タヌキは神を信じますか?(2)
クォーツ三姉妹は『お菓子を食べて来なさい』と食堂へ追い出した。
宗教問答など子供に見せるものではない。
私の気遣いなど知らない様子で、普段はクールなアルトゥが再び熱に浮かされたような顔で聖典とクロスを掲げる。
「神を信じるだけで幸せになれるんだぞ」
「ああ、そうなの? それは素晴らしいわねえ。……ところでアルトゥ、ご飯食べてる?」
「? 毎日食べてるが」
《その調子だ、妄想は否定するなよ! 逆効果だしかえって攻撃的になることもあるぞ》
足元で真剣な顔をするタヌタヌの指導の下、カウンセラーの真似事をする羽目になってしまった。
寒い冬だというのに額に汗が浮かんでくる。
身内に新興宗教にドはまりした人間がいるだなんて冗談ではない。
なんとしてでも目を覚まさせなくては。
「今朝は何食べたの?」
「茶粥と干しヨーグルトだが……」
「美味しかった?」
「うん」
「美味しいもの食べると幸せよね?」
「まあそうだな」
まずは共感できる話題から初めて、それから誤りが誤りであることを穏やかに認めさせていく。
これがカウンセリングの基本らしい。
「そうでしょう! 幸せになれることなんて世の中にはたくさんあるのよ! 世界はこんなに美しいの! ねえ、あなたが求めてる幸せって神様に全てを捧げなくても手に入るものだと思わない?」
「よく分からんが、話を逸らそうとしてないか?」
大げさに窓の外の景色を仰いで賞賛してから振り向くと。
アルトゥがじとーっとした目でこっちを見ていた。
「げぇっ、バレたわ! 折角人が感動的な良いこと言って目を覚まさせようとしてるのに!」
《その説得の仕方は無理がないか?》
味方のはずのタヌタヌからまで冷めた視線を送られてたじろいでいると、アルトゥは冷静さを取り戻した顔で言った。
「オレは真面目だぞ。人生で大切なことは全てここに書いてあると、この本をくれた親切な人が教えてくれたんだ」
「一応聞くけど、アンタそれに何が書いてるあるか知ってるの……?」
「読めないから知らない」
「じゃあその自信は一体どこから来るのよ……?」
大事そうに聖典を抱えるアルトゥの目にはまだ知性が残っているようだが、言っていることは完全に狂信者のそれだった。
「それにアンタたちは、前はこのタヌキちゃんのことを神だと崇めてたじゃないの!」
《そうだそうだ、この不信心者め!》
私の指摘に、タヌタヌも歯を剥きだしにして同調する。
「今でも崇めてるぞ」
「え、そうなの? でも他の宗教を信じるのとは矛盾しない?」
「他にもっと強い神がいたことを知ったから、そっちも崇めることにしただけだが?」
「アンタたちって強弱以外の物差しに興味はないの?」
自身満々でアルトゥは再び聖典を掲げてみせる。
「この世には世界を作ったくらい強い力を持った神がいるんだ。知ってたか?」
「ええ、うん。人並みには。 ……っていうか私その宗教で洗礼まで受けてるし、一応書類上は信徒だから」
「そんな強い神がいただなんて知らなかった! しかも信仰するだけで幸せにしてくれるんだぞ。崇めない理由がないだろ」
《オレを崇めてるだけじゃ幸せになれないってのか! このフワフワした尻尾なんか見ただけでアルファ波が出るぞ!》
怒るタヌタヌがいまいち共感しにくい説得の言葉を並べたが、アルトゥに聞こえるはずもない。
それはそうとして私はふと沸いた疑問をぶつけて見た
「じゃあ何を思ってこのタヌキちゃんを神だと崇めてたのよ」
「空を飛んで雷を呼ぶのは十分強いだろう」
「いやそんな特殊能力一回も見たことないんだけれど……。っていうかそんだけの理由!?」
「だって草原にいる時に雷を落とされると怖いし……」
「そんな恐怖で支配されてたの、アンタたち!?」
本物のタヌキを見てまだそんな伝説級のクリーチャーだと信じていたとは、ある意味純真というかおめでたいというか……。
「今度の神は、信じていると恩恵までもたらしてくれるんだぞ」
「うん、普通神様ってそういうものだと思うけれど」
「だから姉上も信じて、一緒に幸せになろう!」
「アンタみたいなのが善意だけで他人を地獄に連れて行くのよ……」
本当に良いことをしているつもりの顔で、アルトゥは私を宗教に引き込もうとしている。
ダメだこいつ。今すぐケアが必要だ。
「オレだけじゃないぞ、ツァガンが集まって説教を受けてるぞ」
「……なんですって!?」
アルトゥの言葉に、さっきまでとは別種の危機感が背中を伝った。
アルトゥひとりが道を踏み外したなら関わる私たちだけの不幸で済むが、それが熱狂した宗教集団になっているとなると話は別だ。
《なになに、どういうこと?》
「さ、サバトよ! 誰かがツァガンを集めて、新興宗教の闇で儀式を行ってるんだわ!」
《げっ、やべえじゃん!》
そんなことになったら、オズエンデンド領にとって無視できない脅威となる。
どんな危険思想を持った集団か知れたものではないし、統治不行届として教会や国から介入されるきっかけとなりかねないではないか。
最悪マダマさまも信徒だなんてでっちあげられて、異端として審問にかけられるなんて事態にでもなったら―――――!
《大変じゃん!?》
「他人事じゃないわよ! 何かの間違いでアンタも邪教の信仰対象ってことになったら、教会から見せしめのために太鼓の皮にされちゃうかもしれないのよ!」
《ヒエェッ!》
タヌタヌが背中の毛を震わせた。
《大変だ、どうしよう!》
「落ち着いて。やることはシンプルよ!」
《そっ、そうだな!》
タヌタヌと目を合わせてうなずきあう。
《モミ消そう!》
「弾圧するわよ!!」
《……多分お前、今が一番悪役令嬢っぽい!》
タヌタヌが目を丸くするのを置いておいて、決意をこめてアルトゥに告げた。
「……私もその説教に案内してくれない?」
「おお、分かってくれたか!」
「ええ、私も興味が湧いたの」
作り笑いがバレないように、なるべく穏やかなに頬の肉を持ち上げた。
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「うー、さむっ! 外はやっぱりさむっ!」
「大丈夫、そんなに離れてない」
外套を引っ張り出して、アルトゥと一緒に領主館のある丘へと降りて行く。
これからオズエンデンドに新しく生まれようとする新興宗教団体の集まりへ潜入捜査だ。
ベリルかベニさんか誰かについてきてもらおうかと思ったが、あからさまに警護役となる人間を連れていると怪しまれるかもしれない。
なるべく警戒心を抱かれない方が良い。
そう判断して連れは最小限にすることにした。
《なんでオレまで!》
短い脚で降り積もった雪の上を歩くのにちょっと難儀しながら、タヌタヌが後をついてくる。
「無事に返してもらえるとは限らないわ。例えば私が取り囲まれてヤバい薬を飲まされそうになるとか、危険な目に遭いそうなときは……」
《ああ、そうか! オレがその間にこっそり逃げて、助けを呼んでくるって寸法だな?》
「いいえ。アンタが暴れて騒ぎ出して注意が削がれている間に、私が逃げるわ」
《何だよその役割分担!?》
「アンタが動物イジメで犬に噛み殺されそうになってた時、オリの中から助けてあげたでしょ!?」
《オレだってその後何回も助けたぞ!》
こっそり二人で言い争っていると、アルトゥの足は村の中の方へ向いて行った。
「……意外ね。てっきり山の中とか、断崖絶壁の隙間とか、くらーい洞窟とか、人の眼につかないところで儀式をやってるもんだと思ってたわ」
《木を隠すには森の中、狂信者を隠すには人の中ってわけだ》
タヌタヌと一緒にぼそぼそと呟きあって、周りを警戒する。
何せ邪教のサバトに潜り込むのだ。
うっかり人に見られて通報でもされようものなら、私たちも仲間だと思われかねない。
「……ってあれ?」
《ちょっと待て。もう村を通り過ぎちまうぞ?》
てっきり村のどこかの民家の、古屋か地下室で集会をしているのだと思い込んでいたら。
私たちは小さな村を突っ切って、村はずれまで来てしまっていた。
「ねえ、どこまで行くの?」
「もうすぐそこだ。ほら、見えてるだろ」
アルトゥが村の中心から続く道の先にある、建物の尖塔を指さした。
《あん? あそこって確か……》
「……教会じゃない!」
冬初めに突貫工事で落成されたばかりの、真新しいオズエンデンド教会だった。




