未知への騎行(7)
「はぁ……」
起床してから何度目になるか、もう分からないため息が漏れてくる。
結局昨日はよく眠れなかった。
はれぼったいまぶたが重く垂れさがってくる。
それでも朝の仕事をしないわけにはいかない。監獄に避難してきた500人の村民が腹を空かせて待っているのだ。
領主館の面々や奥様方に手伝ってもらいながら指示して、なんとか食糧の配給を切り盛りする。
(こんなこといつまでも続けてられないわよね……)
食べ物を配りながら住民の顔を観察していると、やはりみんな生気が少しずつ失われてきているのが分かってしまった。
やはり仕事も遊びもせずに壁の中でじっと配給を待っているだけの生活はストレスが大きいのだ。
残してきた家の様子も気になるだろうし、田畑のすぐそばには訳の分からない異民族が2万人近くもたむろしている。
当然といえば弱って当然だ。
(短くケリが付くんだったら、軍隊に任せるっていうのも一つの方法かも……)
1万人を超えるツァガン族の生命よりも、500人の村人の生活の方を優先するべきではないか。
ついつい意思が揺らいで、そんなことも考えてしまいそうになる。
「いかんいかん。ダメよ、楽な方を選んじゃ」
ブツブツとつぶやいて軽く自分の頬を手で張った。
『なんとかする』とマダマさまに約束したではないか。
今ならまだ最悪の事態は回避できるかもしれないのだ。
なんとかアイディアをひねりだそうと、散歩がてら監獄の通路をうろうろぶらつくことにした。
「でも私に何をしろってのよ……」
昨晩のタヌタヌの言葉を思い出す。
ツァガン族が住民となることを受け入れるためには、まず彼らの感情を揺さぶらなければならないという理屈は分かる。
しかし『みんなが圧倒される大事件を起こせ』と言われても、そんなのすぐ思いつくはずもないではないか。
その上期限は間近に迫っていると来た。
こうしている間にも、王都を進発した軍隊は北方街道を通ってこのオズエンデンドに近づきつつあるのだ。
「またぞろ死体でも蘇生させてみせろっての?」
冗談ではない。
この間のおぼれたモリオンちゃんが息を吹き返したのは、単に冷たい海に落ちたせいで低体温の仮死状態になっていたからに過ぎない。
私に奇跡を起こす力なんかあるはずもない。
神とか信仰とかが絡むと途端に冷静でなくなるアメシス神父は本気にしているようだが、本当のところ私は聖女でもなんでもない。
たまたま伯爵家に産まれただけの普通の娘だ。
「――――――」
……そりゃまあタヌキと話ができたり、現代日本で暮らしていた前世の記憶を持っていたり、一般的で平均的な娘とはちょっとだけ毛色が違うかもしれないが。
そんなことを話したってこの世界の誰も信用したりはしないだろう。
下手をすれば聖女どころか魔女扱いされて火あぶりである。
「あー……。また堂々巡りだわ」
頭の中で考えていてもぐるぐる似たような思考をたどるだけで、全然前に進まない。
せめて何かアイディアの一端か、打開に向けた発想でも湧き出して来れば活力になって気分も少しは前向きになれるのだが。
そう思いつつ、また溜息が出てきそうなところで……。
「?」
向こうから小柄な人影が、落ち着かない様子で歩いてくるのが見えた。
マダマさまだ。
何かを探しているのか、心配そうな様子で左右を見回しながら歩いてくる。
「マダマさま、どうしたの?」
「あ、レセディ。エレミアを知りませんか!?」
「エレミアってロバの?」
「そうです。昨日連れてきて刑務所の厩舎に入れておいたんですが」
今は誰もいない領主館に馬たちを置いておくわけにはいかないから、もちろんオズエンデンド監獄内に連れてきている。
マダマさまのペットであるエレミアも一緒にいるはずなのだが。
「世話をしようと思ってたら、厩舎にいないんです!」
少年は不安そうに声を震わせた。
「まさか、誰かに盗まれたんじゃ……」
「家畜泥棒なんかするようなやつはいないでしょ、流石に。だいたい刑務所でそんなことしたって、すぐバレるじゃない」
「ボクもそうは思うんですが……」
頭では分かっていても、自分の大事なものが決まった場所にないというのが落ち着かない様子だ。
もとは食用として連れてこられたトラウマもあるのだろう。
「誰かが荷物運ぶのに使ってるんじゃない?」
「そうだとしても、ボクに一言もないのはひどいですよ」
「そりゃそうだわね」
少年の言うことももっともだ。
「良いわ、探すの手伝ってあげる」
「い、良いんですか? レセディは忙しいんじゃ」
「ちょっと気分転換したいの」
「はぁ」
『下手な考え休むに似たり』なんてことわざもある。
陰鬱な気分でずっと思考をループさせているより、何かやることがあった方が少しは気分が上向くはずだ。
そう思ってマダマさまと連れだって歩き出した。
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犯人はすぐに見つかった。
「ねー、全然動かないよ。この子」
「突撃だよ、突撃!」
「やしゃすぃーん! やしゃすぃ―――ん!!」
通路を歩いていると、監獄の中庭の方から甲高い声が聞こえてきた。
私とマダマさまは思わず顔を見合わせる。
「あっ! エレミア!」
果たして囚人の運動場を兼ねた中庭に、探し求めていたロバはいた。
その周りをシトリン、フューメ、モリオンのクォーツ三姉妹が囲んでいる。
囚人の運動場を兼ねた中庭で、鞍もつけていないロバに乗ろうと悪戦苦闘している様子だった。
「何やってんの、ロバ泥棒ちゃんたち」
「ボクのロバにイタズラしないでください! 勝手に連れ出すなんて!」
近寄ってとがめると、三姉妹は悪びれる風もなく、どころか胸を張った。
「ドロボーじゃないですよ!」
「だって姫さまが訓練しろって言ったもんね」
「きへいたいだー!」
三姉妹は手に持った棒切れを高く掲げて見せた。
棒切れは槍の代替で、ロバは軍馬の代わりというわけらしい。
「何を言ってるんですか、この子たちは?」
「民間防衛隊のつもりなのよ」
「はぁ?」
「モルガナは本気みたいなんだけれど、こいつらは遊ぶ理由が欲しいだけよ」
呆れる私たちを無視して、三姉妹は何とかロバに乗って戦争ごっこをしようとするのを再開した。
が、エレミアはじっと四つ足でつったっているだけだ。
背中にまたがっても、膝で横腹を叩いても憮然として頑固に動こうとしない。
「あれー? やり方が違うのかな?」
「ほら、走れってば!」
「はしらないロバはただのロバだ」
エレミアが思った通りに動かないので、三姉妹たちはタテガミをひっぱったり長い尻尾を掴んだり好き放題を始めた。
「ああ、かわいそうなことをしないで。 ダメですよそんなに乱暴にしちゃ……!」
マダマさまが制止しようとしたがもう遅かった。
「……きゃあっ!」
なんとかロバを動かそうと頭を引っ張っていたフューメちゃんが悲鳴を上げた。
ついに我慢しきれなくなったエレミアが、ばっと口を開いて髪の毛に噛みついたのだ。
「やだっ! 離してよ!」
「エレミア、やめなさい!」
マダマさまの声が飛んで、エレミアは引っ張っていた髪の毛を離しはしたものの。
その程度ではオモチャにされつ続けた怒りは収まらないようだった。
「わっ! わっ! わっ!」
エレミアは小走りになると、太い前足の膝で三姉妹を小突き回し始めた。
シトリンちゃんの服を長い舌で舐め回したり、モリオンちゃんの後頭部を軽く噛んだり。
最低限の抑制が効いた形で暴れ出したのである。
「キャー! 怒った!!」
「うわーっ、ヨダレが! ばっちい!」
「もうなにをやってもむだだ、やつをとめることはできん!」
散り散りになって逃げだす三姉妹の後を怒ったエレミアが追跡する。
バターになりそうな勢いで中庭をぐるぐる駆け回る姉妹を、ロバはひづめの音も高く報復に追いかけ回した。
「何やってんだか……」
見ていると肩の力が抜けてしまった。
とてももうすぐ戦争が迫っているとは思えない光景だった。
監獄の外では2万人近い異民族と、それを討伐するための1万人を超える正規兵がもうすぐ激突するかもしれないというのに。
「エレミア、もうその辺でやめなさい! ほら、良い子だから!」
マダマさまが取りついてなだめて、ようやくエレミアは怒りが収まったようだ。
ぶるぶると唇を震わせて、優しいご主人に頭を近づけて不満を訴えだした。
私の方は、悪行の報いを受けた三姉妹の面倒を見てやることにした。
「あーあ。髪も服もベタベタじゃない」
『あはははは!』
「いや笑いごっちゃないわよ」
三姉妹は髪も服もすっかり汚れていた。
それだけなら良いのだが、真冬のこんなクソ寒い屋外でヨダレをベタベタつけられたら……。
『……ちべたっ!』
言わんこっちゃない。
髪やら肌やら服についたロバのヨダレが冷えて、急速に体温を奪っていったようだ。
ぶるぶる震える三姉妹が一斉にくしゃみを始めた。
「すぐ着替えなきゃ。風邪なんか引いたら大変よ」
こんな馬鹿みたいな原因で病気になられて、しかもそれが蔓延したらと思うと笑いごとではなかった。
「さむい!」
「つめたい!」
「しばれる!」
「……うわ、くっさ! ロバのヨダレくっさ!」
泣きが入ったクォーツ三姉妹がくっついてくるのを慌てて手で制する。
「こりゃあとても着替えただけじゃおっつかないわ。髪も体も綺麗にしないと」
と、そこであることを思いついた。
「……お風呂に入りましょうか」




