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三等警護官ベリル=スマラクトの憂鬱(5)

「殿下。午後の予定を申し上げます」


 

 ベリルは手帳を開いて、マダマさまのスケジュールを確認した。

警護官として主君の予定を把握する仕事は並行して継続中らしい。



「今日は昼食後にツァガン族代表と面会。2時間ほど歓待を受けます。その後は夕方までスターファ代表より今年度の損益最終収支の報告と、来年度の事業計画の概算について説明を受ける予定になっています」



 メイド服でやられてもなんだかしまりがないな、と思いながら予定を聞いていた。



「ん? マダマさまどうかした?」



 マダマ様は話に集中していない様子で、しきりに自分の指先を擦っていた。



「……指が赤くなってしまいました」

「あら大変」



 初めて何度も弓を引っ張って、皮膚の薄い部分が破れでもしたのだろう。

指の第一関節の近くにかすかに血がにじんでいる。



「次からは指当てを使いましょうか?」

「そうですね。慣れたら皮が厚くなって平気になるんでしょうけれど……」

「…………!」



 みるみる顔を青くしたベリルが、奥へとすっ飛んで行った。



「?」



 何事かと思ったら、救急箱を抱えてものすごい勢いで戻ってくる。



「殿下! 手当を、治療を、お早く!」

「衛生兵か」



 呆れる私の前で、あたふたとベリルは包帯やら軟膏やらを取り出し始めた。


「そんなの大げさですよ」

「油断してはなりません! かすり傷だと油断していたのが全身を痙攣させて死ぬ例が毎年報告されています!」

<<ああ、破傷風のことか>>



 タヌタヌがぽつんと言って、のそのそと歩き去っていった。



「いたっ、染みるじゃないですか」

「軍の調査では、蒸留酒で消毒することが有効だと認められています! なければ清水か、最悪馬の尿でもよろしい!」

「馬の尿って……」

「これは蒸留酒です!」



 慌てて捕捉しながら、ベリルはマダマさまの手を取ってベタベタとアルコールを振りかけ始めた。

マダマ様が不快そうに眉を歪ませる。



「消毒したあと軟膏を塗ります!」

「そのくらい自分でできますよ」

「万が一ということがありますから!」



 ベリルは譲らずに、掴んだ少年の右手の指にたっぷりと軟膏を塗りつけ始めた。



「……!」

(あちゃー……)



 傍から見ていてもマダマさまの機嫌が悪くなるのが分かった。

多感な12歳の男の子相手にそんな無理強いをしていたら反発されないわけがない。

こんなことをしてたらまたトラブルが起きるぞ、と思わずにはいられなかった。



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「昼食も私が用意します!」



 意気揚揚と言い切って、ベリルはリビングから台所へと引っ込んでいった。



『…………』



 テーブルについたまま後に残された私とマダマさまは、ここぞとばかりにこそこそと声を潜めた。



「……やっぱり無理にでも止めといた方がよかったかしら?」

「まさか『ルチルの方が良かった』なんて思う日が来るとは思いませんでした」



 どうしても影口になってしまうが、こればかりはしかたあるまい。



「まさかいきなりメイド服着こんで働き始めるとは思わなかったわ」

「もう何年も一緒にいますが、ベリルがスカートを履いているところを初めて見ました……」

「変なところで思い切りが良かったのね、彼女……」 

「はっきり言って今のベリルは、ボクが知らないベリルです」



 二人で神妙な顔でどう処したものか話し合おうとしたところで。

人の気配が近づいてきたので、慌てて姿勢を正した。



「お待たせしました!」



 カートに二人分の料理を乗せてベリルが戻ってきた。



「待ってました!」

「わ、わー。美味しそう……」



 誤魔化すために取って付けた賞賛を並べ立てると、ベリルは得意げに料理の丸蓋を外した。



「メニューは大麦の粥。脂を外した鶏のハム。茹でた野菜。炒った豆。そして白身のみのオムレツです!」

『…………』



 ボディビルダーの食事か、病院食みたいなのが出てきた。



「肉と栄養が取れて砂糖や油を可能な限り抑えたこのメニューこそ、身体を磨き上げるために最善です」

「な、なんて味気なさそうな……」

「えっ、私もこれ食べるの?」



 思わず不満の色を露わにしてしまった私たちに対して、ベリルは視線をきつくした。



「お二人とも。人は食べるために生きてはなりません、生きるために食べるのです!」



 意味は良く分からないが『文句を言わずに食え』ということらしい。



「……食べましょうか」

「そうするしかないですね……」



 給仕のつもりなのか、それとも完食するまでの監視なのか。

テーブル傍に仁王立ちするベリルが気になって仕方ない中、私たちは食事を始めた。



(こんなに落ち着かないランチタイム初めてだわ……)



 黙って二人でもしゃもしゃと、皿に乗せられたものを咀嚼する。



「……パサパサしてて食べにくいです」

「せめて塩かけさせてちょうだい、塩!」



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「塩味のバター茶ってなんか抵抗があるわね……。不味くはないんだけれど」



 予定通り、午後はツァガン族にお呼ばれすることになった。

一応建前としてはマダマさまとアルトゥの結婚後のあいさつ……ということになっている。

私はマダマさまの身内役だ。メイド服のままベリルも随行している。



『どうして私を差しおいて、殿下が結婚したことになってんのよ!?』と愚図りだしたので、モルガナは今回は留守番である。



<<なんでオレもついてこなくちゃ行けないんだよ!?>>



 あと長老たちからどうしても連れてきて欲しいと言われたのでタヌタヌも引きずってきた。

無理矢理連れてこられて機嫌を損ねたのか、自分にも設けられた座の上でゴロゴロと転がっている。



(ちょっとはしゃんとしたら?)

<<うるさい、タヌキは夜行性なんだぞ。昼間っから起きていられるか>>

(アンタは夜も寝てるじゃない……)



 呆れながら上座の方を見やる。



「いやー、めでたいめでたい!」

「ツァガンの末娘が嫁に行くと最初聞いたときは驚きましたが、上手く行っているようで何より!」

「公爵殿下もどうぞどうぞ。是非うちの酒を一献……」

「いいえ、ボクはお酒は飲めません! 未成年ですから!」



 来賓席に座らされたマダマさまを囲んで、各部族の長老のおじいちゃんたちが熱い息を吐いていた。

平気でお酒を酌み交わしてはすっかり出来上がっている様子だ。。

ファセット王国とは違って、ツァガン族では明るいうちから酔っていても白い目で見られることはないらしい。



「殿下にもいつか、馬乳酒の味が分かる日が来ますとも!」

「まさに。もっとツァガンのことについて知って頂きたいくらいですじゃ」

「ああ、ツァガンの遊びならハシからいくつか教えてもらいましたよ」



 何気ない受け答えだったが、おじいちゃんたちは身を乗り出して食いついた。



「それは素晴らしい!」

「率先して文化を取り入れてくださるとは、頭が下がる思いですじゃ」

「それでどんな遊びを? 弓ですか、競馬ですか? それとも【羊のくるぶしの骨投げ】ですかな?」

「いえ、相撲です。ボクもハシとよく取りますよ」



 おおっ、とおじいちゃんたちが感嘆の声を上げる。



「相撲をお好みとは!」

「流石は殿下!」

「平地人の上品に育たれていても、やはり男の子ですな!」

「うむ! 相撲こそはやはり、競技の中の競技!」

「相撲を取らないやつなんて男じゃない!」



 長老たちはよほど相撲が大好きらしい。

膝を打ってマダマさまを褒め称えだした。


 

「どうじゃろうか、皆の衆。急な話だが、殿下のために皆で相撲をお見せするというのは?」



 いかつい顔をしたツァガン族の長老の提案に対して、即座に長老たちは賛同した。



「それは良い!」

「外は雪が積もっておるが、なあに構うものか!」

「強い男を集めろ!」

「相撲大会じゃ!」

「えっ、えっ、ええ?」



 主賓のマダマ様を差し置いて、完全にやる気になってしまった長老たちは自分たちだけで決定を下した。

かくしていきなりだが相撲大会が催されることになった。


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