっているみたいですよ」
「まあ、外じゃそんなことになっていますの?」
本当に知らなかったようで、王妃様はのんきな声で驚いてみせた。
そんなことになっていますの、と来たもんだ。
っていうか、昨日王都に着いたばかりで又聞き状態の私の方が詳しいのはおかしいだろ。
「こ、国王陛下からは、何もうかがってないんですか?」
「ええ、全く」
「全く!?」
「……というより私、結婚してから陛下とは一度も政治向きの話なんてしたことありませんけれど」
「一度も!?」
流石に声を上げざるをえなかった。
良いのかそれで!
仮にもあなたは一国の王妃だろう!?
「『女は政治に関わるな』と父から教えられてきましたもので……」
「いやまあ、私もそう教えられてきましたけれど……」
夫の仕事や政治の話に口出しするな、というのは男尊女卑なこの国に限らず周辺国でも普通のものの見方だが、それにしても流石に立場ってものがあるだろう。
この国の社交界と貴婦人たちの頂点に立つ王妃なんだぞ、一応は。
(ひょ、評判が悪いわけだわ……!)
背筋に寒いものを感じながら、昨日ルチルが言っていた世間の悪評のことを思い出していた。
この王妃様は悪人ではないかもしれないが、この危機感と責任感のなさは王妃の責務を放棄しているとみなされても仕方はあるまい。
「……そんなことより、実は一つお願いがありまして」
「お願い?」
半ば呆然としている私に、王妃様は深刻そうに声を潜めて続けた。
「娘を診ていただきたいんですの」
「娘さん……って、失礼! 王女様を?」
そういえばさっきも娘さんの調子が悪いと言っていた気がする。
「刑務所の囚人の間で流行っていた病気の原因を見つけたとか、隣国の王女様の不調を治したとか、溺れた子供を助けられたとか……。レセディ嬢は医学について進んだ知識をお持ちと記事で読みましたわ」
「あ、あれはまあ成り行きというか、なかば偶然みたいなもので……」
「ご謙遜をなさらないで。うちの娘も何度もお医者様に診ていただいたんですが、なかなか良くならずに……。ぜひお知恵をお借りしたいと思って、無理を言ってお招きしたんですの!」
王妃様の声に悲痛なものが混じった。
なるほど、話は見えてきた。
マダマさまがマラリアにかかった時と同じだ。
あの時も大公夫人が呼んだ医師団は、治療をするどころか無意味に血を抜いて王子様の干物を作ろうとしていた。
王妃様も同じように医者不審になっているのだろう。
半ばすがるような思いで、宰相の手下である新聞が誇張交じりに報じた私の記事に食いついたに違いない。
(……ちょっと待ってよ、まずくないこの事態!?)
大公夫人に、どの勢力にも肩入れせずに大人しくしていろと言われたばかりなのに。
ここで私が王女様の病気を治したなんてことがまた新聞各紙をにぎわせたら、マダマさまが積極的に国王一家を手助けしているような印象を与えかねないんじゃないか?
それにパレードに引き続き体よく利用されているようで、大公夫人の機嫌を損なってしまうことはまず間違いない。
(ふっふっふっ……)
即諾できずに悩む私をよそに、偉そうな含み笑いをしながらタヌタヌがずいと進み出てきた。
短い脚をトテトテと動かして、止める間もなく王妃様の前に進み出る。
「あら、タヌキちゃん? ミルクはもう良いのかしら?」
《事情は分かりました、奥さん。私に任せなさい!》
ポン、とタヌタヌは自分の胸を拳で叩こうとした。
が、骨格と関節と足の長さの都合で、前足をさっと前に差し出しているようにしか見えなかった。
「あらかわいい、お手をしてくれるの!」
《私が娘さんを診断して、治療の方針を立ててあげましょう》
「はい、お手」
《実際に作業を行うこのアシスタントがヘマをしないか、ちゃんと見張っていますのでご心配なく》
「おかわり!」
本人は力強く王妃様の依頼を受けているつもりらしいが、客観的な立場から言わせてもらえば右左の前脚でお手をしているだけである。
それから誰がアシスタントじゃい。
《そして心配事がなくなったら、その、ご主人とはご無沙汰で持て余した熟れた体を慰めて差し上げて……ウヒヒヒ!》
(やめなさいよ! 今まで一番最低なこと言ってるわよ!?)
そのままの勢いで王妃様に粗相をしそうになったので、とっさに手元の紐を手繰ってタヌキの首根っこを思いっきり引き寄せた。
《何てことを言うんだ、オレは純粋に患者を救いたいと思ってるだけだぞ!》
(純粋な下心でね……)
《まるでブラッ●ジャッ●先生みたいだろ?》
(ブラ●クジャ●ク先生が、母親の体目当てに患者の娘を治療する話なんてあったかしら……?)
黒男先生はそんなことしないだろ。




