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3_6 現れた大公夫人

<<そいつの横面を思い切りひっぱたけ>>

「え?」



 何を言われているのか分からず、思わずタヌキの顔を見返してしまう。



<<早くしろ、手遅れになるぞ!>>



 急かされて、慌てて執事の顔を平手打ちした。

『パシン!』という思っていたよりもずっと大きな音が響く。



(うわ、年上の男の人の顔たたいちゃった……!)



 漫画やドラマでは結構気軽に平手打ちしているが、勇気がいるぞこれは。 

ホールの空気が固まった。

苦痛に歪んでいた執事の目が驚きに見開かれる。



(何よこれ、何の意味があるの!?)

<<ミュンヒハウゼン症候群だ>>

(ミュン……なに?)

<<良いから俺の言う通りに繰り返せ、『この大嘘つき』>>



「こ、この大嘘つき!」



 こうなればタヌキの言う通りにするしかない。

やや上ずった声で、私は思い切り高く声を上げた。



<<『全部お見通しだ』>>

「私には全部お見通しよ!」



 もうヤケである。

悪役令嬢らしく思い切り高慢に言ってやった。

戸惑うメイドたちがじっと私の背中に視線を注いでいるのが皮膚感覚で分かった。


うう、いたたまれない。 

勘弁してくれ。

説明が欲しいのは私だって同じだ。



「……あれ?」



 いきなり顔をはたく無礼に怒り出すか、病人に手を挙げる暴挙を非難されるかと思っていたら。

執事はずっと信じられないという顔で表情筋を硬直させていた。



「どうして分かった?」

「え?」


 

 先刻までの苦しんでいた様子はどこへやら。

執事はゆっくり体を起こすと、肩を落として少し離れたメイドたちへ向き直った。



「どこか不自然なところがありましたか?」



 息を止めてなりゆきを見守っていたメイドたちが一斉に口を開く。



「いいえ、完璧でしたよ!」

「私なんか本当に具合が悪いのか、信じそうになって慌てちゃった!」

「長い間サウナに入って熱があるようにみせたし」

「お医者様にちゃんと相談して確かめたのに!」



 誰も病人を心配する気配がない。

ここまで来ると流石に私でも気づいた。



「……ひょっとして全部お芝居だったの?」

「え、どういうこと?」

「え?」

「仮病だと見破ったから顔を張ってきたんじゃ?」

「あ? ああ、そうね。その通りだわ」



 執事が目をぱちくりさせた。

慌ててごまかして、とりあえず偉そうに自信満々にふんぞり返る。



(説明してよ!)



 唇の端でタヌキにだけ聞こえるようつぶやいた。



<<発熱。時間と共に移動する痛み。右下腹部の激痛。典型的な虫垂炎の症状だ>>



 ホールケーキのイミテーションをさせられているタヌキが何か知的なことを言い出した。


(虫垂炎?)

<<膵炎は場所が違う。男だから卵管炎じゃない。間欠的腹痛も腹部膨満も見られないから腸閉塞もなし。尿管結石なら痛がり方がこんなもんじゃ済まない。だから虫垂炎が第一選択>>

(で、虫垂炎って何?)

<<盲腸っていえば分かる?>>

(ああ。でもなんで嘘だって気付いたの?)

<<典型的過ぎる>>



 タヌキは言い切った。



<<虫垂炎の症状は実は人によってバラバラでな。患者の半分は教科書通りの症状が出ないんだ>>

(えっ、そうなの?)

<<でもこいつの言っていることはまさしく虫垂炎の教科書通りだった。そのくせ一番の特徴の筋性防御……腹筋の硬直だけは出てなかった>>



 タヌキが偉そうにアゴを上げてふんぞり返る。



<<ピンと来たね。詳しい誰かから症状を聞いて、覚えたその通りに喋ってるんだと>>

(へぇ……すごいわね)



 思わず感嘆の息をついてしまう。



<<尊敬した?>>

(いいえ。痛みで苦しんでる人の言うことを、よくもまあそんな風に疑ってかかれるもんだと思って)

<<……>>



 タヌキが口を閉ざしたところで、あることに気付く。



(でもちゃんとした検査も何もしていないじゃない。あなたの勘違いで、本当に病気だったらどーすんのよ)

<<どうもしない。詐病じゃなかったらほぼ虫垂炎だ。抗真菌薬なんかないだろう、この世界じゃ。イチかバチか腹を切り開いて切除するしかない>>

(それを私にやらせる気だったの!?)



 バカみたいな格好をして何を考えているんだ、このタヌキは!



「いや、お見事。医者には何度も話をしたし、病院に通って研究して絶対に見破られない自信があったんだが……」



 軽く首を振りながら執事が立ち上がった。



「……もしかして、役者さん?」

「はい。普段は王立劇場で芝居に出ています」

「うへえ、すごい。今こうして見てもちゃんとした執事だとしか思えないわ」

「どうも。自信が打ち砕かれずに済みました。病人役以外ならまだ勤まりそうだ」



 執事役の役者が大きく肩をすくめる。

落ち着くために大きく息を吸って吐いてしてから、今度は大公夫人とメイドたちに向かって尋ねた。



「でもどうしてこんなことを……?」

<<俺たちを、というかアンタを試すためだろ>>

「え? 試す?」


 

 またやってしまった、うっかりタヌキの言うことをオウム返しにした後で。



「なんの騒ぎですか、これは!」



 聞き覚えのある声が反対側の廊下から聞こえてきた。

マダマ様が女性衛士のベリルを引き連れて、足早にこっちに向かってくるのが見えた。



 アルゲリータを始め、メイドたちが一斉にうやうやしく礼をする。

慌てて私もそれに習った。



「……え? レセディ?」



 声をかけられて頭を上げる。

どんな顔をすればいいのか分からなくなって、私は微妙な半笑いを浮かべた。



「あれ?」



 マダマ様は地球外の生物を見つけた時のように目を丸くして、ぽかんと口を開けていた。

その背後でベリルが両手でばっと自分の顔を押さえて、必死で笑いを噛み殺しているのが見えた。



「……何ですか、その恰好」

「へ?」



 一瞬青ざめたマダマ様の肌はみるみる紅潮を始めた。

耳まで真っ赤になると、部屋をつっきって私の方に近づいてくる。

そういや私はとてつもなく奇天烈な装束を着ていたんだ、とそれで思い出した。



「ああレセディ、ごめんなさい! ……そんな鳥カゴなんか外して良いです!」

「あ、外して良いの? てっきり私これがこの家のルールなのかと……」

「なんですかそれ、人に見られたら変人だと思われますよ!」 

「あ痛! ひっぱらないで! 針金で止めてあるの!」

「ひどい! 悪ふざけが過ぎますよ!」



 カナリアの入った鳥かごを外そうとして諦めたマダマさまは、義憤に駆られた足取りで大公夫人の方へ……。



「叔母上! 意地悪はやめてあげてください!」



 ではなく、メイドたちの先頭にいたアルガリータの前へと進み出た。



「えっ」



 どういうことか分からず、思わずきんきらきんに飾り立てた大公夫人とメイドたちの方を見比べてしまう。



「……ぶふっ!」

「ぶふっ?」



 下を向いたメイドたちの中から笑いが漏れ聞こえてきて、私はどうやら自分が二重にだまされかけていたらしいことに気付いた。



「招待しておいて、こんなのひどいです! こんな身代わりまで立てて!」

「……こりゃ、マダマ!」 


 先刻までの猫なで声とは打って変わって、しゃがれ気味の低い声が返ってきた。



「えっ」

「こんなに早くばらしてどうする! 興が冷めるではないか!」



 声の主のアルガリータが眉を潜めていた。

ついに一同は風船を針でつついたように大笑いを始めた。


「あははははははっ!」

「ごめんなさーい、マダマ様!」

「楽しくてついつい張り切っちゃったんです、でも傑作でしょ?」



 頬をふくらませたマダマ様に言い訳するように、メイドたちが一斉に口を開く。

きんきらきんに飾り立てた大公夫人も、先刻までの高慢な態度はどこへやら。

メイドたちと一緒になって肩を揺らして笑っている。



「へ? えぇ、どういうこと?」

<<俺に聞くな>>



 ドッキリ番組にいきなり放り込まれたテレビの若手芸人のような気持ちで、私は顔中に「?」マークを貼り付けていた。

こっちを見てにやにや笑いを浮かべながら、アルゲリータがずかずか玄関ホールを横切っていく。

メイド服を着たままで、玄関ホールの真正面に飾られた巨大な肖像画の真ん前に立った。



「ワシがキューレット大公家のパルラ=ラトナラジュ・キューレットじゃ。まぁ楽にせよ」

続きは今夜追加します。

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