1_3 しまった、やり過ぎた
――――――そうして迎えた18歳の誕生日。
ついさっきまで開かれていた誕生パーティーのまっただ中で、待ち構えていた婚約破棄を突き付けられたわけだ。
「これで後は家から追放されるだけ……。原作通りにね……」
運命には逆らえない。
この後怒り狂う父親からの破滅の通告が待っているはずだ。
「でも今の私には自由にできる金があるわ!」
薄い肌着一枚でどこかへフェードアウトしていった原作のレセディとは違う。
私は前世はブラック企業に勤めるOLで、毎日のようにサービス残業とデスマーチに耐えた根性と前もって計画を建てるだけの余裕の持ち主だ。
追放されても父親も知らない隠し財産さえうまく使えば、残りの人生を有意義に楽しく過ごすことだってそう難しいことではないはずだ。
そう考えるとむしろ未来は明るい。
何せ私はこの世界を舞台に描かれた漫画『ダイヤモンド・ホープ』の大ファンだったのだ。
原作の世界を現実のものとしてリアルに体験できる……ファンとしての本懐である。
「どこ行こうかなー? 漫画で背景描いてたアシスタントが全員手首痛めたって噂の、緻密な建物が並ぶ水の都に住もうかしら? 旅行しながら原作の名シーンの場所を訪ねて回るのも良いなぁ。ファンタジー料理の食べ歩きだってしたいし……」
原作ではフェードアウトしてそれっきりのレセディだが、逆に言えば何をしようともう原作世界に影響を及ぼしはしないということである。
脳裏に鮮明に刻まれた原作漫画の美麗なページの数々を思い浮かべる。
私は自由にそれらをたずね、好きなように満喫できるのだ!
おぉ、なんと素晴らしい! 未来はバラ色だ!
「あの、お嬢様はもうお休みになりましたが」
「構わん! 言ってやらねば私の気がすまん!」
ドアの向こうから剣呑な足音と苛立たし気な声が聞こえてきた。
父親であるロナ伯爵の声だ。
どういう理由かは分からないが、『ダイヤモンド・ホープ』のドラマCDやアニメ版でベテラン声優が演じた声とそっくりの渋い声に聞こえてくるから不思議だ。
ノックもなしに勢いよくドアを開いて、
「お前はなんてことをしたんだ!」
と血相を変えて父親が入ってきた。
もちろんこうなることは織り込み済みなので今更慌てたりはしない。
落ち着いて体を起こす。
「ああ、お父様。お聞きになられたの?」
「何を落ち着いてるんだ! 侯爵家から『婚約を無かったことにして欲しい』と正式に書状が来たんだぞ!?」
「そんなに慌てなくても大丈夫だって」
ベッドサイドのお気に入りの籐椅子に腰をおろして、なだめすかすように私は言った。
「婚約破棄されても、受験や就職でつまずいても、取返しがつかない失敗をしてもね、人生は続くのよ。大事なのは何が起こっても平気だって強い気持ちでいることなの」
「ジュケン? シューショク? 最近のお前はときどき良く分からないことを言うな……。 いや、そんなことはどうでもいい」
面喰らった父親は、威厳を保とうと言い直した。
「侯爵家から縁談を破棄されたなどと……世間に知られたらどうなると思う!?」
「我が家の恥だっていうんでしょう? でも仕方ないじゃない。相手方の家の意向なんだから」
「仕方ない? それで済むと思っているのか!?」
茹でダコみたいに父親の顔中が真っ赤になった。
「あの評判の良い侯爵家のカリナン卿から見捨てられたなんて話は、明日にでも王都中に広まる! おまえは……二度とまともな縁談が来なくなるぞ!」
「ああ、まぁ……しょーがないんじゃない?」
この世界の常識はともかく、私個人としては別に結婚を焦る年齢でもない。
どうせ追放されて家の都合なんか関係ない身になるのだから、と聞き流していると。
「冗談ではない!」
こめかみの血管をびくびくと震わせながら、父親は一層声を張り上げた。
「仮にもロナ家の娘が、結婚もしないまま大年増になっていくなど私は認めん!」
(18歳の娘に言うことではないな)
と思いながら、流石に私も真面目に話を聞く気になってきた。
「お前くらいの年ではどこの貴族の子女も結婚か婚約かを済ませておくのが普通なのに! これでは世間の笑いものだ!」
そういえばこの【ダイヤモンド・ホープ】世界の貴族の結婚はやたら早いのだ。
在学中からバンバン学友たちは結婚していった。
15、16で挙式は当たり前。王立ブリギット学園の同級生で妊娠や出産を理由に休学や退学する者も何人かいた。
いわゆる『産めよ増やせよ』でたくさん子供を作るのが貴族の美徳とされる世界なのである。
(何か雲行きが怪しくなって来たわね……?)
『さっさと我が家から出て行け』という言葉を待っていたのに、父親は冬眠に失敗したクマのようにイライラと部屋の中をうろついて何か言いたげにしていた。
何か様子がおかしい。
憧れの自由が手に入るはずが妙な空気になってきて、私は身を乗り出した。
「いいか……? そうだな、大目に見て二十歳の間までは我慢してやろう」
「は?」
「つまりは21歳になるまで結婚できなければ、私は緊急の手段を取る! お前を表には出さん!!」
「ちょっとちょっと。まさか地下室にでも一生閉じ込めておくなんて言い出すんじゃないでしょうね!?」
折角追放されて落ちぶれる未来を回避するためにソフトランディングでの婚約破棄を実現するべく努力してきて、今日ようやく成功したというのに。
それで座敷牢で一生軟禁生活を送らされてはたまらない。私は思わず泡を食った。
「それに近い」
どういう心理なのか、親父はにやりと酷薄に唇を歪めてみせた。
「それまでに結婚できなければ、お前を修道院に入れることにする!」
「はぁ?」
「『世俗の欲を捨てて信仰の道に入った』となれば対面は保てるからな。 これは家長の私の判断だ! 逆らうことは国法で許されんぞ!」
「えぇ!?」
何やらとんでもないことを言い出してきたぞ。
「行先はナクレイン修道院だ!」
「ゲェ――――――ッ!? よりによって、あのナクレイン!?」
その名前には覚えがあった。
ナクレイン修道院とは、原作【ダイヤモンド・ホープ】にも登場する悪名高い修道院である。
主人公フランシスがある陰謀で侯爵家を追い出され放り込まれる先の修道院なのだが、問題なのは原理主義的に清貧を強要する点にあった。
とにかく厳しく貧しい生活を修道会員に送らせるのだ。
毎朝4時に起きて、就寝時間は夜8時。
1日12時間以上の労働と経典の勉強。
食事はひからびたパンと塩だけのスープ。
ほとんど刑務所と変わりない生活である。
婚約破棄すればあとは自由だと思っていたのに!
こんな落とし穴が待ち構えていたとは!?
「修道院の生活が嫌なら、せめて良縁が見つかって嫁げるように祈ることだ!」
「ちょ、待っ……」
「いいな! 私が我慢するのは再来年までだぞ!!」
私が呼び止めるのも聞かず、言いたいことを言って父親は部屋を出て行った。
「え、えぇぇ――――――っ!!?」
脳裏に思い描いてきた自由なバラ色の未来は霧散した。
修道院の暗くじめじめした石壁の中、僧服で死んだ魚のような目で経典をひたすら読み漁る生活を想像してしまい、私は陰鬱な未来図にぞっと背筋を震わせた。
続きは11時ごろ投稿します。