引きこもり王妃(1)
支度を整えてから、玄関先で迎えを待つことにした。
「こら、暴れるんじゃないわよ!」
《やだいやだい!》
嫌がるタヌタヌの首輪にかけたリードを引っ張って、半ば無理矢理玄関先に連れていく。
《こんなヒモなんかいらねーよ!》
タヌタヌはブンブン首を振ったり、前足をリードにかけたり、もう必死なくらいに抵抗を示した。
その姿は、『散歩に行きたくない』と駄々をこねる馬鹿犬そのものである。
「我慢しなさい! 偉い人の前で放し飼いなんてできるわけないでしょ!?」
《ちょっとは相手の身になって考えてみろ! 全裸で首輪に繋がれて外を連れ歩かれることに抵抗ないのか!?》
「全裸なのはいつものことじゃないの!?」
などと言い争っているうち。
手紙通りの時間に、衛士隊が迎えにやってきた。
「レセディ・ラ=ロナ嬢をお迎えに上がりました!」
騎兵隊を引き連れたビクスバイト警護官がやってきた。
この人も一昨日から出ずっぱりでご苦労なことだ。
「本日は王妃殿下がお会いになられるのです。用意はよろしいですか?」
「おほほほ……。わざわざ迎えをよこしてくださるなんて、光栄の至りですわ!」
じたばたと玄関先を転がるタヌタヌに気付かれないように、わざとらしく大声で応じた。
「馬車をご用意しました」
「げげっ!?」
《ワーオ、ゴージャス!!》
思わず呻きが口から出てしまい、腹ばいになったタヌタヌが途端に目を輝かせる。
それはどう見ても最高クラスの乗馬車だった。
昨日のパレード用のオープンカータイプとはまた別の、フォーマルな公用の馬車だ。
6頭建てで、煌びやかな金色の装飾と上品な黒塗りとのコントラストが美しい車体をしていた。
左列の馬に乗る3人と、後部に控える2人とで、合わせて御者が五人もついている。
「……えっと。何これ?」
「王妃殿下専用の馬車です」
「え? もしかしてドッキリ?」
「おっしゃる意味がよく分かりません」
いまいちビクスバイト警護官の表情は読みづらかったが、どうも私のリアクションを笑いものにして楽しもうという企画ではないらしい。
(こ、ここまでするの!?)
どう考えても単なる伯爵家の娘に対する待遇ではない。
これはもう本当に国賓クラスか、出なければ大使が任命式に招待されるレベルの歓待である。
「王妃殿下は、できる限りのお心遣いをとのご希望です」
「きょ、恐縮すぎてサブイボが出ますわ……」
「それと……」
ちらり、とビクスバイト警護官はタヌタヌの方に目を落とした。
「本日は王妃殿下のご希望でケージやオリなどは用意しておりませんが……」
「え? ええ、タヌキちゃんはヒモにつないでいこうと思ってますけれど?」
「その動物は安全ですか?」
「へ?」
ビクスバイト警護官は、まるで税務署の職員のような口調で質問をぶつけてきた。
「念のため確認しておきますが、今までに人に噛みついたり引っかいたりするようなことは?」
「その心配はないと思いますけれど」
「厄介な伝染病や寄生虫に罹患している可能性は?」
「……ありません」
その後も『タヌキが安全な生き物かどうか?』について根掘り葉掘り聞いてきた。
答えながら、高圧的な質問に段々むかっ腹が立ってきた。
高貴な人の前に動物を連れ出すのに注意が必要な理屈は分かるが、一方的に招待された相手にちょっとこれはあんまりではないか。
「とにかく、この子が人をケガさせたことがないのだけは請け負いますわ!」
「……かしこまりました。では、お早く」
相変わらず納得したのかしていないのか表情からは読めなかったが。
短く言って、警護官は馬車に乗るようにうながしてきた。
これにはタヌタヌも気分を害したようで、フンと鼻を鳴らした。
《なんだあの質問、失礼なやつめ!》
「全くね。まるで飼い主の私を責めてるみたいじゃないの」
《……誰が飼い主だ!?》
などと愚痴をこぼしあいながら馬車に乗り込む。
「うへえ……。中もお金かかってるわね」
≪おほっ、良いじゃん良いじゃん!≫
シルクのカーテンに、彫金された椅子に、ベルベットの背もたれに……。
とても車内とは思えない内装だった。
《うちでもこれ買おうぜ!》
「馬鹿言ってるんじゃないの」
この馬車ひとつで家が何軒も建つんじゃないのか?
精々四人しか乗れないというのに。
しかも駿馬に乗った衛士隊の騎兵たちが周りを厳重に囲んでいる。
送迎だけでいったいどれだけのお金を使うつもりなんだ?
「なんか気分が悪くなってきたわ……。私が何か悪いことしたわけじゃないけれど」
《オレ様にふさわしい歓待だな!》
「うっかりキズとかつけないように気を付けなきゃ……! アンタ、シートにオシッコなんかしちゃダメよ!?」
《したことねえよ、そんなこと》
自分が根っこでは小市民だということを思い知らされながら、発車した馬車に揺られる。
体重をかければいくらでも沈み込みそうなシートだったが、全然くつろげなかった。
私が非常に居心地の悪い思いをしている間にも、かまわず白馬たちはヒヅメを鳴らして街道を進んでいく。
目指すはもちろん王都の中心に座するこの国の政治の中心、王宮である。
王宮に四つある主要な門のうち、大公夫人の館から一番近い西門から馬車は入っていった。
王冠を一角獣と獅子が守護する衣装の細工が施された、これまた金ぴかの巨大な門を馬車は通り抜ける。
馬車の窓から見える範囲だけでも、広い道の左右に王族が憩うための庭園やら噴水やらが所狭しと並んでいるのが見えた。
ここは表通りだから通行する来客に見せつけるために見栄えを優先しているのだろう。
まだ宮殿本体は見えていないというのに、もう私は権威と伝統の暴力に打ちのめされかけていた。
「うわぁ……。本当に王宮に来ちゃったわ」
《王都生まれなら見慣れてるんじゃねーの?》
「入るのは初めてよ!」
しかも見物や観光ではなく、王妃に招待されてである。
「うぅ……緊張してお腹痛くなってきた……。何か悪いことしてるみたい」
《堂々としてろよ》
「……あっ! あの建物、漫画で見たことある!」
がばっ、と窓に飛びついた。
確か礼拝堂として出てきた建物だ。
当たり前だが原作漫画で絵に描かれていたのとそっくりだった。
《え、何の話?》
「忘れたの!? ここは少女漫画の中の世界なのよ? あの回廊も! あっちの噴水も見たことある! あの塔はアニメで出てきたやつだわ!」
《急にオタクに戻るな!》
「……すごい、本物よ! ああもう、なんでカメラもスマフォもないの!?」
《一瞬でただのおのぼりさんになったな……》
原作ファンからすれば夢のような景色だった。
キャラクターたちがいきいきと活動していた舞台が、今まさに現実のものとして目の前にある。
どんな予算をかけたテーマパークでもここまでの再現度はちょっと無理だろう。
うーむ、ファン冥利に尽きるぞ!
というかまあ私自身もそのキャラクターそのものな訳だが……。
原作の時系列なら、本当は破滅してフェードアウトしていないとおかしい立ち位置なのは置いておいて。
「キャー、すごいわ! すごい! ……とにかくすごい!!」
《語彙力!》
一人で声を押し殺して盛り上がっていたら。
「あらら……? 道を外れだしたわよ?」
御者たちが手綱を操って、交差路を曲がってあさっての方向に進みだした。
遠目に見える、石造りの重厚な建物が続くおそらくは宮殿本館に続くであろう中心部から外れて、緑の多い外縁部へと向かうようだ。
「そういや離宮に行くって言ってたわね……?」
《言ってた言ってた》
宮殿本体を一目見てみたかったのに、ちょっとだけ残念である。
しばらくの間、常緑樹に囲まれた道を進んだ。
冬だというのに緑に囲まれていて、王宮というより巨大な公園にいるように錯覚してしまいそうだ。
ところどころ常緑樹が密集して植えられているのは、人通りの多い中央の道路から視界をさえぎるためだろう。
この辺はもう王様のためのプライベートスペースらしい。
代わり映えのしない景色に飽きかけたところで。
馬車が制動をかけ始めた。
見ると前方に、まるで田舎のバス停留所のような簡素な小屋が建っていて、その脇には衛士隊の制服姿が二名敬礼していた。
「降車願います!」
言われるままに開かれた馬車のドアを降りる。
もう離宮についたのかと思いきや、近くにそれらしい建物はない。
「我々がご案内できるのはここまでです」
「えっ?」
首をひねる私に、ビクスバイト警護官は淡々と説明を加えてきた。
「ここから先は許可を得た者以外入れないことになっています」
「ってことは………」
「おひとりでお進みください」
「……歩いて行くの?」
「一本道ですから間違える心配はありません。ご婦人の足でも10分も歩けば見えて参ります」
有無を言わせず、ということのようだ。
やむをえず私はタヌタヌのリードを握り直した。
《歩くのかよ!》
「しょーがないでしょ、そういう決まりらしいし」
ぶつぶつうるさいタヌキを引きずるようにして、石畳の道をとぼとぼと歩いた。
まさかこの年の瀬の寒い中、客に道を延々と歩かせる王宮があるだなんて思わなかった。
「歩いて王妃に会いに行くだなんて妙な話よね……?」
《それよりさぁ? 本当にこっちであってんの? なんかどんどん景色が王宮っぽくなくなっていくんだけれど》
タヌタヌのいう通りだった。
来るときに見えた整理された噴水や庭園はどこへやら。
人工的に作られた森やら、おそらくは運河を伝って水を引いてきたであろう小川やら。
ファセット王国最大の都の中心とは思えない景色が広がっている。
まるで田舎道のようだが、わざわざ王宮の中にこんな景色を人工的に作ってどうするのだろう。
「衛士隊がこの道を進めって言ってたんだし、流石に間違いってことはないでしょ」
《でもよう。王妃が住んでる建物っぽいものなんかないぜ?》
タヌタヌの言う通り、国王の妻が住んでいそうな巨大で豪華な館なぞ遠目にも見当たらなかった。
その代わり。
人工的に掘られたらしい小川にかけられた、木造の橋の向こうには……。
「……何よ、あれ?」
奇妙な光景が広がっていた。




