3_1 我に秘策あり
翌日。
<<絶対にイヤだぁぁぁ!>>
タヌキは必死の形相で抵抗してきた。
「私だって気が進まないけど、やむをえないでしょ!」
<<じょーだんじゃない! そんなバカみたいな恰好ができるか!>>
太く短い脚でタヌキは後じさりした。
きゃんきゃん喚くその視線の先にあるのは、私が手に持つペットウェアだ。
バカみたいに大きなリボンとシュシュの付いた派手な一品。80年代のアイドルもかくやという代物である。
私がそれを着せようとしたところ、タヌキは部屋中を飛び跳ねて逃げ回った。
「良いから大人しくこの服を着なさい!」
<<そんなバカみたいな恰好するなら、皮膚病にかかってハゲタヌキになった方がまだマシだ!>>
「聞いてよ、これは作戦なのよ!」
自分の意図が通じないというのはもどかしいものだ。苛立ちを押さえながら、私はなるべく冷静に話そうとした。
「良いこと? 大公夫人に気に入られたら大変だわ。だってこの世界の漫画の主人公の……フランシス=ホープの敵になるのよ!」
<<なに?>>
「取り巻きの一人にでもされて、漫画の主人公と対立させられたらとんでもないことになるわ」
<<どういう意味?>>
「相手は主人公なのよ! ケンカなんてしたら元悪役令嬢の私なんて出会い頭に一撃でクリヤーよ! それくらい強烈な実力と運と主人公補正の持ち主なの!」
原作漫画を読んでいない相手に、少女漫画の主人公役の恐ろしさを伝えるのがこうも難しいとは。
「でも嫌われたらそれはそれで大変だわ。相手は何しろこの国で最大の権力の持ち主の一人なんだから」
<<それで? 俺に生き恥をさらさせるのとどう関係があるんだ?>>
「だからおバカキャラで乗り切るのよ!」
<<なんだと?>>
「『大事な招待に恥知らずにもペットのマヌケな見た目のタヌキを連れてくるおバカな貴族の娘』を演じて、大公夫人に自分から関わる興味をなくさせるの」
ようやく少しは意味が通じたらしい。
タヌキは私の言葉に文字通り耳を傾けてきた。
<<一理あるな。なるほどバカな貴族の娘を……ちょっと待て『マヌケな見た目のタヌキ』って部分省略しても意味が通じないかさっきの文章?>>
「そんなことはどうでも良いわ! 自己演出よ、着るは一時の恥着ざるは一生の恥よ!」
<<怪しい格言を捏造するな。作戦はそれだけ?>>
「もちろん他にもあるわよ。とっときのがね」
ニヤリとほほ笑む。
「どんな相手だろうと、一発で面会を打ち切る最強の切り札を考えたの。あなたの協力が必要よ」
<<ほうそんな手が。どんなのか聞かせてくれよ>>
「最後の手段。例えば私が無理難題をつきつけられて、返答に困ってにっちもさっちもいかなくなったとする。その時あなたに合図するわ」
<<合図が出たらどうする?>>
会話をしているうちにやる気になってきたのだろうか。タヌキは身を乗り出してきた。
「床の上でウ●コをしなさい」
<<…………は?>>
「そうすりゃもう面会どころじゃないわ、みんなドン引きよ! その中を私が平謝りしながら即あなたを連れて退出するから、そのまま逃げましょ!」
<<できるか――――――!!>>
まるで野性を取り戻したかのように、歯ぐきごとタヌキは白いキバをむき出しにしてきた。
<<お、お、俺はこんな見た目だが人間だぞ! ちょっと今は毛深くて二足歩行が苦手なだけだ!>>
「私以外にはそれは分からないのよ! 今日だけはおバカなペットの振りをしてよ!」
<<断る! 俺には人間の尊厳がある!!>>
この聞き分けのないタヌキめ。
それなら私だって言ってやりたいことがあるぞ。
「人間の尊厳っていうけどね、今のあなたって室内でも屋外でも常に全裸じゃない!」
<<はっ!>>
「それで人間らしいって言える?」
<<………………言われてみればその通りだ>>
私の言葉でアイデンティティを傷つけられたらしく、タヌキは呆然と中空を見つめた。
「だから服を着ましょ? ねっ服を着ましょ?」
<<そうだ、俺には服が必要だ……。って、だからって着る服を選ぶ権利くらいはあるわい!>>
「……チッ」
もう少しで誘導に成功するところだったのに。すんでのところで気づかれてしまった。
「お嬢様、ずいぶんにぎやかですが何事ですか?」
「!?」
ドアの向こうからトパースの声が聞こえてきた。
思わずビクっと肩をすくめてしまう。まさかタヌキとの会話を聞かれてはいないだろうな?
「な、なんでもないわ。タヌキを連れていこうとしたら、ちょっと機嫌が悪いみたいで!」
「はぁ、動物をお連れになるのですか……? それはともかく、そろそろ大公夫人のお迎えが参られる時刻ですが」
「ああ、いけない。もうこんな時間……! 服はもう良いわ、とにかく行くわよ!」
<<やだーっ! 行きたくなーいっ!>>
暴れるタヌキを小脇に抱えると、ドタドタと大股に部屋を後にした。
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朝いちばんに使いの者が予告してきた時刻ちょうどに、大公夫人がよこした馬車がやってきた。
昨日マダマ様が乗ってきたのと同じ王家の紋章付きのものだ。
客室にはメイドらしい若い娘が乗り合わせていた。
車止めに降り立ったメイドは、待ち構えていた親父に向けて優雅に礼をしてみせる。
「レセディ・ラ・ロナ嬢をお迎えに上がりました」
「ははぁ! お待ちしておりました!」
「ちょっとお父様、そんな引っ張らなくても逃げたりしませんって!」
ヘアセットもメイクもばっちり決めさせられた私は、父親に引きずられるようにして車止めまで出た。
「私、大公夫人のお屋敷にお仕えしております、アルガリータと申します。本日はロナ嬢のお世話を務めさせて頂きます」
「これはご丁寧に。レセディ・ラ=ロナです。よろしく……」
アルガリータと名乗ったメイドは、私が肩にかつぐようにして連れている毛玉の塊に目を止めた。
「あの、動物をお連れになるのですか?」
「……ええ。昨日マダマさまがとても可愛がっておられた、大変に貴重な珍獣ですの。ぜひ大公夫人にお目にかけて差し上げたいわ」
「それならば構わないでしょう。大公夫人は珍しいものがお好きですわ」
『常識外れ』と渋られるかと思いきや、あっさりとオーケーが出た。
ちょっと肩透かしを食らったような気持ちがしたが、ともかく馬車に乗り込むことにする。
「お手をどうぞ」
「あっ、どうもありがとう」
ステップを踏んで馬車に乗り込もうという時、アルガリータがさりげなくそれでいて絶妙に断り辛いタイミングで手を差し出してくる。
相当厳しくしつけられていることがその動作一つで分かった。
貴族社会において使用人の程度はすなわち家の格である。
メイドでもそれほど質の良い人間が揃えられる家だということを見せつけようというのだ。
たじろぎながらも手を取った。
(……ん?)
メイドの柔らかな手のひらを握ったとき、何か小さな違和感が頭をかすめた。
が、続いて目に飛び込んできた馬車の室内にすぐに関心を奪われてしまう。
(おぉ……すごい豪華)
<<すっげー……>>
タヌキも思わず息を飲む豪華さだった。
王室用の馬車に乗り込むなんてもちろん初めてだったが、内装はシートから壁の内革まで最高級品が使われている。
普段使っている我が家の馬車も一点もののオーダーメイドのはずだが、比べればやはり数段見劣りする。
客前に出す使用人の程度といい、この馬車といい、王国最大の貴族が持つ権威の一端に気圧されてしまいそうだ。
「おそらくお戻りは夜になられるかと思います」
「はっ! 娘をよろしく頼みます!」
他家のメイドに対してこんなに腰が低い父親を初めて見た、と私は思った。
血走った眼で馬車のドアが閉まるのを見ていた親父は、おもむろに両手をたかだかと掲げ始めた。
「レセディ・ラ=ロナ! 万歳、バンザーイ、ばんざーい!!」
気合を送ろうというつもりなのだろうか。とうとう万歳三唱まで始める。
訓練された馬車馬が驚いてどよめき、玄関前まで見送りに出ていた我が家の使用人たちが顔を引きつらせる。
それでも構わず父親は声を張り上げていた。
「ロナ伯爵って、面白いお方なんですね」
「すみません持病なんです……」
ガラスの窓越しに見える必死の父親の形相から目を背けつつ、メイドにそう答えるのが精いっぱいだった。
続きは今夜追加します。




