表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

259/405

未知への騎行(15)

「レセディ嬢。ワシらは出発するぞ」



 なんとか気球の材料に目途が付きだしたところで、旅支度をした大公夫人がヘリオドール警護官を連れて現れた。



「出発するって……。どちらへ?」

「ここにおってもワシは役に立てんからの。別方向からそなたらを援護する」

「別方向?」

「今こっちに向かって来ておる正規軍の足を止めてみる。やりようはあるはずじゃ」

「そんなことできるんですか!?」



 異民族討伐の名目で押しかけてくる軍隊の進行を止めることができるなら、そんなありがたい話はない。

何せ突貫工事だし気球製作の経験なんて誰も持っていない。どこでつまずいて時間を消費してしまうか分かったものではない。


 

「あまり期待するな。遠征自体をなかったことにしたり何日間も釘付けするのは無理じゃぞ。精々半日から一日、行軍を遅らせるのが限界じゃろう」



 思わず目を輝かせてしまった私に対して、大公夫人は冷静に言った。



「す、すみません。でも、どうやって軍隊の行軍を遅らせるんですか?」



 確か正式な命令で動いている上にトップが大公夫人とは政治的に対立している宰相だからとかで、横槍を入れるのにも難しいという話だったはずだ。



「率いておるのは宰相かもしれんが、動かしておるのは高級将校じゃ。そいつらが動けねば軍隊も止まる。狙い目はそこじゃ」

「ど、どうやって拘束するんです? まさか実力行使で将校を監禁するとか言い出すんじゃ……?」

「阿呆。もっとスマートなやり口じゃ」



 大公夫人は自信ありげに扇子で口元を隠して見せた。



「スマートなやり方?」

「『兵士が泥を跳ねて服を汚した』とか『ワシへの態度に無礼があった』とか『そういう目をした!』とか。……理不尽な難癖のイチャモンを吹っ掛けて足を引っ張るのじゃ!」

「わぁお」



 客観的に見て言っていることは最低だし、完全に貰い事故に等しい将校には気の毒だが、この場合に限っては非常に頼もしかった。



「こうなった手前、もう手段や方法など選んではおれぬからな」

「そんなことありません! 大公夫人はそういうのすごくお得意そうですわ!」

「なんか引っかかる言い方じゃが……任せよ。やるだけやってみる!」



 力強く請け負った大公夫人は、左右を見渡した。



「ところでマダマはおるか?」

「ああ、マダマさまなら……」



 作業員の間を回って食べ物……片手でも食べられるように、例のイワシの塩漬けのサンドイッチだ……を配っていたマダマさまに声をかけた。



「何でしょう叔母上……。出かけられるんですか?」

「マダマよ。こんなところで何じゃが、急ぎ足で心得を一つ申し渡しておく」



 先刻までとは打って変わって、重々しく真面目な声だった。



「こ、心得?」

「ここに来てみて改めて思ったのじゃが。そなたは人に恵まれておるな」

「え、ええ。いつもレセディやみんなが助けてくれます」

「うむ。それは幸運なだけのようで、実は為政者にとって得難い美質じゃ。大事におしませ」



 そこで大公夫人は、ビッと扇子でマダマさまの胸あたりを指した。



「しかしそなた本人がしっかりせねば何にもならぬぞ。特にこういう危急の時にはな」

「…………」

「肝に銘じよ。事態が大きくなればなるほど、上の者が責を負わねばならぬ局面が必ず出てくる。その時に決断できねば下の者の努力も苦労も全部水の泡じゃぞ」

「は、はい」

「胸を張れ。泣くな、怒るな、嘆くな。そうして力を尽くせばなんとかなる。ならねば周りの者が助けてくれる。良いな、忘れるなよ?」



 この国最大の大貴族にして王位を乗っ取られた嫡流の長女という微妙な立場ながら、政争を生き抜いてきた者としての言葉だった。

別に声を張り上げるでもないのに、マダマさまはいつの間にか背筋を伸ばして聞き入っていた。



「…………」



 神妙に聞き入る甥っ子に対して、すっと大公夫人は顔を近づけると……。

やおらぷっくりとした可愛らしい自分の唇を尖らせた。



「……チューさせろ、チュー!」

「イヤです」



 不意打ちにも動じず、マダマさまはがっしと大公夫人の顔を手のひらで押しのけた。



「芝居とかでこういうのよくあるじゃろ! 雰囲気出させろ!」

「絶対イヤです!」

「いつも思うが、どうしてそなたはワシには結構な塩対応なんじゃ!?」

「叔母上だからです!」

「なんじゃとー!?」



 お互いの身分も地位も立場も忘れたつかみ合いが始まってしまった。

唖然とした周囲の視線が突き刺さる中でも全く構わずに、この国最大の大貴族と嫡流の王子様は姉弟ケンカにしか見えないいさかいを続ける。

慌ててその間に割って入った。



「やめなさい二人とも! せっかくさっきまで良い話だったのに!」

「だって叔母上が……!」

「マダマがチューさせんのが悪い!」

「そういうのもう良いですから! ほら、出かけるんでしょ!? 早くして!」



 私に追い立てられるようにして、キューレット大公夫人とヘリオドール警護官は出立していった。



_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/



 私が難題だと思っていたのは下からバルーン部分に火を炊く燃焼装置の部分だっただが、これはあっさりと解決した。

テュルキス辺境伯が連れてきた工兵たちはあり合わせの鉄板を打ち延ばして曲げると、あっさりと短い煙突がついたかまどに似た延焼装置を作ってしまった。



「こんなものでよろしいですか?」

「すごっ! 十分よ、十分!」



 燃焼室部分の容積は20リットルほどだろうか。

段ボール一抱えほどの大きさで余裕で気球に搭載できそうだったし、煙突のおかげで熱を効率よくバルーンの中に送り込めそうだ。



「燃料にはコークスを使うのが良いかと思います」

「コークス?」

「蒸し焼きにした石炭です。鍛冶屋から調達してきました」

「ふーん?」



 工兵長が手のひらに乗せて見せてくれたのは、表面がざらざらとした白っぽい石くれだった。



「軽いですし高火力ですし、煙も出ませんので打ってつけです。火を起こしてから燃焼炉に入れればすぐに熱が出るかと」

「まかせるわ。しかしあなたたたちが来てくれて本当に良かったわ。流石はプロね!」



 燃焼装置だけではない。

直径10メートルの気球を作業室から屋上まで運び上げる方法が問題だったが、これも専用の昇降装置を滑車と木材とロープで今まさに製作途中だ。

軍隊だけあって全員動きがテキパキしているし、私の素人説明の意図を汲み取ってすぐに形にしてくれる。



「ゴンドラ部分ももうできたの?」

「木材しかありませんが、なるべく軽く頑丈にしてみました」



 板の上に格子状の手すりに、バルーン部分とをつなぐ連結部が四隅に取り付けられただけの簡素なものだが、十分に役目を果たしてくれそうだった。



「良い感じに形になってきたじゃない。後はパイロットね」

「パイロット?」

「これに乗る乗組員よ」



 実はもう選定は済ませてあった。

人類初の飛行という栄えある役目を任されたその男は、作業棟の中でぼーっと突っ立っていた。

専用の飛行服とヘルメットを無理矢理付けさせられて何がなんだか分からないといった具合だ。

もっとも綿と羊毛で作った耐衝撃服と領主館に転がっていた古い鉄兜の改造だから、不気味で巨大なカカシのようにしか見えなかったが。



「……あの、レセディ嬢? 何ですかこの格好は?」



 フルフェイスの鉄兜の中から、くぐもったベニさんの声が聞こえてくる。



「貴方に空を飛んでもらうわ!」

「オレがッスか!?」

「流石にマダマさまに危険な初飛行をさせるわけにはいかないし……。兵士入れてもあなたがこの村で一番頑丈でしょ?」

「今危険って言いませんでした?」

 


 調理用のミトンを改造した大きなグローブで、ベニさんは嘆きの形に手をあげて見せた。



「人が乗る意味あるんですか!?」

「人間が飛ぶから大事件なのよ! どっちにしろあなたがニセ領主ってツァガン族には紹介してるし、ちょうど良いデモンストレーションじゃない」



 モコモコの飛行服を着られているとどうしてもユーモラスで真剣味が伝わってこないのだが、まあ不安は分かる。

ことの重大さを説明してやることにしよう。



「多分だけれどこの世界で初めての飛行よ! ライト兄弟、ガガーリン、アームストロング! 偉大な先駆者たちと一緒にベニト=カルニスの名前が人類史に刻まれるわ!」

「……誰っスか、その人たち! 聞いたこともないッス!?」

「気にしないで良いわ! とにかくあなたは英雄となって、伝説の男となるのよ!」

「この格好で墜落して死んだら、頭のおかしな狂人として伝説になりそうなんっスけど……」

「悪い方向にばっかり考えないの! ちゃんと意味があるのよ」



 別にサボテンかでなければ縛ったハムのコスプレをさせるためにそんな服を用意させたわけではない。



「何のためッスか?」

「安全服よ。ヘルメットと防護服。中に上等なコットンを分厚くたっぷり縫い付けてるから多少の衝撃は吸収してくれるはずだわ。結構お金かかってるのよ、それ」

「衝撃!? そんなに勢いよく地面に落ちるんッスか!?」

「大丈夫よ。砂袋をたくさん積んで、ゆっくり浮き上がるように調整するから」

「はぁ」

「それで火を少しづずつ小さくして、降下速度を調整しながら地上に降りるの。その鉄兜と防護服は万一衝撃があったときのための用心よ」



 なるべく理詰めで不安を取り除いてやったつもりだったが、ベニさんはますます肩を落とした。



「どったの?」

「そんなにうまくいきますかね……」

「なんでよ?」

「この格好、視界は悪いし動きづらいし……逆に危ない気がするんッスけど」



 ええい、煮え切らないやつめ。

仕方ない、火をつけてやろう。



「じゃあ脱ぐ? その服、トパースが縫ったんだけど」



 ぴくり、とサボテンのお化けの肩が震えた。



「マジッスか!?」

「あなたが危険な任務に自ら志願したと聞いて、すぐに服を縫うために彼女は針と糸を手に取ったのよ」

「……あの。志願した覚えは一切ないんッスけれど……」

「黙りなさい、話の途中よ。そして突貫工事でその防護を作ってくれたの。たったの半日でね」

「その話、本当ッスか! オレっちのために!?」



 片思いの侍女相手からの思いを感じて胸を熱くしているであろう男の耳に、そっとささやいてやる。



「ねえ、愛がないとこんなこととてもできないわ……」

「そうッスよね!?」

「トパースの思いがあなたを守ってくれる。私はそう信じてるわよ!」

「なんかオレっちも俄然そんな気がしてきたッス!」

「彼女は思ってるのよ。あなたは勇敢で、優しくて、たくましくて、義侠心に溢れてて、そしてとても扱いやすい便利な男だって……。あ、最後のは気にしないで?」



 余計な本音が漏れてしまったが、恋に恋するベニさんの耳には入らなかったようだ。



「ここでやらなきゃ男じゃないわ! そうでしょ!?」

「その通りッス!」

「あなたはやるときはやる男よ!」

「オレっちは成し遂げて、英雄になって、トパースさんの気持ちに応えるッス!」

「その意気よ! 視界の悪さと運動性の低さは訓練で補えるわ! 自由に動き回れるようになるまで練習よ、それ着て中庭で体操でもしてきなさい!」

「了解ッス!」



 恋は盲目とはよく言ったもんだ。

重い飛行服とヘルメットをものともせず、巨体を揺らしてベニさんは中庭の方へすっ飛んでいった。



「……ねえ、さっきの話本当?」

「えっ?」



 近くにいたモルガナが、怪訝そうな顔で尋ねてきた。

横聞きだなんて趣味の悪い。



「あのヘンテコな服、トパースが作ったって」

「ああ、あれ? 本当は村長夫人の友達たちに手伝ってもらって突貫で仕上げさせたの」

「えぇっ!?」

「じゃなかったらあんなもの、こんな短時間で作れるわけないじゃない!」



 ケラケラと笑う私を、モルガナは青ざめた顔で見上げてきた。



「完全なウソはついてないわよ。トパースも縫ってるから。胸のワッペンのところをちょこっとだけれどね」

「ベニトは完全に、トパースがひとりで作ったものと信じてるわよ!」

「それはベニさんが勝手にそう思っただけのことよ。人にはね、誰でも夢を見る自由があるの!」

「あの、レセディ? 良いことを言っているっぽくしてごまかそうしてない?」



 痛ましそうに目を細めたモルガナは、軽い足取りで駆けて行くベニさんの背中を見やった。



「ひ、ひどい……。そうとは知らずにあんなに喜んで……」

「夢はなるべく長く見させてあげましょう。それが人の優しさってものよ」

「恋心を利用してだましている時点で、もう人の優しさは残っていない気がするけど……」



_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/



 意外なほどに何もかもが上手く運んでいた。

ひょっとしたらこのまま、何事もなく気球を飛ばせるかもしれない。

そんな希望がかすかにだが見え始めていた。



 ……が、過信の報いは最悪のタイミングで明らかになることになる。

思わぬ落とし穴が待ち受けていたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ