オズエンデンド大舞踏会(2)
「舞踏会?」
「そうよ、盛大にやりましょう!」
(何故か私も一緒に提案するみたいな流れになってる……)
半ば強引にモルガナに同行させられて、私はマダマさまの執務室まで連れられてきていた。
床の上でタヌタヌの腹にブラシをかけていたマダマさまが目を丸くする。
(領主様が執務室でペットにブラシかけてる領邦って、多分ファセット王国の中でうちくらいよね……)
「え、どうして? いきなりそんな話が?」
「だってオズエンデンドって冬は天気が悪くて、みんなそれぞれの家に引きこもってるじゃない。たまには集まってパーッと楽しく騒いで、気持ちを切り替えなきゃ!」
『意地悪な姉に対抗するため』という本音は綺麗に包み隠して、モルガナは明るい笑顔で言った。
(この子こういうイベントに人巻き込むのうまいなあ)
呆れ半分感心半分で見ていると、マダマさまはぽつりと口を開いた。
「こんな雪と犯罪者と騎馬民族しかない田舎で舞踏会?」
「やめて。領主様がそんなこと言わないで。数少ないまともな領民が悲しい気持ちになるわ」
私も近いことは言ったが流石にマダマさまには触れて欲しくない。
本人も慌てて口をつぐんだ。
「必要なお金は全部私が持つから安心して!」
「はぁ……」
このオズエンデンドで舞踏会を開くということがピンとこない様子のマダマさまに、モルガナは更に畳みかけた。
「華やぐわよ! もちろん当日はみんなで新調したドレスを来て、大いに踊って楽しむの!」
「みんなってほど、舞踏会に出られる女性が果たしているでしょうか……?」
「正式な舞踏会じゃないから上流階級の女性じゃなくても良いわよ。とりあえず領主館にいる人はみんな参加ね。もちろんベリルもよ」
「私もですか!?」
今までじっと執務机の後ろで黙って控えていた警護官は、急にモルガナから話を振られて大いにうろたえた。
「そ、それは警護官の職務ではありません!」
「良いじゃないの。たまにはドレス着たって」
「し、しかし……職務中にそんな……」
「あ、ベリルのドレス姿って私も見てみたいわ」
背が高くてかっこいいベリルが舞踏会用のドレスを着たらどうなるか、同性の私からも一目見てみたい欲がむくむくと湧いてきた。
「こんな田舎で私たちお洒落だってロクにしてないのよ。たまには女を磨かなきゃ!」
「いえ、自分は女である前に警護官です! この軍服も皮膚の一部のようなもの、脱ぐ訳には参りません!」
「この間言われもしないのに進んでメイド服に着替えたくせに……」
ちょっと待てよ。
そういやベリルの私服ってロクに見たことないぞ?
というより昼間軍服を着ていないのを見たのも、この間のメイド服を着た騒動の一件の時だけだ。
「そういえばベリルってお休みの時は何してるの?」
「休み……ですか?」
私が何気ない疑問を口にしたら、女警護官は『きょとん』とした。
「寝るか食事をするかしていますが……」
「そういう休みじゃなくてオフの日よ。遊びに行ったりしないの?」
「オフの日……?」
難題をふっかけられたようにベリルは首を捻った。
……私は段々薄気味が悪くなってきた。
「……そういえば前から聞きたかったんだけれど、貴女ちゃんと休み取ってる?」
「はい。殿下がご就寝されてから翌朝の勤務開始まで、毎日10時間もお休みを頂いております」
「いやそうじゃなくて。っていうか残り14時間全部働いてんの……?」
そう言えばこの娘が休暇を取ってるところ見たことないぞ?
私の頭の中で、ある恐ろしい可能性が思い至った。
おそるおそる口にしてみる。
「まさか貴女、一週間休みなしのぶっ続けで働き続けてんの!?」
「そうです。殿下のお側に仕えて以来、毎日の無遅刻無欠勤が私の誇りです」
晴れ晴れとした爽やかすら感じる表情で、ベリル=スマラクト三等警護官は3年半ぶっ通しで働き続けていることを自慢した。
「えっ、それじゃ休日は!?」
「休日って…………?」
「うん。その理解できない単語をオウム返しにする感じやめましょうか」
会話はできているのに言葉の意味は通じない。
これはちょっとした恐怖だった。
「休みの日のことよ!」
「丸一日も職務をしない日など考えられません」
「普通は取るのよ!」
「私が丸一日もお側を離れたら、誰が殿下をお守りするんですか!?」
「普通はね、どんなに忙しい人でも年に合計で100日くらいは休みをもらえるのよ!?」
「そんなに休んで、一体何をするんです……?」
「何をするって……え? えっ?」
ダメだこりゃ。
仕事に対する認識が違い過ぎて会話にならない。
「あ、分かりました! 労働者は体のどこかが悪くて、一年のうちで働けない日がそれくらいはあるという意味ですね?」
「…………」
「私は丈夫な体ですので、お気遣いは無用です」
「……ごめん、この話やめましょう。思わぬところからドス黒い闇が出てきたわ」
ベリル本人と話していてもらちが開きそうにない。
こういう時は雇用者というか上司というか、とにかく立場が上の人間に話をつけるのが先決だ。
「ちょっとマダマ様、どういうことなの!?」
「いくらなんでもひど過ぎない!?」
モルガナと一緒に、所在なさそうに悲しい顔をしているマダマさまに詰め寄った。
「す、すみません。前に休むように言ったんですが……」
「言ったんですがって、聞いてないじゃない」
「自分の部屋でずーーーーーーっとベッドの上に座って壁に向かってブツブツ言ってるのを見たら、怖くなって。『毎日働いても良いです』って言っちゃったんです」
「なに、ベリルってサメなの!? 休んだら死ぬの!?」
ワーカホリックと呼ぶにはレベルが違い過ぎる。
「…………まあ、本人が満足ならいいことよね! 多分!」
モルガナが面倒くさくなっきて、雑に話をまとめだした。
「もう一回聞くけれど、ベリルはそれで良いの? 疲れたり仕事やめたくなったりしない?」
「職務中の私は絶好調です!」
「…………そう。お幸せにね」
王宮警護官全体がこんなブラック体質だとは思えないが、とにかくアコギな経営者にとって理想的な社員がいるとしたら彼女のような存在なのだろう。
逆に幸運と言えるかもしれない。
マダマさまのような優しい主人に仕えられなければ、どんなひどい目に遭っていたか知れたものではない。
<<舞踏会ってことは、当然ごちそうが出るよな!?>>
それまで黙って床に寝そべっていたタヌタヌが、おもむろに顔を上げた。
例のごとく他の人には届かない声量でぼそぼそと答える。
(そりゃあ多分、舞踏会をやることになったら料理人とか呼んでパーティーもすることになるだろうけれど)
<<ふんふん!>>
タヌタヌは舌なめずりをしながら、勢い良く立ち上がった。
……あ、まずい。
食い意地の張ったタヌキが興味を持ち出した。
<<おまえさんの実家の舞踏会じゃ美味しい思いさせてもらったからな。 王女様主催の舞踏会ともなれば、さぞかし豪勢なディナーが並んで……>>
(ちょ、何するつもりよ!)
私以外のやつとは会話できないタヌタヌがふたりにどうするつもりなのか、一瞬悩んだ時にはもう遅かった。
タヌタヌはとてとてと短い脚を動かして、マダマさまが身だしなみのチェックに使うための姿見鏡の前に移動した。
<<……よっと! そーれ、それそれ!>>
もたつきながらも後ろの二本足だけで立ったタヌタヌは、姿見の鏡の前でクイクイと腰を振り出した。
短い後ろ脚で体を支えて、前脚でバランスを取りつつリズミカルに体を揺らしている。
(アンタってそんな器用なことができたの!?)
初めて見るタヌタヌの思わぬ活動的な姿に、私は目を丸くした。
こんな芸ができたとは知らなかった。
しかし今披露して、いったいどういうつもりなのか……?
「……殿下!」
首を捻る私の横で、タヌキの様子に気付いたモルガナがはっと声を上げる。
「見て見て、タヌキちゃんがダンス踊ってるわよ!」
「きゃあっ! 可愛い可愛い!」
マダマさまはパチパチと拍手までして喜び出した。
ああ、なるほど。
確かに見ようによっては確かに、タヌタヌが鏡の前でダンスの練習をしているように見えなくもない。
「タヌキちゃんも舞踏会に出たいんですって!」
「アハハハ、これはタヌタヌにも招待状を出してあげないといけないですね!」
……しまった!
『そういう空気』になってしまった!
(やられた!)
すっかり盛り上がって黄色い声を上げる二人にもう何を言っても無駄だろう。
何を言っても水を差されたと思って、私への反感が強まるだけだ。
ヘコヘコとマヌケな踊りを続けるタヌタヌがちょっとドヤ顔なのが、無性に腹立たしく見えた。
「この子の芸で客を集めてお金が取れるわよ!」
「タヌタヌったらすごーい!!」
私としてはあざと過ぎてかえってムカつくだけなのだが、何も知らないマダマさまとモルガナにはペットの珍しい芸としか思えないようだ。
<<フッ、俺の華麗な踊りにすっかり魅せられているようだな……>>
「ヘッタクソなダンスだけれど、ブッチャイクなタヌキちゃんがやるとマヌケでかえって可愛いわね!」
<<それを言ったら『戦争』だぞ!? テメー!?>>
キバを剥いたタヌタヌに対して、王子様と王女様はきゃぴきゃぴと声を上げ続けている。
「ちょ、ちょっと待って! これは踊ってるんじゃないわよ、この子にそんなこと分からないわよ!」
このままタヌタヌの思惑通りにことが運ぶのはなんとなくシャクに触る。
せめてもの抵抗を試みた。
「えっ、じゃあ何なの?」
「そ、それは……」
鏡の前で腰を振るタヌキの姿に、ダンス以外の説明を求められてしまった。
妙な事態になってしまって頭が混乱する。
タヌタヌの中身が実は妙にインテリで毒舌の成人男性なのだ、と事実を言ったところで頭の病気を心配されるだけだろう。
(……そ、そうだわ!)
ぱっと電光のように、窮した脳が閃いた。
この状況を説明できるアイディアが降って湧いてきた。
ダンスよりもずっと論理的に導くことのできる状況の帰結が、あたかも天啓のごとく。
とっさに口を開く。
「発情期なのよ!」
『………………』
「きっとサカリがついて腰を振ってるのよ!!」
『………………………………』
大声で叫んだが、二人を翻意させるには至らなかった。
むしろかわいそうな人を見る目で見られた。
「……これで決まりね、舞踏会にたくさん人を集めてあげましょ!」
「……そうですね。みんなにタヌタヌのダンスを見てもらいましょうね!」
ああ、もうダメだ。
礼儀正しく無視までされてしまった。
<<大きな物事は計画ではなくノリと雰囲気で動くのだ>>
(…………うっさいわよ、ブチャイクタヌキ!)
得意げなタヌキに内心毒づいてももう遅い。
この公爵領で最高権力者のマダマさまとモルガナがその気になってしまった以上、くつがえすのはよほどの理由でもない限り不可能である。
(でも結局、舞踏会の実務は最後まで私が取り仕切ることになるんでしょうね……)
と、軽く痛む頭で思った。




