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マダマの秘密の遊戯(1)

「うーん……」


 

 領主館のリビング。

すっかり執務机代わりのテーブルに積み重なった目下の諸問題を前に、私はうならざるをえなかった。



「お嬢さま。手紙が届いています」

「はい、ありがと。そっちに追加しといて」



 言いづらそうにトパースが新しい郵便物を持ってきたので、私はテーブルに集まった仲間たちの端に加えるよう手で示した。



「お読みにならないのですか?」

「何が書いてあるかは分かってるのよ。代金の支払いのお願いでしょ?」



 この数日間、ポストが一杯になりそうな勢いで送られてくる請求書がまた一枚増えたに違いなかった。


 

「請求書、請求書、請求書……。それからまた請求書!」


 

 買ったものは多岐に渡る。

小麦。塩。芋。

それから馬が食べるまぐさに飼料。建材。

もうとにかく人が生きるために必要な、ありとあらゆるものを買いあさったのだ。



「何せ人口がいきなり2万人も増えたんでね……。食糧でもなんでも追加を買っとかないと追い付かないのよ」



 イワシの瓶詰とグアノ採掘で大儲けしたとはいえ、決して安い買い物ではない。

何しろ冬季でどこも食糧は少ないし、誰も自分の蓄えを売りたがりはしない。

無理矢理かき集めるのに割高料金になってしまった。

ただでさえ冬の間、2万人もいる居候を食わせるだけの量をかき集めなければならないというのに。



「こんな雪の中のド田舎に輸送するだけで割り増しの運賃を払わなきゃならないし……」



 計算中、ずっと増え続ける支払い総額の数字を見ると頭が痛くなってきた。



「ついこの間まで500人の村民を養うのにひーこら言ってた私が、なんで更に2万人の騎馬民族の食い物の面倒をみなきゃならないのかしら……?」

「神は耐えられる方にしか、試練はお与えになりませんわ」



 ついついぼやいてしまったところで、トパースが思ったよりも真剣な励ましをくれた。



「お茶でもお入れしましょうか?」

「ありがとうトパース……。厚かましいようだけれど手伝ってくれる気持ちがあるなら、そっちの側のだけでも総額計算しといてくれない?」

「お安い御用です」



 即決したトパースが、来たばかりの封筒を手にかけた。

私にはもったいないくらいの素直で働き者の侍女は、中身を見て意外そうに眼を見開いた。



「どったの?」

「お嬢様。これ、請求書ではありません。領収書ですよ?」

「領収書? 今月はまだどこにも振り込んじゃいないはずよ? ……何これ、300ディナールも何に払ったの?」



 トパースが差し出した紙に目を落とすと、確かに『代金を受け取りました』という内容が書かれていた。

机に並んだ他の請求書と比べると大した額ではないが、財布の中身と考えると結構なお値段を支払ったことになっている。

首をひねりながら領収書の受け取り人の名前を再度確認する。

うーむ、全く覚えがない。



「あなた、ヤーミータ商会ってどこのことか知ってる?」

「存じ上げませんが」

「最近何かお金払ったかしら?」

「覚えがありません。出納帳を見てみます」



 慣れたもので、トパースは分厚い今月分の出納帳をペラペラとめくって近頃のお金の動きを追った。



「……ありません。やはり領主館からはお金は出ていないようです」

「ふーん……? モルガナが買ったのかしら?」



 出納帳に書いてあるのは領主館の公的な出費だけだ。

誰かがポケットマネーで買ったものなら当然載っていない。

それにしては宛先が『オズエンデンド公爵殿下』になっているのが気になるところではあるが。

モルガナなら堂々と自分の名前で買い物することだろう。



「まさかマダマさま? 何か買ったのかしら?」

「どうしましょう?」

「……まあ経理と関係ない領収証なら気にすることないでしょ。一応後で確認するけれど」



 領主館の出費でないなら大した問題ではない。

それよりも早急にまとめなければならない問題が、テーブルの上に文字通り山積しているのだ。



「それよりどうしましょ、この請求書の束! いちいち処理するだけでもお金かかるのに……」

「手数料だけでかなりの額になりそうですね……」

「うぅ……。なんで私がこんな苦労を……!」



 クレジットカードかネット振り込みで決裁ができた時代に住んでいた記憶が懐かしい。

主従揃って頭を抱えたその時。



「……きゃっ!?」



『ドスン』と壁の向こうから音が響いた。

思わぬ大きな衝撃音に、びくりと肩を震わせてしまう。



「な、何なに? 何の音?」

「隣の部屋には公爵さまがおられるはずです!」

「大変!」



 何事か怒ったのかと、慌ててトパースと一緒に壁一枚隔てた隣室へと向かう。



「マダマさま、大丈夫!? ……って、おおい!?」



 驚きの声を上げてしまったのは、ドアを開けた途端に目に飛び込んできた光景があまりにショッキングだったからだ。



「あ、レセディ」



 壁に自分の背中を押し付けるようにして、マダマさまが男の子と抱き合っていた。

相手はマダマ様より背の低いツァガン族の少年……アルトゥが面倒を見ていた男の子だった。名前はハシ、と言っただろうか。

くりくりとした目のかわいい男の子を両腕に抱きしめ、マダマさまは片足まで絡めて熱烈に抱擁している。

腐りかけのお姉さんが目の色変えてヨダレを垂らしそうな衝撃映像である。



「ちょっと、何やってんの!?」

「ごめんなさい、お邪魔でした?」

「そういうことは最初から私のいるところでやりなさい!」

「すみません、ハシとレスリングをしてたんです」

「……レスリング?」

「ハシ、一回やり直しましょう」



 ついつい訳の分からないことを口走ってしまった後で我に返る。



「ツァガンのレスリングはこうやって組みあって……相手を転ばした方が勝ちなんです」



 いわゆるモンゴル相撲というやつらしい。

私も知っている日本の相撲と違って離れて仕切らずに、互いに組みあってからスタートするルールだ。

百聞は一見にしかず、とばかりに部屋の中央でマダマさまとハシ少年が仕切り直した。



「えーい……ううん……!」



 年下のハシ少年を転ばせようと、マダマさまは足をかけたり手を引っ張ったりと顔を真っ赤にして頑張った。

が、涼しい顔のままのハシくんにあっさりと転ばされてしまう。



「あははは……! ハシは強いですねえ!」



 ジュウタンの上に寝かされたマダマさまだが、無邪気に笑いながら立ち上がった。



「もう一回! もう一回しましょう!」



 屈託のない笑顔のマダマさまに対して、物静かなハシくんもはにかみ顔で応じた。

なんとまあ。いつの間にか仲良くなったもんだ。



「待った待った。仲が良いのは結構だけれど、うちの中では静かに遊びなさい」

「それもそうですね……」



 ちょっと考えてから、マダマさまはハシくんの手を取った。



「ハシ、ボクの部屋に行きましょう。本を読んであげます。絵のある本も持ってますよ」



 そう言ってマダマ様たちは出て行った。

弟の面倒を見るお兄ちゃんを気取っているようだ。何とも微笑ましい光景である。



「よろしいのですか?」

「何が?」


 

 おそるおそる、といった様子でトパースが確認してきた。



「公爵さまがあのように……その、騎馬民族の子供と組みあって遊んで?」

「うーん……確かに貴族様としては褒められたことじゃないのかもしれないけれど」



 あの無邪気な笑顔を見たら『あの子と遊んではいけません』などとは言うつもりになれない。

考えてみたら、マダマさまに男の子の友達ができるのは初めてではないか。

シトリンちゃんクォーツ三姉妹の世話をするところを見たことはあっても、同世代の友人の話なんか聞いたこともない。

だとしたらこの出会いはとても貴重なものということになるのではないか。



「……マダマさまも楽しそうにしてるんだし、良いんじゃない? 好きにさせてあげましょうよ」



 ついこの間、純粋な夢の一つを諦めざるをえなかった少年である。

今度は友達を奪う権利などこの世の誰にもありはしないだろう。

私が肩をすくめると、トパースは口をつぐんだ。



「それに美少年同士の友情なんて妄想がはかどるじゃない!」

「はかど……。何がです?」



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 ……それは些細な日常のひとコマ、のはずだった。

まさかこの男の子同士の友情が、領主館の女性陣をにわかに騒がせる騒動の火種になるとは。

私もトパースも全く考えだにしなかった。

という訳で新シリーズです。

短編でバカ話がいくつか書ければと思ってます。

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