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茫漠たる悪意(3)

 その日の夜。

私たちは住民たちより一足先に、刑務所を引き上げて領主館へ帰らせてもらうことにした。



「ようやく帰れたわね!」



 ほぼ一週間ぶりの領主館が妙に懐かしく思える。

その間に色んなことが一気に押し寄せてきたせいで、実際の日数よりも長い間離れていた気がした。



《オレのベッド! ずっと一人で寂しい夜を過ごさせてゴメンな!》



 そそくさとタヌタヌが足元を抜けて、私の寝室の方へ走り去ってった。

すぐに横になって寝てしまうつもりのようだ。

今日ばかりはその気持ちも分からなくはなかった。



「……軍隊も引き上げてったし、ツァガン族も大人しくしてるし、一安心ね」



 まだまだ問題は山積みだが、とにかく最悪の事態は回避することができた。



「今日は良く眠れそうだわ……」

「全く刑務所で寝起きしてただなんて、国の姉様たちに知られたら笑いものだわ!」



 唇を尖らせたモルガナと一緒にリビングに入る。

敷居をまたぐと、古びた石造りの建築の匂いが鼻をついた。

おせじにも優れた住環境とは言えないが、今となってはこれが我が家の匂いだ。



「やっぱり石造りの刑務所よりここの方があったかいね!」

「早くコタツつけてよ!」

「すみなれたわがやがいちばん!」

「アンタたちの家じゃないでしょ……」



 当然のような顔をしてくっついてきた、シトリンちゃんたちクォーツ三姉妹はとりあえず置いておくとして。



「やっちゃったぁ……。やっちゃいました……。ボクは何故あんなことを……」

「殿下、お気を確かに!」

「ほら、おうちにつきましたの!」



 ベリルとルチルの二人に両脇から抱えられるようにして、青い顔のマダマが足を引きずってくる。



「まだ調子戻らないの?」

「は。宰相閣下との会見から戻られてから、この調子のままです」

「ずっとぶつぶつと後悔と懺悔の言葉を繰り返してますの」



 宰相と軍隊が引き上げてからずっとこんな調子だ。

単身一歩も引かないやりとりをして、二万のツァガン族の命を救った領主の姿とはとても思えない。



「どーしたのマダマさま。何をそんなにビクビクしてんの」

「だって怖かった、怖かったんですよ!?」



 半ばベソをかきながらマダマさまは甲高い声を上げた。



「どうしたのよ。宰相閣下と真っ向勝負してた時は平然としてたじゃない」

「あの時はもう必死で……。後から考えると、一国の宰相にとんでもない無礼をしたんじゃないかと……ああ!」

「気にし過ぎよ!」

「やっぱり今からでも追いかけて謝った方が良いんじゃ!?」

「落ち着いて! そんなことしたら全部台無しよ!?」



 宰相と万の兵士を前にした時は堂々としていたくせに、うちに帰るとどこにでもいる12歳の男の子の顔になっている。

全く不思議な子だ。



「いやあ、久しぶりに胸のすく思いがしたわ!」



 情緒不安定になったマダマさまをどうしたら良いか弱っていたところに、いきなり明るい声が響き渡った。

ヘリオドール警護官を引き連れたキューレット大公夫人だった。



「ようやったぞマダマ! よーしよしよし良い子じゃ!」

「やめてください叔母上……」



 憂鬱な顔のマダマさまに対して、満面の笑みで大公夫人は抱き着きにかかる。



「あの鼻持ちならん宰相が、何も言えずにすごすごと引き上げていくのは痛快じゃったぞ!」

「ボクはなんて恐ろしいことを……」



 うーむ、どこまでも噛み合わない叔母と甥である。



「とにかく祝いじゃ、今日は一晩中盛り上がるぞ!」

「あの、できたら早く寝たいんですけれど……」

「何を言う。祝杯じゃ、ワインを開けて乾杯しようではないか!」



 こっちはほぼ徹夜続きでもうフラフラなのだが、大公夫人はおかまいなしに上機嫌で言い切った。



「わ、ワイン!?」

「ああ、よいよい。気を使わんで。ワシも無理は言わん、何せ場所が場所じゃからの」



 ぎょっとした私に対して、大公夫人は慌ててフォローをしてきた。

このお方にしては珍しい気の使いようだった。



「高いシャトーのワインでもなくても、安酒で十分じゃぞ。何せ勝利の杯じゃからの! 格別な味わいとなるはずじゃ」

「いえ、ワイン自体がないんです」

「……なんじゃと!?」



 大公夫人は血相を変えた。



「だって私、飲みませんし」

「ボクは未成年です」

「スターファじゃお酒飲む習慣自体が一般的じゃないわ」

「……ええい、面白みのないやつらめ!」



 やおら元の態度に戻った大公夫人は、手を振り上げて壁の向こうの村の方を指さした。



「館にないのなら仕方ない、村で買って来ればよかろう!」

「ありませんよ。行商人に厳しく言いつけて、酒を領地に持ち込むのは禁止してるんです」

「なんじゃと!? そなたまさか、禁欲主義者だったのか!?」

「ちゃいますって」



 私はむしろ享楽主義者兼、趣味至上主義者だ。

ここのところ現実に追い詰められて、主義と反して勤勉に働くことを余儀なくされ続けているが。



「だってこの村の労働人口の大半が、刑務所から働きに出た受刑者と、他所から来た外国人ですよ」

「だからなんじゃ?」

「酒なんか自由に飲ませてたら、どこでどんなケンカやトラブルが起きることやら分かったもんじゃないでしょ」

「そりゃあそうかもしれんが……。領主館には関係ないじゃろ!?」



 チョコレートを欲しがるわがままな子供のように、大公夫人は地団駄を踏んだ。



「なんぞないのか!」

「あとはお菓子しかありません」

「塩サケとマッシュルームならいくらでもあるけど?」

「話にならんぞ! 本当にアルコールは一滴もないのか!?」



 また面倒なことを言い出したぞ。

白目を剥く大公夫人をなだめるには酒を与えるしかないようだ。



「えーっと……。ちょっと待っててください? 何か夏頃に見たような記憶が……」

「どこでじゃ! ちゃんと思い出せ!」



 回転の鈍い頭を総動員して、ほぼ消失しかけていたおぼろげな記憶に辿り着く。



「私たちが来る前から館の食糧庫に入ってたやつが、ずーっとそのままになってたような……」

「真か!」

「えーっと……確かにワインボトルでした。こう丸くて太い……」


 

 現代日本のスーパーで並んでいたのとは違って、この世界のワインボトルに決まったデザインや様式などないしガラスを作る技術も未発達だ。

不揃いで割れやすい不便な代物だが、その分印象に残って記憶にとどまっていた。



「誰も触ってないなら食糧庫の奥にまだ残ってるはずですよ」

「そのワインを探すぞ!」

「ええ、今からですか?」

「当然じゃ!」



 鶴の一声で、私たちは食糧庫をひっくり返してワインボトルを探す羽目になった。

別棟の食糧庫は大して広い訳でもないが、もう日は落ちて暗いし寒いしで、中からワイン一本を探すのは結構な手間だった。



「もう今日は休めると思ってたのに、ひどいですの!」

「しっ! 黙って探しなさい! 飲ませないと暴れ出しかねないわよ!」



 小声で文句を言い出したルチルをたしなめる。

こうなればもう、もはや邪神をなだめるための捧げものを探しているのに近かった。

 


「ありましたの!」


 

 30分ほどの捜索の末、食糧庫の隅っこからワインボトルが一本見つかった。

何年も忘れ去られていたボトルは分厚いホコリを被って、一見するとワインボトルとは分からない有様だった。

はっきり言って手にするのもはばかられるような状態だったが、やむをえずリビングに持ち込んだ。



「……すごい色をしてますよ」

「うわっ、ばっちぃ」

「エチケットもシミでほとんど読めないわね……」



 一応台拭きで積もったホコリを落としはしたのだが、劣悪な状態であることは誰の眼にも明らかだった。

ワイン愛好家が見たら悲嘆の声を上げそうな有様だ。

流石の大公夫人も面喰ったようだが、まだ諦めきれない様子だった。



「よ、良し。開けてみよ」

「大丈夫なんですか? ホコリ被ってクモの巣が張ってて、ネズミのフンが周りに散らばってたやつですよ?」

「案外、年月が過ぎたことで熟成が進んで良い味になっとるかもしれんじゃろ!」

「多分ダメだと思いますけれど……」



 というか、私にはとてもこれを飲料として認識することができない。



「コルクが半分抜けかけてますけれど、本当に飲むんですか……?」

「くどいぞ。早く栓を開けい」

「はいはい……。 うわっ、くっさ!」



 栓抜きを使って封を開けると、いきなり刺激臭がリビングを満たした。



「やだっ、何ですかこの臭い!」

「鼻が曲がりそう!」

「うわぁ……ワインでこんな色見たことないわ」



 ワイングラスに注がれたのは、外見上では醤油だかヘドロだか分からない代物だった。



「やっぱりやめた方が良いですよ、叔母上!」

「な、なあに。少しくらい時間が経ってっても酒なら体に悪いということはあるまい。酒は百薬の長というではないか」

「酒は万病の元ってことわざもありますよ」

「じゃかましい。飲むと言ったらワシは飲むぞ!」



 もはや後には引けない状態らしい。

震える手で大公夫人はワイングラスを手に取った。



「……そりゃあっ!」



 とてもワインのテイスティングをするとは思えない掛け声をひとつ。

大公夫人は勢い良くグラスの中身を口に含んだ。



『…………』



 イヤーな沈黙がリビングを満たした。

大公夫人の顔に脂汗が浮かび、次いでさあっと赤みが増し、そして青くなっていった。

表情もわずかな間に目まぐるしく変わり、遂には顔面筋がぴくぴくと痙攣を始めた。



「……どうですか?」



 空気に耐えられず声をかけてしまう。

返事の代わりに、大公夫人の口からかつてワインだったものが毒霧のごとく吹き出した。



「きゃあっ!」

「ちょ、ちょっと! 大公夫人!」

「……ダメじゃ、完全に酢になっとる!! ゴホゴホッ……げふっ、ぶへえっ!!」

「ムセるか吐くかどっちかにしてください!」

「お水、お水ですの!」



 横隔膜が心配になる動きで全身を震わせていた大公夫人は、ルチルが差し出した水で口中を洗い流してようやく人心地を取り戻したようだ。



「そなた、ワシを毒殺する気か!?」

「自分で飲んだんじゃないですか……」 

「ええい、祝い酒じゃぞ! 何かないのか!」

「まだ飲む気ですか? 大体、何かってなんですか……」

「オーデコロンは!? チンキは!? 靴墨でも良い! とにかくアルコールが入っとるもの!」

「どうしてそこまでして酔いたがるんですか……?」


 

 まるで禁酒法時代のようなことを言い出したぞ。

手を震わせる大公夫人を見て、先日ツァガン族の長老のところへあいさつに行った時のことを思い出した。

確か宴会のメニューに杯があったはずだ。ベニさんが何杯も飲み干していたやつ。



「あとはツァガン族の連中が、蒸留酒作って飲んでたのは知ってますけれど」

「それを先に言わんか、バカモノ!!」



 本気で怒られてしまった。

目がマジだった。



「出向いて奴らのところに行って酒買ってくる!」

「そんな『ちょっとコンビニ行ってくる』みたいに言われても」

「コンビニって何じゃ?」

「何でもないです。それより外は雪ですよ」

「構わん。参るぞ、ヘリオドール!」



 コートを羽織って大公夫人は自ら外へ乗り出そうとする。

文句ひとつ言わず同行するヘリオドール警護官は、聖人か何かなのだろうか?



「連中、お金をあんまり信用していないから物々交換の方が確実ですよ」

「心配いらん。秘蔵の指輪のコレクションを持ってきた。この中から選んで酒に変えるのはちょっと痛いが、連中も貴金属は遊牧生活で財産になるから欲しがるじゃろ」

「どうしてそんなもの持ってきてるんです……?」



 大公夫人が宝石箱を片手に外へ飛び出そうと、領主館のドアを開いたところで。



「……むっ、誰じゃ?」



 いつの間に雪の中を歩いてきたのか、玄関先には馬に乗ったツァガン族の姿があった。

 


「アルトゥ!」

「明日、長老たちが改めて領主にあいさつに来る」



 前置きもあいさつもなしに、私を認めるや馬上のアルトゥは用件を話し始めた。



「えっ、あいさつ?」

「従属の礼だ」



 また急な話だった。

こっちは帰ってきたばかりだと言うのに、もう明日の用意を考えなければならないとは。



「長老たちの方から、正式に臣民として組み入れられるよう願う形だ」

「そりゃこっちとしてはありがたいけれど……。良く納得したわね!」



 こういうことは実際儀式として形にするのが既成事実として大切なことなのは確かなのだが。

あのプライドと男権主義でコチコチのツァガン族の長老たちが、良く自分たちから出向いて頭を下げようとなったものだ。



「長老たち全員の総意だ」

「ほほう……」



 命がけで気球に乗ってアピールしたのがよほど聞いたようだ。

ついつい鼻の穴が大きくなってしまう。



「私が『断るとまた今朝みたいにレセディ・ラ=ロナが火の玉に乗って突っ込んでくるぞ』と言ってやったら、誰も反対しなくなった」

「ちょっと! 言い方ぁ!!」



 こっちの言うことを聞くようになったのは良いが、理由が思ってたのと違う!



「……でもこれで一安心だわ。軍隊も引き上げて行ったし、食糧も明日からすぐ配給できるようにするから」

「うむ、その話なんだが」



 珍しくアルトゥが、言いにくそうに一呼吸置いた。



「な、何?」

「長老会で決まったことでな。条件が一つある」

「じょ、条件? 今更!?」



 まだ何かややこしいことでごねようと言うのか。

慌ててしまった私に対して、アルトゥが言い訳するように続けた。



「そういいきりたつな。我々にとっても部族の命運がかかってるんだ」

「それは分かるけれど……」

「そのための確実な保証が欲しい」

「保証?」



 まさか契約書を交わせとか言い出さないだろうな。

眉をひそめた私に、アルトゥは思いがけないことを言い出した。



「ツァガンの者と婚姻しろ」

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